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ゆっきゅんに聞いた、自分の心を再び大切にできるようになるまでのこと

2025.4.7

FRISK「#あの頃の自分に届けたいコトバ」

#PR #MUSIC

混乱の末に自分を理解していったターニングポイント

ーゆっきゅんさんと芸術との関係性は、今おっしゃってくれたところにあるんだなと思いました。その関係性を形成していくまでにもいろんな道のりがあったと思います。大学から大学院に進学されたり、同時にアーティスト活動と学業を両立させ始めたのには、どのような決断があったのでしょうか?

ゆっきゅん:大学に進学することは、そこは唯一レールに乗らされていた部分かもしれないですね。大学院に進んだのはいろんな理由があるんですけど、大学生の頃に電影と少年CQとしての活動や、ソロの活動を始めたんです。でも、大学3年生の頃に「自分はまだまだ勉強しないといけないことがある」と考え始めて。その頃に心から先生と思える存在にも出会って、その先生のもとで学ぶために進学を決めました。

―周りは就職する人も多い中で、大学院に進むことも勇気のいる選択ですよね。

ゆっきゅん:大学3、4年生の頃はすごく苦しんでいた時期でもあって。周りと自分を比べて悩むことはなかったんですけど、理想の自分になりたいのに、その理想に自分が追いついていないことがずっと苦しかったんです。

ーゆっきゅんさんが今回書いてくれた手紙にも「理想の自分になりたいって悩んでいる」とありますが、この理想の自分というのは、どんな自分だったんですか?

あなたは大学院生1年生で、学生生活と音楽活動の両立がうまく出来ずに頭を抱えている。自分が恵まれた環境にいるのに、どうしてうまくやれないんだろう、もっとちゃんとしたい、理想の自分になりたいって悩んでいる。やりたいことがはっきりしているから、悩みさえ明瞭で苦しいよね。

ゆっきゅんの手紙抜粋(「#あの頃の自分に届けたいコトバ」supported by FRISK より)

ゆっきゅん:当時は作詞もしていないし、歌は好きだけどカラオケに行っているだけ。何を頑張るべきかまだはっきりしていなかったから、理想が高いというよりも、理想が多かったんです。ロールモデルを聞かれたら、「100人の女性アーティスト」と答えているんですけど、いろんな人の出来具合を見ては、自分も同じくらいやらなくちゃいけないんだと感じて大変なことになっていました。

ーそういうときはどのように乗り越えてたんですか?

ゆっきゅん:当時は決意表明と気分転換だけをしていましたね。コンビニに行ってFRISKを買って食べて「よし!」と気合いを入れたり、SNSに「これから頑張る」と投稿したり。スイッチを40個ぐらい押さないと行動ができなかったんです。でも、決意表明しただけじゃ何にもならないということに打ちのめされていて。「みんなを元気にしたい」とツイートしても、別に誰も元気にならないじゃないですか。そういう時期でしたね。全部を100%でやりたいのにできなくて、ずっと混乱していました。

―その混乱はどのように好転したのでしょうか。

ゆっきゅん:毎回一生懸命やっていれば、できることは絶対に増えるんですよね。少しずつできることが増えたのと、やらなくてもいいことに気づいたりして、だんだん楽になったと思います。それと、ずっと先延ばしにしていた病院に行くというアクションを23歳ごろにできたんです。そこで「あなたはADHDです」と診断してもらって、やっぱりそうかって楽になって。自分はこういう性質なんだって言われたら、それを受け入れるしかない。自分への理解が急激に深まった年でした。

ー心身の浮き沈みって自己責任的に捉えられて、努力論で片付けられることも多いですけど、しっかりと医療機関で診てもらうことって大事ですよね。

ゆっきゅん:友達が落ち込んでいる私を心配して、その子がいつも行っている病院に連れて行ってくれたんですよ。その天使のおかげで今があります。

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