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腰抜けに思われることなく、人々の気持ちを汲むには、特定のリズムを持っていなければならない。
ジョージ・クリントン
ぼくにとってかけがえのない人間とは、なによりも狂ったやつら、狂ったように生き、狂ったようにしゃべり、狂ったように救われたがっている、なんでも欲しがるやつら、あくびはぜったいしない、ありふれたことは言わない、燃えて燃えて燃えて燃えて、あざやかな黄色の乱玉の花火のごとく、爆発するとクモのように星々のあいだに広がり、真ん中でポッと青く光って、みんなに「ああ!」と溜め息をつかせる、そんなやつらなのだ。
ジャック・ケルアック
人生初めての苫小牧
苫小牧に行ってきた。一泊二日の取材旅行であった。僕はチャキチャキの道産子だが、じつは苫小牧の地に足を踏み入れるのはこれが初めてだった。というと驚かれる人もあろうが、道民っていうのは結構そんなもんである。何せ日本の国土の二割強は北海道なのだ、それほど広大な島を網羅している人はまれで、意外と行ったことない街ってのがそれぞれあるものなのだ。そして北海道の地域差というのはすごくて、たとえば市街地でシカやキツネを見かけると札幌民は軽くはしゃぐが、帯広民とか旭川民は「ふーん」ぐらいの感じだ。稚内民ならリアクションさえ取らぬだろう。気温や気候、喋り方までも違ったりするし、なんというか北海道はひとつの「国」なのだ。地域ごとのグラデーションがマジで半端ないのだ。この振れ幅のデカさは単に土地が広いというだけでなく、ほぼ全員が移民という特殊な成り立ちもおおいに関係していると思うが、まぁとにかく人生で初めて苫小牧に行ったのだ。結論から先に申し述べるが、楽しかった。不当なまでに楽しかった。「こんなんが仕事でいいのかな?」という疑問が幾度となく襲ってきた。そしてそのたびに「いいんだよーん」と言った。ここではその一部始終を語っていこうと思う。
新千歳空港に着いたのは13時頃だった。空港に着いてまず初めに思ったのは「今日ってどういう系の取材なんだろう?」ということだ。僕は「苫小牧で取材をする」ということ以外、事前に一切何も知らされていなかったし、空港に着いた後どうするのかさえ解っていなかった。どうしようかな、もういっそサッポロクラシック(北海道限定の神美味いビール)を飲んでしまおうかなと葛藤していると、ほどなく加藤君が迎えに来てくれた。いそいそと車に乗り込み、「今日ってどういう系の取材なの?」と聞いたら、加藤君は「苫小牧で俺がよく行ってる店をハシゴしまくる街ブラ系ロケって感じですね。苫小牧の魅力を発信する的な」と答えた。「ということはつまり」「最終的に飲み歩きです」。
OK、のぞむところだ。

SF(ソウルフル)作家/テンション評論家/プロ遊び人。‘22年と’23年にリリースした自主制作誌『T.M.I』が歴史的小ヒットを記録。ヤングラヴというR&Bバンドで語りを担当するほか、ネオ紙芝居ユニット・ペガサス団でも活躍中。
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ウトナイ湖
まず最初に行ったのはウトナイ湖だった。国指定の鳥獣保護区でありラムサール条約の登録湿地にもなっているという、かなり有名な湖らしい。結構デカかったが、深さは膝丈ぐらいしかないそうだ。

で、ラムサールのお墨付きというだけあって、とにかく鳥がめっちゃいた。そして至るところに白鳥のうんこが散乱していた。白鳥のうんこに注意を促す旨のプラカードさえあった程だ。加藤君は白鳥のうんこをまじまじと見つめながら「ふーむ、鳥のわりには結構ちゃんとしたうんこしてますね。人間っぽい」と言った。そしてほどなく、本当に白鳥とエンカウントした。奴はめちゃくちゃ人間馴れしているのかこちらには一切目もくれず、ひたすらに芝生にはえたクローバーのみをモリモリ喰っていた。

それから僕たちは周囲を散策し、長渕剛のスタジオにはトレーニングルームがあるとか、堂本剛はアンプの上に石を置いているらしいとか、そんなウワサ話をしながらふたたび車に乗り込んだ。

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苫小牧市民会館
次に行ったのは『FAHDAY』の会場となる苫小牧市民会館だ。1968年につくられた由緒ある建物だそうだが、シンメトリーかつ奥行きがあって、壁材のパターンや窓のかたちには微弱なSF感(たとえばスタートレックのような)が漂っている。

1400名を収容する大ホールの音響はすばらしいそうで、矢沢永吉や山下達郎なども使ったことがあるのだという。ヤザワは知らんがヤマタツといえばとにかくハコの音響に厳しい事で有名だ。「音が悪いから」という理由で武道館ライブを拒み続けているあのヤマタツが出ているのだからして、たぶん相当にええ感じなのだろう。老朽化が原因で建て壊しが決まっており、『FAHDAY』が最後をしめくくるイベントになるという。駐車場をぼんやりとふらふらしながら、加藤君は『FAHDAY』の会場がここに決まるまでの経緯と、それにまつわる心情を話してくれた。その話はなかなか強烈かつ複雑で、僕は「やばいね」と何回も言った。そしてそのたび加藤君は「やばいっすよね」と不適な笑みを浮かべた。「わかりやすく敵がいた方が、戦いがいがある」と加藤君は言った。

NOT WONK/SADFRANK。1994年苫小牧市生まれ、苫小牧市在住の音楽家。2010年、高校在学中にロックバンドNOT WONKを結成。2015年より計4枚のアルバムをKiliKiliVilla、エイベックス・エンターテインメントからリリース。またソロプロジェクトSADFRANKとしても2022年にアルバムをリリース。多くの作品で自らアートディレクションを担当している。
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ELLCUBE(ライブハウス)
それからELLCUBEへ行った。ここが苫小牧で唯一のライブハウスなのだそうだ。取材前日まで行われていた野外音楽フェス『活性の火』の撤収作業まっ只中で、疲れ顔のスタッフの方々が右往左往している中をちょっとだけ見学させてもらった。フロアもステージも結構広めで、かつてNOT WONKの企画で368人入れたことがあるそうだ。そこはかとなく名バコの雰囲気が漂っており、加藤君は「北海道で一番音がいいハコだと思う」と言った。


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苫小牧中央公園
『活性の火』が行われていた苫小牧中央公園へと向かうと、こちらも撤収作業が慌ただしく進んでいた。活性の火は2日間ぶっ続け8時間、4会場を使用しておこなわれる北海道でも最大規模のフェスだそうで、しかも入場無料だという。去年度は18,000人を動員したというから凄い。百万人都市の札幌市でもそんなことはありえない。苫小牧の地には、インディペンデントを目指しそれを成し得るための特別な土壌がそなわっているのだろうか?



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おうちコーヒー(カフェ)
そんで気がつけば15時を回った。ここらでコーヒーブレイクっつうことで、おうちコーヒーという加藤君行きつけのカフェへとシケ込んだ。写真を見てもらえば解る通り「おっしゃれー!」としか言いようがないステキ空間で、「うわぁ、ここ行きつけなのヤバいね。羨ましい」とつぶやくと、加藤君は「俺にはこの店があるんすよ」と自慢そうな笑みを浮かべた。


オーナーの麗美さんが淹れてくれたコーヒーはすこぶる美味しかった。エルサルバドル産のコーヒーはまるでワインのような芳醇な口当たりだったし、コロンビア産のレッドプラムコーヒーはトロピカルフルーツティーみたいな彩度の高い味わいがあった。おうちコーヒーでは、コーヒーの特徴をしるしたメモ用紙がカウンターのところに貼り付けられており、「おひさしぶりのLeaves Coffeeのローストです!! すごいハマショ。全部のボリュームが最初からすごい。情報量が多い。香りや味やテクスチャや色々がどどどっと押し寄せてアフターも強い強い」などドライブ感のある文章が連ねられている。

僕が興味深く拝見していると、麗美さんはにこにこ笑いながら話してくれた。
「味の説明ってむずかしくて、たとえばフルーティで香りはこうで、って具体的に説明したいんですけど、そうすると逆にどんどん遠ざかるというか。まえに『ギャルが乗ってる車の味』って書いたことがあるんですけど」
「ああ、イメージはなんか伝わる気がします。深夜のドンキとかに停まってる黒のBBみたいな。ルームミラーからマリファナの形の芳香剤がぶら下がってるようなヤツ」
「私的には結構いい表現だと思ったんですけど、友達に『何それ!?』って言われて」
「イメージを共有するって便利なやり方ですけど、受け手の感覚を信頼してないと出来ないですよね」

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CINEMA TAURUS(ミニシアター)
そののち、夕方の商店街をしばし散策した。歩きながら加藤君は、あのラーメン屋はヤンキーが多いけど美味しい、あの寿司屋は人気ある名店、あのバーは……と、いろいろ説明してくれた。とにかく美味しい店や面白いスポットをたくさん知っている。苫小牧に遠征で来たバンドをアテンドしてるうちに詳しくなったそうだ。僕の地元は北海道のF市だが、30年も住んだのに美味しい店も面白いスポットもほとんど知らない。
散策しながら50年の歴史を誇るというボウリング場、苫小牧中央ボウルに行った。ここの1階にあるCINEMA TAURUSはいわゆるミニシアターだそうだが、ポスターを見ると上映ラインナップがかなりイケている。地方都市の映画館ではおよそ有り得ないセンスだ。「俺、ここで『サマー・オブ・ソウル』観ましたよ」と加藤君が言っていたが、こういうトコもしっかり良質なあたり苫小牧は凄い。中央ボウルもかなり雰囲気たっぷりのオールドスクールなボウリング場で、地元バンドも撮影なんかに使ったりするらしい。“Your Name”の撮影で使ったというマンションの壁面も見にいった。白いペンキが塗られたコンクリートの壁にはまだうっすらと「Yo」と「Na」の文字だけが残っていた。
