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中学時代にはビル・エヴァンス・トリオの完コピバンドを結成
─ピアノを習い始めて、クラシックに興味を持つようになったのはグリーグの抒情小曲集『ノクターン』に出会ったのがきっかけだったそうですね。
江﨑:はい。ピアノを習い始めてから、最もうまく演奏できたのがこの曲だったんです。というのも、何故だか演奏していてものすごく没入できたんですよ。曲の持つイメージが自分ととても相性がよくて、「これを表現できるのがとても嬉しい」と初めて思えた。それまでバッハやベートーヴェン、モーツァルトなどを習っていても、怖く感じたり、何が言いたいのかよく分からなかったりするところが多かったのに、グリーグに関しては「なんか分かる!」って。小学校中学年か高学年の頃だったかな、そこから能動的に音楽に取り組むような感覚が少しずつ出てきました。
それから数年後、松本清張さんの『砂の器』という小説がドラマ化され、千住明さんが“宿命”というピアノ曲を書いたんです。それが素晴らしくてひたすら練習して、オーケストラスコアを購入して読みまくるという行為をしばらくしていました(笑)。ピアノ協奏曲なのに、ピアノ1台の演奏にアレンジして地元・福岡のフェスで演奏したりして。
─曲作りを始めたのもその頃?
江﨑:作曲自体は小一の頃からずっとやっていました。年に1曲、オリジナル曲を作るというのがピアノ教室の課題であって、練習よりも作曲の方が好きでした。小六で“宿命”にハマってフェスで演奏したときには自分のオリジナル曲も披露していました。

─ジャズにハマったのは、中学校に入学してビル・エヴァンスに出会ったのがきっかけだったとか。
江﨑:確か小六から中一に上がるタイミングだったと思います。食卓に置かれていた『Waltz For Debby』を手に取って再生したのですが、「雷に打たれるような衝撃」とはまさにこのことだと思いました(笑)。「こんなピアノが弾きたい」と強烈に思ったんです。もちろん“宿命”を聴いたときにも感銘は受けたのですが、それとは次元が違うというか。
江﨑:恵まれていたのは、ピアノ教室にドラムをやっている友人がいて、中学のジュニアオーケストラにはコントラバスの先輩がいて、「ビル・エヴァンス・トリオ、できるじゃん!」って(笑)。すぐにビル・エヴァンス・トリオの完コピバンドを組んで練習していました。