INDEX
from小原晩 #5(5.22)
わたしは五月になってからというものあまり元気がなくて、そういえば五月病という言葉があったことを思い出して調べてみると、それは新入社員などのみなさんが、ぐんぐんとためていたあたらしい環境への疲れがどっと体や心にくる月ということらしく、わたしはあたらしい環境もなにもずっと家でウウと唸っているだけなのにつかれ果てているとはなにごとでしょう、と、また一段深く落ち込んで、ということの繰り返しで、爽やかなみどりの風が吹いていることにも気づかずに日々を過ごしていました。
そんなふうにおもてなしするひとたちがいることに驚いているよ。やさしくてあたたかい人がいるものだね。すてきな世界。しかしわたしは、もてなすのは苦手だとおもいます。自信がない。けれど考えてみます。
夜九時、みらんちゃんは仕事を終えてうちに向かってくる。わたしは最寄駅まで迎えに行って、コンビニかスーパーに寄り、ビールやらワインやらお惣菜やらおつまみやらあまいものものを買い込む。
部屋についたら、すぐにお風呂に入りたい派なのか、ひと息つきたい派かを確認する。(わたしはみらんちゃんがくる前にお風呂をすませておく)
(みらんちゃんはすぐお風呂に入る派だと予想して、前に進みます)
お風呂から上がったみらんちゃんにキンキンのビールを手渡して乾杯。それからはお互いの好きな音楽を流しながら、最近のことやこれからのことを話す。
うーん。ぜんぜんもてなせなかった。おもてなしって、むずかしい。発想が、ないわ。わたしには。
ところで他人の家に泊まるとき、どうやって眠っている? 友だち用の布団があったりするのかな。わたしの部屋はベットがひとつしかないので、友だちを泊めるとき、一緒のベッドで眠ることになるのだけれど、わたしは友だちと肌がふれあうことに対してけっこう抵抗があるの。それはすごく仲の良い友だちだとしても。
ふくらはぎでも、手首でも、背中でも、ふれると自分の肌と他人の肌の輪郭をやけにはっきり感じて、それはいくら時間が経っても馴染まなくて、落ちつかない。うまく眠れなくなって、ベッドを抜け出して、一人掛けのソファーでまるまって眠る、ということにいつもなる。みらんちゃんはうまくねむれる?
