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歴史を通じて現在を考える、その有効性
少々サブストーリーに深入りしすぎたかもしれない。これら一連の描写とそれらについての分析からはっきり見えてくるのは、やはり、「歴史」や「過去」を通じて現在を考えることの有効性と、そうした営為にじっくりと取り組むことへの強い誘いだ。
それなり文字数を費やして論じてきたが、この映画に埋め込まれた過去の表象とそれとの照応関係は、まだいくらでも掘り起こすことが可能だろう。例えば『ハロルドとモード 少年は虹を渡る』(1971年)や『さらば冬のかもめ』(1973年)等のハル・アシュビー作品との類似も指摘できるし、ポール・マザースキーの『ハリーとトント』(1974年)の情感や、ボブ・ラフェルソンの『ファイブ・イージー・ピーセス』(1970年)に通じるような寂寥感も滲んでいるように思う(ボストンの「社会科見学」の一環でアーサー・ペンの『小さな巨人』を鑑賞しているシーンも印象深い)。あるいはまた、当時アメリカで人気を博していたテレビバラエティ『新婚ゲーム』も実に印象的な使われ方をしているし、ハナム先生が事あるごとに人に贈ろうとする本は、哲人皇帝として知られるマルクス・アウレリウスの箴言集『自省録』だ(これ以上にハナム先生らしい本があるだろうか!)。

本作『ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ』は、ヴィンテージな質感に彩られ、過去の様々な表象の引用が縦横無尽に繰り広げられるという意味で、ある種のギミックに耽溺したノスタルジー指向の映画と考えられてもおかしくはなさそうだ。しかし、繰り返すようにその「過去」や「歴史」への眼差しには、明らかにそういったポストモダン風の遊戯性とは隔絶した、文字通りの古典への確かな眼差しと、強い信念が刻まれているのだ。私達も一度、キケロの本を読みながら、古いウィスキーを飲み、スウィングジャズの名演を聴いてみようではないか。かならずや、そこから「今」が聴こえ、浮かび上がってくるはずである。
『ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ』

2024年6月21日(金)よりTOHOシネマズ シャンテほか全国ロードショー
監督:アレクサンダー・ペイン
脚本:デヴィッド・ヘミングソン
出演:ポール・ジアマッティ、ダヴァイン・ジョイ・ランドルフ、ドミニク・セッサ
配給:ビターズ・エンド ユニバーサル映画
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