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『イカ天』とバンドブーム論――『けいおん!』から人間椅子まで

『イカ天』が残したバンドブームの痕跡 今に繋がる無視できない深夜番組の熱狂

2024.12.6

#MUSIC

バブル期で音楽の商品化に拍車をかけた一面も

さて、『イカ天』ブームやバンドブームへのネガティブな意見も見てみよう。例えば、日本におけるパンクロックが商業主義にまみれていく中で、その流れに『イカ天』がトドメを刺したという論もある。出演したがるバンドは多かったが、簡単に消費されてしまった、という声も聞く。それらは、審査員も『イカ天』公式本である『イカ天年間 平成元年編』で指摘しているところだ。前掲の『日本のオルタナティヴ・ロック』から大槻ケンヂの発言を引くと、「こんなブームが続くはずがない、バンドブームは嘘だな」とブーム最盛期に思ったと言う。

大槻がボーカルを務める筋肉少女帯は、大ホールツアーを各地で行ったが、東京と大阪では満員になるものの、地方は全然ダメだったと述懐する。大槻は「あっ、これは東京では盛り上がっているが全国レベルじゃないなと思った」と言う。また彼は、『イカ天』やバンドブームの狂騒の背後に、バブル経済があったのではないかと指摘している。バブル経済の勃興と『イカ天』及びバンドブームが、ほぼ同時に萎んでいったという説はその通りだろう。バンドブームはバブル期の軽佻浮薄で浮足立った雰囲気として同期していたと言える。また、小野島大は先出のムックでこうも述べている。

イカ天の影響で、一部のライヴ・ハウスのブッキングはレコード会社や事務所主導のラインナップへと変化して、それまで少ない動員で地道にやってきたバンドが閉め出されたりする弊害を生んだ。具体的にはバンド・ブーム以降東京周辺のライヴハウスがチケット・ノルマを導入し、大規模な動員を第一義としないミュージシャンたちの演奏場所が限定されるという悪影響が見られるようになるのである。

―『NU SENSATIONS 日本のオルタナティヴ・ロック 1978-1998』

また、イカ天が放映された89~90年には、メジャーのレコード会社がバンドの青田買いに走ったが、その多くがすぐに契約を切られるなど短命に終わっている。ゆえに、英米におけるパンクの勃興に較べて、日本のバンドブームがミーハーなものだったという指摘は、確かにその通りだろう。だが、既述のように、パンクもイカ天も発火点は同じである。先述した「あれなら自分もできそうだ」「ああいう恰好がしてみたい」「あんな舞台に立ってみたい」という衝動こそが、若者をライヴハウスや楽器屋に赴むかわせたのだから。たとえそれが一時的なものであっても、少なからず、多くの若者を刺激/鼓舞したのは間違いない。

バンドブームを「子供騙しの市場」と書いている論者もいるが、THE BLUE HEARTS時代にバンドブーム / インディーズブームを牽引した甲本ヒロトは「よく、あの、ガキンチョばっか、だましてるんじゃねえよ、とか、友達には言われるんですけどね。だけど、ガキンチョだますのがロックだと思う。だって俺、中一んときだまされたもん。ラッキー」という名言を残している。『イカ天』を見た多感なティーンたちは、この狂騒に乗っかり、はしゃぎにはしゃいだ。

『イカ天』公式本は当時の『イカ天』バブル(?)について、審査員が多少釘を刺しているところもあるものの、比較的好意的な意見が多い。審査委員長を務めた萩原健太は、『イカ天』本で「TVに出てこないバンドの方が面白いと思っていた」「コンテストがあると、地区予選大会で落っこちちゃうようなバンドの中に『なんだコイツら! でもすげぇオモシロイじゃない』って思うようなバンドが多い」と言う。

萩原健太

『イカ天』公式本では、番組に出たらプロになれると思うのは違っている、と言う審査員もいるが、それはある程度正しいと思う。アマチュアバンドが最初からプロを目指して、『イカ天』をそのためのスプリングボードと思っていた節はあったかもしれない。先の審査員の発言も、そうした風潮への違和感から発せられたものではないだろうか。ぽっと出のボンボンが何の努力も反骨精神もなく、てっとりばやくデビューできてしまうのはいかがなものか? という精神論も見た。

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