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その選曲が、映画をつくる

『午前4時にパリの夜は明ける』は、変革の時代の音をも追想する

2023.4.4

#MOVIE

連載「その選曲が、映画をつくる」第1回は、ミカエル・アース監督『午前4時にパリの夜は明ける』を取り上げる。 Television、ジョン・ケイル、キム・ワイルド、The Pale Fountains−−1980年代のパリを舞台に、ティーンエイジャーの息子と娘をひとりで養うことになった中年女性をシャルロット・ゲンスブールが演じた本作には、当時の街の空気を感じさせる音楽がたくさん使用されている。 音楽ディレクター / 評論家の柴崎祐二が、「過去を扱った作品がもつ二重性」をキーワードに論じる。

※本記事には映画本編の内容に関する記述が含まれます。あらかじめご了承下さい。

1980年代のパリを追想する傑作映画

ミカエル・アース監督は、あらゆる人間の生にとっての永遠のテーマ=「喪失」と「再生」を描く現代の名手だ。『サマーフィーリング』『アマンダと僕』という類稀な傑作を経た最新作『午前4時にパリの夜は明ける』でも、ある家族の7年間の変遷を通して、それぞれの「喪失」と「再生」のありようを、ごく繊細な手付きで映し出す。

本作における「喪失」には、登場人物それぞれの「喪失」とともに、ある時代への美しいレクイエムも重ね合わせられている。それは、1980年代のパリの姿、匂い、音への追想であり、フランス社会が大きな変革を迎え、その変革が希望となり、あるときには失望となっていった時間の流れそのものへの思慮深い追想でもある。

映画は、1981年5月10日、フランス大統領選挙の投票日からはじまる。長く続いた保守政権に代わり、左派フランソワ・ミッテランが新大統領に選出されたこの日、パリの街はにわかに祝祭に包まれ、道行く人々は互いに喜びの言葉を交わす。そんな中、パンク・ファッションに身を包んだ一人の少女が地下鉄の駅を彷徨している。その名はタルラ(ノエ・アビタ)。

© 2021 NORD-OUEST FILMS – ARTE FRANCE CINÉMA

物語は、タルラに加え、本作の主役=夫と別れ悲嘆に暮れる母エリザベート(シャルロット・ゲンスブール)、その子供マチアス(キト・レイヨン=リシュテル)とジュディット(メーガン・ノータム)を中心に展開する。加えて映画の序盤、エリザベートは生活の糧を得るためにかねてから愛聴していた深夜ラジオ番組のスタッフの職を求め、そこで、DJのヴァンダ(エマニュエル・ベアール)と出会う。1980年代からフランス映画を代表する女優として活躍してきた二人=ゲンズブールとベアールが、その1980年代を舞台とする映画で邂逅する様に、両者のファンならきっと胸を熱くするはずだ。

© 2021 NORD-OUEST FILMS – ARTE FRANCE CINÉMA

過去を舞台にした映画がもつ二重性

過去を舞台にした映画というのは、ある意味で、二重の虚構 / 二重の記憶をスクリーンに映し出すといえる。フレームによって切り取られた時間と空間は、映画「作品」という別の時間の流れと空間に奉仕するとともに、それが対象とする過去への沈潜によって、さらに別の時間と空間をその内側に折りたたむ。こうした二重的な構造において、作品内に映され、引かれ、あるいは流される画や音は、単に「かの時代の再現」という以上に、その二重性を担保しあるいは作り出す装置として、極めて重要な機能を担わされることになる。

本作で所々に挿入されるスタンダードサイズのアーカイブ映像は、それが「実際の過去」を表すがゆえ、作品自体の二重的構造を下支えすると同時に、その構造を暴き出す演出的機能も負っている。また、エリック・ロメール『満月の夜』、ジャック・リヴェット『北の橋』という1980年代の名作映画が劇中劇としてスクリーンに映写されるときにも、過去を題材としたフィクションの中のフィクションとしてそれらの作品が二重的な機能を負うと同時に、まさしくその二重性がゆえに、それらを「観る」現代の鑑賞者である私達にむけて、屈折したリアリティを訴えかけてくる(それらの作品に出演した夭折の女優、パスカル・オジェへ捧げられたタルラたちの視線も、私達映画ファンの視線と否応なく同化させられる)。物語の中に物語が、映像の中に映像が折りたたまれているというこの二重的な構造こそが「観る」という行為の絶対性を逆説的に証明する。彼が / 彼女が / 私が / あなたがいつどこにいようとも、それらの主体はあくまで「今ここで観ている」という体験性に取り囲まれている。「観る」という行為は、時間 / 空間を超え、あるいはその中を貫通していくのだ。

タルラとマチアス、ジュディットは、映画館で期せずしてエリック・ロメール監督の『満月の夜』を観ることになる。
© 2021 NORD-OUEST FILMS – ARTE FRANCE CINÉMA

The Pale Fountains、キム・ワイルド 、ジョン・ケイル……時代の空気を巧みに運び込む音楽

こうした「過去」を題材にした映画における二重性とその反射的(逆説的)なリアリズムは、様々な過去をあらわす意匠がほどよく虚構性をまといつつも、あくまで映画的な美への献身として機能するとき、より一層力強く立ち上がってくる。それは、ポップミュージックの使用においても同じだ。本作には、1980年代にパリの街を彩った(とされる)様々な過去のポップミュージックがふんだんに使用されている(注1)。

マチアスが友人とバイク遊びに興じるシーンにアンダースコア(注2)として流れるLloyd Cole & The Commotionsの“Rattlesnakes”、ラジオ局に職を得たエリザベートが夜明け前の道を歩くときに鳴らされるThe Pale Fountainsの“Unless”、自宅マンションの階上から流れるレコードに合わせてジュディットがおどけて歌うキム・ワイルドの“Cambodia”、タルラが一人離れ部屋で聴くTelevisionの“See No Evil”、ヴァンダの紹介によってプレイされるジョン・ケイルの“Dying On The Vine”、エリザベートらがそのビートにあわせてディスコで踊るシー・メイルの“I Wanna Discover You”、その他多数。パンクからシンセポップ、イタロディスコまで絶妙のセンスで選ばれた各曲は、それぞれのシーンの示唆するところと響き合いながら、かの時代の空気を巧みに運び込む。

ポップミュージックの映画使用における一つの王道=物語と映像へのリリックの献身も、如才なく達成されている。物語終盤、引越し前のマンションの部屋で家族とタルラが輪になって踊るシーンに流れる「家族にとって大切な曲」、国民的シャンソン歌手ジョー・ダッサンの“Et si tu n’existais pas”(もし君がいなかったら)の歌詞はこうだ。

もし君がいなかったなら、僕は誰のために存在するのだろう?

もし君がいなかったなら、絵描きが自らの指で太陽の色が生まれるのを見るように、僕は愛を創り出そうとしただろう

“Et si tu n’existais pas”

© 2021 NORD-OUEST FILMS – ARTE FRANCE CINÉMA

注1「過去のポップミュージックがふんだんに〜」:ポップミュージックとともに、1980年代のシンセサイザーサウンドを彷彿させるアントン・サンコによる優れたオリジナルスコアが全編で巧みな効果を発揮していることも付記しておく。

注2「アンダースコア」:劇中の登場人物には聞こえていない設定で流れる音楽。この対概念が「ソースミュージック」で、ラジオやレコード等、劇中で「実際に」流れているとされる音楽を指す。

時代の合わない選曲がもたらす特殊なリアリティ

もう一つ興味を惹かれるのが、厳密な時代設定を敷くこの映画にあって、ときにそのリアリズムから脱線するような選曲がされていることだ。一つは、1988年に再会したタルラとマチアスがリヴェットの『北の橋』を観るシーンからつづく一連のモンタージュに重ねられるLowの“Slide”で、これは1994年の曲である。更に、先の家族のダンスシーンのあと、「父のレコード」を聴いている場面で流れるフォーク調の曲は、1992年発表のジョン・カニンガム“Hollow Truce”だ。

虚構性を恣意的に忍ばせるようなこうしたポップミュージック使用は、その曲が劇中設定からみて「未来」の曲であるゆえ、およびどちらも映画の終盤近くで使用されているゆえ、登場人物たちの「その先」を示唆する働きをもっているとも分析できるが、より重要な点は、結果的にこの選曲が本作の「真実らしさ」を毀損するどころか、その内部に時間性 / 空間性の揺らぎを蔵しつつも、いつでも必ず「今、ここ」の体験として再生されざるを得ない、時間芸術 / 空間芸術としての映画鑑賞の特殊なリアリティを浮かび上がらせていることにあるはずだ。

追想を通じて気付かされる「今、ここ」

聴く(聞く)という行為および状態は、彼が / 彼女が / 私が / あなたがいつどこにいようとも(たとえその音を「思い出している」場合にすら)、それらの主体はあくまで「今、ここ」に属していること、属していたことから逃れ得ないという事実を暴き出す。本作におけるポップミュージックは、それがソースミュージックである場合は登場人物たちが、アンダースコアである場合は私達鑑賞者や作り手が、いずれにせよ必ずそれぞれの「今、ここ」で誰かが聴く(聞く)ことによって存在付けられている。

© 2021 NORD-OUEST FILMS – ARTE FRANCE CINÉMA

また、映画においてポップミュージックは、(それが映画のために新しく書き下ろされたものでない場合は余計に)異なる時間性をその内部や周囲に伴っているため、豊かな二重性を担い、うまくいけば「聴く」という行為をもってその二重性を巧みに包括してくれるものでもある。様々な人々が、様々な思い出や記憶、過去のイメージとともにある特定のポップミュージックを聴いてきたからこそ、映画はその蓄積を自らの虚構とリアリズムの両立のためにしたたかに利用し、果てはそれを映画自体に重ね合わせていく。

その重ね合わせのリアリティは、仮に私達が数々のポップミュージックを実際に聴いた経験がなくとも、いや、ひょっとすると初めて触れるときにこそ、未知の記憶と過去に「今、ここ」で触れるという意味において、より一層艶めきを増す場合もあるのではないか。『午前4時にパリの夜は明ける』は、映画におけるポップミュージック使用の洗練を画しているとともに、追想を通じて「今、ここ」にいる私達自身に気付かせてくれるという意味で、極めて「現在的」な映画といえる。もしかすると、本作が描き出す「喪失」と「再生」は、時々のポップミュージックに宿命的につきまとう、記憶化と再生のサイクルも類比されているのかもしれない。

© 2021 NORD-OUEST FILMS – ARTE FRANCE CINÉMA

『午前4時にパリの夜は明ける』のプレイリスト

文中に登場する楽曲は、こちらからお聴きいただけます。

https://open.spotify.com/playlist/2KcYZLqoA0PUa6wscM6aU1?si=ad9d8a9785d34770

『午前4時にパリの夜は明ける』

2023年4月21日(金)からシネスイッチ銀座、新宿武蔵野館、渋谷シネクイントほか全国順次公開
監督・脚本:ミカエル・アース
出演:シャルロット・ゲンズブール、キト・レイヨン=リシュテル、ノエ・アビタ、メーガン・ノータム、エマニュエル・ベアール
配給:ビターズ・エンド

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