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「海」は自分を見つめる場所であり、国と国を分つ存在でもある
―ところで、ラムさんの歌にはたびたび「海」という言葉が入ってきます。海の近くで育ったのでしょうか?
イェラム:いや、海とは縁のないテジョン(大田)というところで生まれ育ちました。さっき浮さんは私の歌を聴いて「ふるさと」と「懐かしさ」を感じたと言ってくれましたが、「懐かしさ」という感覚は自分のなかにずっとあって、海はそれを表すものでもあります。海から離れたところで育った私にとって海は日常的なものではなかったし、だからこそ懐かしさと憧れがあるんでしょうね。私は海を見ると、そこに世界があると感じます。自分の居場所をそこで探したり、自分がどこから来たのか考えるきっかけになったりする。
―日常的な風景としての海ではなく、もう少し根源的な、いのちがやってくる場所としての海というか。
イェラム:そうですね。
―浮さんは茅ヶ崎出身ですけど、育ったのは茅ヶ崎の内陸のほうで、海からは結構離れた場所だそうですね。
浮:私にとっても海は日常的なものではなくて、たまに遊びに行くところでした。どちらかというと憧れの場所。漠然としたイメージですが、自分がやがて帰っていく場所は海なのではないかと考えたりすることもあります。

―そういう海のイメージがどこかにあるから、ラムさんと浮さんの歌には懐かしさを感じるのかな。
浮:何かそんな気がしますね。
―僕はラムさんの“海越え(Over The Sea)”という歌が大好きなんですよ。この歌は韓国語と日本語で交互に歌われますけど、コロナ禍で韓国の友人たちと会えない時期、<僕らはいつかまた会えるのさ 秋の雨が降る日に>と日本語で歌われる箇所に心揺さぶられるものがありました。
イェラム:ありがとうございます、とても嬉しいです。
―“海越え”はなぜ韓国語と日本語で歌ったのでしょうか。
イェラム:単純な理由としては、私は英語ができないんです。一番話せる外国語だったので、日本語で歌いました。以前、東アジア地球市民村という交流プログラムに参加したことがあって、中国、日本、韓国、台湾の人たちが集まって、教育や歴史について話し合いました。そのとき、話が通じ合うことって大事だなと思って、韓国に帰ったあと“海越え”を作りました。中国語ができたら、中国語でも歌いたかったんですけど。
この曲では「道が繋がること」について歌いたかったんです。ただ、おっしゃってくださったように、コロナ禍になって違う意味が出てきたとも思います。最初は国と国のことを考えていたけれど、今は会えない友達のことを思いながら歌うこともあります。
