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巧みに作られた、主人公が歌うオリジナル曲
このあらすじからも分かる通り、本作では、上述したジギーの自作曲が単なる演出装置として以上の重要な役割を与えられている。劇中でジギーが言う通り、彼は「オルタナに影響を受けたクラシックなフォークロック」を目指しているようなのだが、たどたどしいアコースティックギターの伴奏で披露されるその曲は、ときにかなり陳腐で、未整理だ。しかし、ハッとするようなメロディーや言葉が光る瞬間もあり、才能のきらめきを感じさせなくもない。

こういう、「可もなく不可もないように聴こえるけれど、ときおり輝くものがある」劇中オリジナル曲の制作というのは、(私自身過去にある映画のプロジェクトでまさにそういう音楽制作のディレクションを担当した経験があるので身にしみて分かるのだが)実のところかなり難しいものだ。単にインパクトのある、あるいは純粋にクオリティの高い音楽を作る技術とはまた異なる、ある種の俯瞰性に貫かれたプロフェッショナリズム、そして高度のユーモアが必要となるこの種の作業は、通常は作曲家だけではなく、監督を含めた他のクルーとのコミュニケーションがより一層肝要になる。その上で本作におけるオリジナル曲の数々を聴いてみると、実に見事にそれが達成されているのがわかる。
プロダクションノートによれば、まず監督のアイゼンバーグがいくつかのモチーフを提示した上で、余技にとどまらない音楽活動を行っていることでも知られるジギー役のウォルフハード自身の協力の元、米『アカデミー賞』ノミネート歴をもつ作曲家エミール・モッセリが要素を追加し、磨き上げていったのだという。結果的に出来上がったのは、いかにもジギー(のような人物)が作りそうな、軽佻浮薄だけれど同時にどこか普遍性を湛えているようにも聴こえる、不思議に魅力的なフォークロック曲たちだ。

他方、本作において既存のポップミュージックはほとんど使用されていないが、バッハやショパン、チャイコフスキーらのクラシック曲は随所でふんだんに流される。これは主に、エヴリンやロジャーが好んで聴く音楽として使用されており、ジェネレーションギャップを演出する記号として機能しているのに加え、ジギーの通俗的な指向ともユーモラスな対比を描いている。
加えて、エヴリン、ロジャーともに、クラシックのみを嗜好する堅物ではないということもいくつかの会話から示唆されるのだが、これらも彼らの文化的なバックグラウンドを効果的に伝えている。ストラトキャスター(エレキギター)を買いたいと言うジギーに対して、すかさずロジャーがアミリ・バラカ(リロイ・ジョーンズ)の名を出して「ブルースはやめておけ、白人がそれを演奏することは文化の搾取になる」と諭すシーンは、彼の思想的スタンスを端的に表している。

エヴリンも、現在の職に就く以前には『ローリング・ストーン』誌の記者になるのが夢だったと言い、かつて幼いジギーを連れて抗議デモに参加しプロテストソングを歌わせたことを「良き思い出」として語る。このような音楽にまつわる様々な描写を通じて、中産階級の自覚的な左派リベラルであるエヴリンと、刹那的な自己表現に生きる「ノンポリ」のジギーという映画の根幹をなす対立構造が巧みに反復されているのがわかる。