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Summer Eyeの知るって幸せ

伊能忠敬の人生がおもしろい。半端ないバイタリティの持ち主、しごでき忠敬

2025.2.17

#ART

「知る幸せ」と書いて「知幸」。知ることや学ぶことの幸せ・喜びを体現するSummer Eyeこと夏目知幸が第6回目に訪れたのは、千葉県にある伊能忠敬記念館です。地元の偉人である伊能忠敬にはもともと関心を持っていたそうで、取材は終始盛り上がりました。

伊能忠敬記念館を訪れようと思った、ふたつの理由

お久しぶりです! 長らく更新していなかったので自然消滅したと思われている方や初めましての方もいらっしゃるかもしれません。森羅万象に興味津々なSummer Eye=夏目がさまざまな博物館を見学して自由に感想を書く連載「知るって幸せ」再開です!

今回は千葉県香取市佐原にある伊能忠敬記念館を訪問してきました。どうしてこの記念館を取材しようと思ったか? 理由は2つ。僕は千葉出身なので小学校の社会の授業で地元出身の偉人として忠敬を知りました。「江戸時代、歩いて全国を測量してかなり正確な日本地図を作った」というのが幼心にインパクトがあった。とはいえ深掘りせず大人になっちゃったので、今こそ行くべし! と訪問を決意。

もうひとつの理由は、今年僕40才になるんですけど、80才で死ぬかもって思うと折り返しなわけで色々考える。0才から40才までと同じ時間がまだ残ってるとしたら、やろうって思えば、なんかもっとやれんじゃん? って。で、そういえば伊能忠敬ってだいぶ晩年になってから測量の勉強を始めたんじゃなかったっけ? って思い出して。地元の先輩に相談聞いてもらうつもりで、行ってみたいなと。

しごでき忠敬!

そんなわけで東京から車で1時間半くらい。着きました伊能忠敬記念館。館の周辺は昔ながらの景観が保たれていて散歩したら楽しそうでしたよ。知らずに来てしまった我々、時間がない。早速忠敬の旧宅から見学です!

小野川のそばに構えられた立派な建物。忠敬は17才の時に伊能家に婿養子として迎え入れられました。家業(酒造りや米の売買など)の業績を伸ばしに伸ばしまくり息子に後を継がせるまでの間に家の資産を3倍にしたそう。めちゃ優秀! 水害の際には堤防の修復や困窮している村人の救済に資金提供したりなど地域貢献も盛んに行なう名家の当主でした。

めちゃ忙しそうだけど、その間も勉強することをやめなかった! 彼の性格ももちろんあるでしょうが、江戸時代の佐原は商人が元気で自由な気風に溢れていたそうで、個人が趣味や勉学に勤しむことが良しとされていたらしい。旧宅や小野川を眺めながら、その雰囲気をなんとなく想像してみる。これが足を運んで見学に来る醍醐味。現場に来てみないと感じられないことってある。

忠敬が所有していた本の目録を見ると、天文暦学や数学、医学、測量術に関するものがたくさん。中でも天文暦学に熱心だったようで、京都や江戸から暦書を取り寄せて独学で勉強していました。のちに江戸で西洋の暦学を取り入れることができたのもこの時の勉強あってこそ。

関西旅行に行った際の日記なんかも記念館に展示されているんですけど、そこには旅先で散歩しながら測量した記録が書かれていたりします。え? 旅行中に趣味で測量? そんな人見たことない。昔はいたのか? いや、そんなことないはずだ。一緒に行った人もどんな顔で横から見てたんだろうな。忠敬ってすごいユニークな人だったのかも。

家業を引退し、ついに地図作りへ。とにかくバイタリティが半端ない

仕事ができすぎてなかなか引退させてもえなかった忠敬でしたが49才で隠居、家督を息子の景敬にゆずります。そして「んじゃ、やりたい勉強ガチでやってくるわ!」と江戸に出て、天文暦学の分野で優秀だった麻田一門の高橋至時に弟子入りし、19才年下の師匠の元、最新の学問を学んでいきます。

当時、麻田一門は正しい暦を作るために地球の大きさを知る必要がありました。地球は丸いってことは西洋からの書物で分かっていて、緯度経度の考え方もすでにありました。緯度1度が何メートルかわかればそこから算出して地球の大きさも導き出せる! 忠敬は深川の自宅から浅草にある幕府の暦局までを歩いて測ります。しかし! これではデータとしては小さすぎて正しい値が出ないんですねえ。

もっともっと広い範囲を測量できたらいいけど、江戸時代なので勝手にいろんな場所に出向いて測量するなんてできるはずもなく。

そんな時、幕府は「ロシア帝国が攻めてきそうだから海防のために蝦夷地の地図作っておきたいんだよねえ」と思っていたそうで、願ったり叶ったり! 忠敬はこれにノリました。忠敬「やりますよ!」。幕府「じゃあよろしく! ちゃんとできるか分かんないし予算そんなに出せないんだけどいいかな?」。忠敬「ん〜OKです、足りない分は自分で出すんで!」ってことで、至時先生の仲介の末、6人のチームを組んで、自腹叩いて、江戸幕府の許可書付きで北海道まで歩いて出向いて測量を行いました。これが忠敬の地図作りのスタートにして今後の彼の人生を決定づける転機となるわけです。この時忠敬55才。バイタリティ半端ない。

記念館の裏手に立つ伊能忠敬像

71才まで測量し続ける忠敬。心に残ったのは、忠敬というひとりの人間のおもしろさ

後に、東日本測量が成功して、その後はちゃんと予算ももらえるし人員も増やしてもらえました。よかったよかった。

忠敬は71才まで、全国へ測量に出向き日本で最初の実測地図を作りあげるのに尽力しました。1818年、地図の完成を待たずに死去しましたが、その喪は伏せられて3年後に弟子たちによって大日本沿海輿地全図(通称伊能図)として幕府に提出されるのでした。記念館ではその地図が実寸で見られたり、忠敬のチームが使った測量のための道具やその使い方も知ることができます。大変見ものです!

歴史的に貴重な資料を目にして、その背景を知って、博物館に行くと毎度思うこと……「人間って面白いな」って、今回もやっぱり思いました。星の動きを見たり、土地の長さを測ったり、角度を見たり……よくやるよなあと。

でもこの記念館で一番心に残ったのは忠敬というひとりの人間のおもしろさ、彼の人生のドラマでした。九十九里町で生まれて、すぐにお母さんが亡くなっちゃって一家離散みたいな状態になったらしいんですね、忠敬。それから色々あって佐原へ婿に来て、家業大成功させて、老後に勉強始めて幕府の事業をやって。長生きした彼は地方での測量中に息子の死を知ってとっても心を痛めたそうです。そういうエピソードの一つひとつ。なんかグッときましたね。

最後に、息子に家を継がせる時に宛てた家訓がめちゃいいのでそれを(筆者意訳)。

一 仮にも、人に対し嘘、偽りをせず、親には孝行、兄弟仲良く、正直であること。

一 目上の人は言うまでもなく、目下の人の意見も良く聞いて、納得のいく考えは、取り入れること。

一 篤く敬う心、謙譲を以って、言葉や行いをつつしみ、決して人と争い等してはいけない。

いやー正しいことしか言ってない。最高。

伊能忠敬記念館

住所:千葉県香取市佐原イ1722−1
開館時間:9:00~16:30
休館日:月曜日(祝日の場合は翌日)・年末年始
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