A24製作、エレガンス・ブラットン監督『インスペクション ここで生きる』が全国公開中だ。『フルメタル・ジャケット』を彷彿とさせつつ、アイデンティティの多様性を問う本作について解説する。
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A24製作、監督の実体験に基づく物語
A24製作の映画『インスペクション ここで生きる』(以下、『インスペクション』)は、新鋭エレガンス・ブラットン監督の長編劇映画デビュー作だ。監督・脚本を務めたブラットン監督は、16歳からホームレスとして過ごした後、海兵隊に入隊。映像記録係としてキャリアをスタートさせた。本作は監督の実体験を基にしている。

舞台は、イラク戦争が長期化している2005年のアメリカ。ゲイであることを理由に母親から捨てられ、16歳からホームレス生活を強いられてきたフレンチ(ジェレミー・ポープ)は、生き残るために海兵隊に志願した。そこで、人間性を否定するような訓練と差別に直面する。フレンチは、心を折られそうになりながらも理不尽に立ち向かい、徐々に周囲も変化していく。

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海兵隊の過酷な訓練とマイノリティ
この映画は、3ヶ月にわたる過酷な訓練を描いている。そこでは私=「I」と言うことさえ咎められ、一度は主体性を剥奪されて、兵士として生まれ変わるために徹底的に再教育される。劇中のとある場面で、登場人物たちは『ジャーヘッド』(2005年)を観ているが、『インスペクション』は、同作や『フルメタル・ジャケット』(1987年)といった新兵訓練ものの系譜に連なる作品だと、まずは言えるだろう。とりわけフレンチは、そのセクシャリティゆえに教官に目をつけられ、痛めつけられる。本作は、「クィア・フルメタル・ジャケット」とも形容された。

しかし、この映画における軍隊の捉え方は複雑だ。『フルメタル・ジャケット』では、軍隊の訓練によって追い詰められる人間の狂気を表現していた。『インスペクション』は、人種、ジェンダー、セクシュアリティ、宗教、貧困といった多様な背景を持つマイノリティが、軍隊内の不寛容や差別に耐え、狂気に陥らずになんとか自分たちを保っている。
また、社会に居場所がなかったフレンチにとって、軍隊は、自らの能力を示し承認される場、訓練を乗り越えた仲間たちとの連帯の場でもある。そして、そのセクシュアリティは公にしない限り容認される。自らのアイデンティティを自由に表現できないこの米軍の規定は、非常に差別的であり現在は撤廃されているが、ストレートであることを望むフレンチの母との対話においてのみ肯定的に描かれる。

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多様性をめぐる対話
複数のアイデンティティとその揺らぎをテーマとしているのは、同じくA24製作の『ムーンライト』(2016年)も想起させる。居場所をなくしかけた仲間を繋ぎ止めるかのごとくフレンチが抱擁する場面は、まさに同作のダイナーのシーンを彷彿とさせるものだ。また、主体性の変化のきっかけとして水が関係している点を含め、耽美的かつ残酷な水中訓練のショットも、『ムーンライト』と結びつけたくなる。その一方で、同作とは違い、前述の母親との対話のシーンなど、異なる背景を持つ人々の対話、葛藤をぶつけ合う直接的な台詞が強調されているのも印象的だ。

本作の音楽を担当したインディーロックバンド、Animal Collectiveの楽曲も、複合的なアイデンティティを持つ人々と、その変化に寄り添うような内容だ。ブラットン監督によれば、楽曲は「新しい『宗教』を探し求めるというコンセプトに基づいている」と言う。劇中、スピリチュアルな曲がいくつか聴こえてくるものの、それらは洋の東西を感じさせず、登場人物たちの多様性を反映しているかのようだ。
過酷かつ差別的な訓練のなかで、居場所のない人たちが諦めずに生きようとする姿に胸を打たれる。そして、フレンチは、自分らしくあることを否定する人々や場と向き合い続ける。『インスペクション』を通じて、我々は、複雑なアイデンティティと多様性をめぐる対話へと誘われるだろう。
『インスペクション ここで生きる』
監督・脚本:エレガンス・ブラットン
出演:ジェレミー・ポープ、ガブリエル・ユニオン、ラウル・カスティーヨ、マコール・ロンバルディ、アーロン・ドミンゲス、ボキーム・ウッドバイン
配給:ハピネットファントム・スタジオ
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TOHOシネマズ シャンテ、新宿武蔵野館ほか全国公開中