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過去を舞台にした映画がもつ二重性
過去を舞台にした映画というのは、ある意味で、二重の虚構 / 二重の記憶をスクリーンに映し出すといえる。フレームによって切り取られた時間と空間は、映画「作品」という別の時間の流れと空間に奉仕するとともに、それが対象とする過去への沈潜によって、さらに別の時間と空間をその内側に折りたたむ。こうした二重的な構造において、作品内に映され、引かれ、あるいは流される画や音は、単に「かの時代の再現」という以上に、その二重性を担保しあるいは作り出す装置として、極めて重要な機能を担わされることになる。
本作で所々に挿入されるスタンダードサイズのアーカイブ映像は、それが「実際の過去」を表すがゆえ、作品自体の二重的構造を下支えすると同時に、その構造を暴き出す演出的機能も負っている。また、エリック・ロメール『満月の夜』、ジャック・リヴェット『北の橋』という1980年代の名作映画が劇中劇としてスクリーンに映写されるときにも、過去を題材としたフィクションの中のフィクションとしてそれらの作品が二重的な機能を負うと同時に、まさしくその二重性がゆえに、それらを「観る」現代の鑑賞者である私達にむけて、屈折したリアリティを訴えかけてくる(それらの作品に出演した夭折の女優、パスカル・オジェへ捧げられたタルラたちの視線も、私達映画ファンの視線と否応なく同化させられる)。物語の中に物語が、映像の中に映像が折りたたまれているというこの二重的な構造こそが、「観る」という行為の絶対性を逆説的に証明する。彼が / 彼女が / 私が / あなたがいつどこにいようとも、それらの主体はあくまで「今ここで観ている」という体験性に取り囲まれている。「観る」という行為は、時間 / 空間を超え、あるいはその中を貫通していくのだ。

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