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観客が観たのは、死滅した「もうひとつの現実」
「連鎖反応(チェインリアクション)」は『オッペンハイマー』においても中盤に象徴的に登場するキーワードであり、彼はプルトニウムの核分裂を利用した核爆弾実用化のための「トリニティ実験」を前に、無限に連鎖する核分裂反応が世界そのものを燃やし尽くす可能性を危惧し、その恐怖についてアインシュタインと語り合う。
このシーンは映画のラストで視点を変えてリフレインされ、憑かれたような表情で語られるオッペンハイマーの最後の台詞(「(我々は)それをしたんだ」)に直接つながっている。
『TENET テネット』で示唆されていたビジョンを踏まえたとき、ノーランが前半のクライマックスとして「トリニティ実験」を設定し、最後にこの台詞を配したことの意味が浮かび上がってくるように思う。つまり、この映画のなかでの世界は核分裂による「連鎖反応(チェインリアクション)」によってすでに燃え尽きてしまっているのではないか、と。

先にも述べたように、ノーランは『インセプション』や『TENET テネット』など、好んで「現実の裏にあるもうひとつの世界」を描いてきた作家だ。
『オッペンハイマー』という映画のなかに描かれた世界も「トリニティ実験」によって死滅してしまった「もうひとつの現実」であり、オッペンハイマーが幻視した燃え上がる人々(※)の姿こそがあの世界では実際に起きたことだった。そしてその後のロスアラモスや聴聞会、オッペンハイマーたちの姿は、ある種の幽霊、残留思念のようなものに過ぎないのではないか——広島や長崎が描かれないこともそう考えたほうがむしろ納得がいく。
これは個人的な感想に過ぎないが、本作は社会的なテーマを持ったドキュメンタリーや伝記映画を意図した作品ではなく、『インセプション』、『TENET テネット』に直接連なるような、思弁的な実験、ノーランの持つ「生理的な核への恐怖」を映像化した映画なのではないかと思う。
※編注:オッペンハイマーが幻視した人々のうち、核爆発の熱線によって顔から肉が剥がれ落ちた女性は監督の娘であるフローラ・ノーランが演じたことが知られている。『The Telegraph』の取材で監督は「正直なところ、私は自分の意図を分析しないようにしている。しかし重要なのは、究極の破壊的パワーを作り出せば、身近な人々も破壊してしまうということだ。娘の起用は私にとって、そのことを可能な限り強く表現する方法だった」と説明している(外部サイトを開く)

▼註釈、および参照元の記事
註1:ハフポスト日本版「「アジア系を無視?」 ロバート・ダウニー・Jr.のアカデミー賞壇上での振る舞いが物議を醸す」参照参照(外部サイトを開く)
註2:Real Sound「日本で物議の“Barbenheimer”、北米でなぜ人気? 『バービー』は10億ドル超え目指す」参照(外部サイトを開く)
註3:『オッペンハイマー』の日本公開の発表以前に東宝東和は、「今のところ米国の会社側から何も指示を受けていないので、公開するかどうか分からない」と回答していた——東京新聞「「オッペンハイマー」世界で空前ヒット でも日本未公開のワケ」参照(外部サイトを開く)
註4:NiEW「原爆開発者の伝記映画『オッペンハイマー』2024年日本公開決定、議論と検討の末」(ページを開く)
註5:カリフォルニア大学ロサンゼルス校で「Asian American Studies」のディレクターを務める日系2世アメリカ人や、サンフランシスコ州立大学教授のフィジー先住民らの言葉を引きながら記事は展開される——KQED「Who ‘Oppenheimer’ Erases」参照(外部サイトを開く)
註6:記事では、プリンストン大学に就職した物理学科史上初の女性教員で、「マンハッタン計画」にも参加した中国系アメリカ人のウー・チェンシュンの功績が取り上げられている——Business Insider「Chien-Shiung Wu, a nuclear physicist who worked on the Manhattan Project, spent her career fighting for gender equality in science」(外部サイトを開く)
註7:Business Insider「The Black scientists behind the Manhattan Project, the atomic bomb program that inspired the movie ‘Oppenheimer’」参照(外部サイトを開く)
註8:たとえばスパイク・リーは「この映画の最後に、原子爆弾を日本に2発投下したことで何が起きたかを見せてほしかった(I would have loved to have the end of the film maybe show what it did, dropping those two nuclear bombs on Japan)」と『The Washington Post』の取材に応えている(外部サイトを開く)
註9:THE RIVER「『オッペンハイマー』広島・長崎への原爆投下は描かれない ─ 「この映画はドキュメンタリーではない」とノーラン監督」(外部サイトを開く)
註10:典型的なものとして映画公式サイトの著名人コメントを挙げておく(外部サイトを開く)
註11:カイ・バード、マーティン・J・シャーウィン『オッペンハイマー』全3巻(山崎詩郎監修、河邉俊彦訳、早川書房、2024年)のこと(外部サイトを開く)
註12:こうした広島、長崎後のオッペンハイマーの政治活動については藤永茂, 『ロバート・オッペンハイマー 愚者としての科学者』(筑摩書房、2022年)が詳しく論じている(外部サイトを開く)
註13:藤永茂『ロバート・オッペンハイマー 愚者としての科学者』(筑摩書房、2022年)P.429より
『オッペンハイマー』

2024年3月29日(金)公開
監督・脚本・製作:クリストファー・ノーラン
製作:エマ・トーマス、チャールズ・ローヴェン
原作:カイ・バード、マーティン・J・シャーウィン
出演:
キリアン・マーフィー
エミリー・ブラント
マット・デイモン
ロバート・ダウニー・Jr.
フローレンス・ピュー
ジョシュ・ハートネット
ケイシー・アフレック
ラミ・マレック
ケネス・ブラナー
oppenheimermovie.jp