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その選曲が、映画をつくる

『レイブンズ』レビュー 写真家・深瀬昌久の生涯を描いた映画、その選曲が面白い

2025.3.26

#MOVIE

古谷野とも子“幸わせもどき”の異化作用

来生えつこが作詞を、鈴木茂が編曲を務めたこの曲は、1978年発売のアルバム『Neutral Tints』に収められているもので、アルバム収録の他曲と並び、シティポップの文脈からも興味深く聴ける存在だ。しかし、この曲が流れる当のシーンは、楽曲自体のソフトな印象とは程遠い。狂気に陥った深瀬が洋子を部屋の中で小刀で襲うという、本作中で最も鬼気迫る修羅場が展開される場面でステレオから流れているのが、この曲なのだ。

メロウなシティポップ曲と、禍々しい刃傷沙汰の組み合わせ。たしかに、歌詞の内容を改めて聴けば恋人同士の争いを歌っているともいえるが、それ以上に、音楽的な印象と画面で展開される出来事の齟齬がはっきりと浮かび上がってくる。これは、明らかな異化作用の例だ。むしろ、これほどまでにわかりやすく(ある意味「素直」に)音楽の異化作用を実践する例は、現在の映画では珍しいとすらいえる。

© Vestapol, Ark Entertainment, Minded Factory, Katsize Films, The Y House Films

ここで気付かされるのは、そうした、きわめて異質的でいながら、だからこそ感情のほとばしりを巧みに表すいびつな音楽使用の例は、どこか深瀬の写真表現そのものとも、あるいはまた、それらへの肉薄を通じてギル監督が表現しようとした映像世界とも、浅からぬ関係にありそうだ、ということである。

一般に、ムービーカメラでもスチールカメラでも、撮影者の目線を媒介するカメラという存在は、そこに写されたものを「ある存在そのもの」から引き剥がす役目を負う。「写(うつ)された」ものとは、ただそこにある存在から「移(うつ)された」ものなのだ。決して、純粋な存在としての「モノ」や「ヒト」には到達できない(仮に肉薄できたとしても、それが表現物である限り、メディアの痕跡は必ず刻印されてしまう。それは、実存の「影」でしかない)。なぜならばあるモノやヒトは、覗き込まれる時点で、(当の被写体がそう気づいているかどうかとは無関係に)覗き込まれる物 / 人として存在を開始してしまうからだ。

もっといえば、そもそも私達各々の発する「視線」すらが、純粋な経験や存在を捉えることは出来ず、なにがしかの異化を発生させるほかない事実を、あらゆるメディアは暴き出してしまう。翻って考えるに、写真や映画などの視覚芸術というのは、そのような執拗な暴き出しが営まれる現場を撮影(監督 / 制作)者自らが作り出してみせる、徹底的な再確認の場なのだともいえる。

© Vestapol, Ark Entertainment, Minded Factory, Katsize Films, The Y House Films
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