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家族再生の予感を担う劇中音楽
それでも本作は、そうした分断(とそれに伴うアイロニーの応酬)をなんとか食い止め、超えようとすること、つまり、ある種の希望を語ることを諦めてしまっているわけではない。あまりにもお馴染みの主題ではあるが、本作は、家族の再生への予感を描こうとするのだ。
あまりにもお馴染みであるということは、それが普遍的なテーマであるということに他ならない……私たちは、そのことに改めて気付かされる。親にとって子供は、あるいはまた、子供にとって親というのは、最も身近な存在であると同時に、理解が及ばない他者でもありうるし、それによってお互いが拭い難い疎外感に絡め取られてしまうことも少なくはない。逆に言えば、疎外を共有するもの同士として、なにかのきっかけで再び最も親しい存在となりうる他者同士であるということだ。もちろん、これは一般論の話であって、実際の親子関係の中にあって、それを自覚し実践するのはいかにも困難かもしれない。ではそういうとき、現実とファンタジーの彩たるべき現代のホームドラマ映画においては、いったい何が効果を発揮するのだろうか。
アイゼンバーグは本作で、その役目を音楽に担わせている。不器用な奔走の末、彼ら親子はふと、お互いに再度対峙しようとする。そのときに聴こえてくるのは、映画の冒頭にも流れたジギーご自慢の自作曲、“Pieces of Gold”だ。
紙きれでしかない 黄金の破片が
いつの間にか 蒸気となって消える
空気は薄く 扉には鍵が
君は顔を上げ 彼女は悔やむフリ
並んだ線路の 2つの高速列車
息切れしても 後戻りはしない
並んだ道路の 2台の高速自動車
クラッシュはしないけど 出会うこともない
僕の言葉に 彼女は反論できない
予言じゃないって フリもできない
不吉なもの パラノイド
一時的なポラロイド
むりやりな押韻のために一見ナンセンスな歌詞のこの曲が、映画のクライマックスでリプライズすることで、にわかに豊かな詩情を帯びてくるのだ。「並んだ線路の2つの高速列車 / 並んだ道路の2台の高速自動車」というラインに、観客の誰しもがジギーとエヴリン二人の姿を重ね合わせてしまうはずだ。このリプライズの巧みさは実に見事だし、劇中の最重要部ともいうべき同シークエンスで、真正面から音楽の力を信頼してみせたアイゼンバーグの胆力も称賛すべきだろう。2台の高速列車 / 自動車は、ここに至ってようやく速度を落とし、お互いに出会うことができるのだろうか……? ほのかな希望が入り混じったクエスチョンとともに、優しく映画は閉じられる。
