連載「グッド・ミュージックに出会う場所」第2回は、新井薬師のジャズ喫茶「ロンパーチッチ」を訪ねる。
音楽評論家・柳樂光隆は、開店して間もない頃から現在まで、およそ10年この店に通い続けているという。一見するとオーソドックスな「会話禁止」のジャズ喫茶は、進化するジャズの現在地を紹介してきた柳樂と相容れない存在のようにも思えるが、はたして「ロンパーチッチ」が柳樂の心を捉え続ける理由とは?
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音楽の流れる場所で過ごす、特別な時間
そもそも僕は音楽がかかっている店によく行く。こだわりをもって選ばれている音楽が流れている場所にいるのが好きだし、音楽が好きな人が作っている空間にしかないムードみたいなものが好きだからだ。そういう店に行くときはひとりで本を持って、または少ない言葉で一緒にいられる友人とゆったり過ごす。それは僕にとって特別な時間になっている。
もちろん僕には好みがあるので、音楽が合う店も合わない店もあるのだが、好きとか嫌いを超えた「すごい店」というのがいくつかある。仕事をするために行ったわけではなく、ただぼーっとしながらコーヒーを飲んでいただけなのに、その選曲(選盤)があまりに素晴らしくて仕事のインスピレーションをもらってしまった、という体験もある。
そんな「すごい店」の筆頭が、中野ブロードウェイを通過してさらに北へと進んだところにある新井薬師の「ロンパーチッチ」だ。
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オーソドックスなようで、とんでもなく個性的なジャズ喫茶
素敵なカフェ風の外観と内装に、良心的な価格設定のメニュー。僕はたいていコーヒーとガトーショコラ。ちょっとおなかが減ったらパスタの時もある。冬はスパイスのきいたココアを飲むとからだが温まるし、ほっと一息ついてリラックスできる。という感じで、カフェとして使っているともいえる。
ただ、店の奥にはどーんとスピーカーが置いてあり、カウンターの中にはずらっとレコードが並んでいる。会計時にレジの前に立つとレコードプレーヤーがふたつ並んでいるのが見える。本棚に目をやれば、厳選されたジャズの本が揃っている。これらを見れば、その本気度が伝わってくる。そもそも音量が大きめなので、その時点で普通のカフェではないし、「会話は控えてください」と入口に書かれている。ここは今や珍しくなった「会話不可」のジャズ喫茶なのだ。
ロンパーチッチの選曲はとんでもなく個性的で、似た店はどこにもない。流行っているレコードがかかっているわけでもない。「今、これが再評価されています!」みたいなものはほぼかかっていないし、SNSで話題の新作もかかっていない。いわゆる「耳が早い」的なキャラクターはまったくない。なんなら「オーソドックスなジャズ喫茶」的でさえある。にもかかわらず、群を抜いて個性的なのがロンパーチッチなのだ。
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「高くないレコード」ならではの魅力
ロンパーチッチを営む齊藤さんご夫婦は、二人ともめちゃくちゃたくさんジャズのレコードを買っている。日々レコードショップに通い、レコードを買い、そのレコードを店でかけているのだが、基本的に選ぶ基準が話題やトレンドではない。彼らは自分たちの視点で日々レコードを買っている。その営みはInstagramに綴られているのでぜひ見てほしいのだが、「以前から〇〇くらいの価格で出てくるのを待っていた。ようやくその値段で見つけたから買った」「このレーベルのレコードを買ったらけっこう良かったので、安かったから買ってみた」「以前に買ったのは日本盤だったけど、ドイツ盤が安くてきれいだったから買い換えた」など、レコードを日々買っている人にとってリアルすぎるエピソードが並んでいる。人気の新譜をバンバン買うのでもなければ、プレミアがついた希少なレコードをコレクションするのでもなく、僕ら庶民が買うようなやり方で限られた予算の中で「ちまちまと」レコードを買っているわけだ。
だから、ロンパーチッチではいつも「高くないレコード」がかかっていることになる。トレンドと無縁で、新作でもなく、プレミア盤でもないけど、内容は素晴らしいレコードがいつもかかっているのがここの魅力だ。「このアーティストがこんなレコード出してたんだ!」「このレコードは謎だけど、この有名ミュージシャンがひっそり参加しているんだ!」みたいなことがいつも起きる。みんなが欲しがるレコードやみんなが知っているレコードじゃないところから、絶妙に面白いものを選んでくれる。中にはもちろん知っているアルバムも含まれていて、「このレコードってこんなに良かったっけ?」みたいな発見や驚きもある。ここのオーディオシステムとこの店の雰囲気だからこそ、聴きなれたレコードがびっくりするほど魅力的に響いてくるのだ。