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家業を引退し、ついに地図作りへ。とにかくバイタリティが半端ない
仕事ができすぎてなかなか引退させてもえなかった忠敬でしたが49才で隠居、家督を息子の景敬にゆずります。そして「んじゃ、やりたい勉強ガチでやってくるわ!」と江戸に出て、天文暦学の分野で優秀だった麻田一門の高橋至時に弟子入りし、19才年下の師匠の元、最新の学問を学んでいきます。
当時、麻田一門は正しい暦を作るために地球の大きさを知る必要がありました。地球は丸いってことは西洋からの書物で分かっていて、緯度経度の考え方もすでにありました。緯度1度が何メートルかわかればそこから算出して地球の大きさも導き出せる! 忠敬は深川の自宅から浅草にある幕府の暦局までを歩いて測ります。しかし! これではデータとしては小さすぎて正しい値が出ないんですねえ。
もっともっと広い範囲を測量できたらいいけど、江戸時代なので勝手にいろんな場所に出向いて測量するなんてできるはずもなく。
そんな時、幕府は「ロシア帝国が攻めてきそうだから海防のために蝦夷地の地図作っておきたいんだよねえ」と思っていたそうで、願ったり叶ったり! 忠敬はこれにノリました。忠敬「やりますよ!」。幕府「じゃあよろしく! ちゃんとできるか分かんないし予算そんなに出せないんだけどいいかな?」。忠敬「ん〜OKです、足りない分は自分で出すんで!」ってことで、至時先生の仲介の末、6人のチームを組んで、自腹叩いて、江戸幕府の許可書付きで北海道まで歩いて出向いて測量を行いました。これが忠敬の地図作りのスタートにして今後の彼の人生を決定づける転機となるわけです。この時忠敬55才。バイタリティ半端ない。
