音楽活動のみならず、執筆業、タレント業など、肩書きに囚われず活動の幅を広げるゆっきゅん。ポジティブなメッセージだけではなく、恥ずかしくて外には出せずにいるような感情すらも、言葉に、音楽に乗せて表現するゆっきゅんに魅了され、救われる人たちが続出している。「作詞は世界を変える」と語るゆっきゅんは、誰かにとって「これは自分の作品だ」と思ってもらえる作品を作り続けたいと言う。
そんなゆっきゅんは、FRISKが企画する、新たなチャレンジをしようとしているフレッシャーを応援するプロジェクト「#あの頃のジブンに届けたいコトバ」に参加し、23歳の自分自身へ向けて手紙を執筆。これまでの人生を振り返りながら語られた言葉は、何かにチャレンジしようとしている人たちだけでなく、自分の好きなことや、やりたいことが見つかっていない人たちをも包み込む暖かさに溢れていた。
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好きなものを選択する経験は、テレビのチャンネル選びから
ーゆっきゅんさんは多岐にわたって多面的なご自身を表現されていますが、幼少期や10代の頃はどのような子どもでしたか?
ゆっきゅん:今とあんまり変わらないんですよね。好きな音楽や映画に助けられながらなんとか生きてきた。自分の好きなことに対して、周囲の人から否定されることもあまりなかったので、わりと素直に生きてきたんです。
でも、学校のクラスや同級生グループとか、どこにいても珍しい存在になってしまって。そのことを私自身分かっていたんですけど、「馴染まなきゃいけない」と思ったことはないですね。

1995年、岡山県生まれ。青山学院大学文学研究科比較芸術学専攻修了。サントラ系アヴァンポップユニット「電影と少年CQ」のメンバー。2021年よりセルフプロデュースでのソロ活動「DIVA Project」を本格始動。でんぱ組.inc、WEST.などへの作詞提供、コラム執筆や映画祭主催など、溢れるJ-POP歌姫愛と自由な審美眼で活躍の幅を広げている。セカンドフルアルバム『生まれ変わらないあなたを』が発売中。
ー変われないということを、早い段階で気づけたんですね……。どうして小さい頃から自分のオーナーシップを持つことができたんだと思いますか?
ゆっきゅん:昔から多くの男の子が好むような遊びも趣味も楽しくなくて、女の子の友達しかいなかったんです。無理するのが苦手なのと、やらなきゃいけないことって、実はそんなにないということをなんとなく分かっていたんでしょうね。
ー私が小さい頃を思い出すと、やりたくないと思いながらもやっていたことが多いなと思います。やらなくてもいいという選択肢を持てるようになったのには、周囲の大人からの影響もあったのでしょうか?
ゆっきゅん:家族は好きなものや、交友関係についても特に何も言ってこなかったので、すごくありがたかった。今思えば、意識してそういうコミュニケーションをしてくれていたんだろうなと思います。何を薦めてくるということもなかったですが、私が観に行きたいと言った映画には連れて行ってくれました。そうやって視野を広げてくれたなと思います。きょうだいも両親もみんな趣味がバラバラで、それぞれに存在していた感じでした。
ーバラバラだったからこそ、みんなバラバラでいいと思えたのもあるかもしれないですね。
ゆっきゅん:今思うと変なんですけど、父親が電化製品を買うのが好きで、なぜかテレビが家に最大7台くらいあったんですよ。自分が見たいものは、他の部屋に行って見ればよかったので、チャンネル争いがなかったのは大きいかも。
23歳のゆっきゅんへ
あなたは大学院生1年生で、学生生活と音楽活動の両立がうまく出来ずに頭を抱えている。自分が恵まれた環境にいるのに、どうしてうまくやれないんだろう、もっとちゃんとしたい、理想の自分になりたいって悩んでいる。やりたいことがはっきりしているから、悩みさえ明瞭で苦しいよね。あなたが抱えているのは漠然とした不安ではなく、いつも「今週がやばい」ということだ。
手紙の序文。ゆっきゅん直筆の手紙全文は4月10日(木)から下北沢BONUS TRACKで開催されるFRISK『あの頃のジブンに届けたいコトバ展』で展示される(詳細はこちら)

ー自分のやりたいことや好きなことが分からない人もすごく多いと思うんですけど、幼少期から自分で見たい番組を選ぶ経験を通して、自分の好きなものは何かを自覚していったのかもしれないですね。
ゆっきゅん:そうかもしれない。あと、小学1年生ぐらいからインターネットを使っていた記憶があるんです。そうやって1人でいろんなものを調べて知っていった感じがありますね。
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「私のための作品」だと思えたものがなかったから、たくさん探す必要があった
ー大学で地元の岡山から上京されたと思うんですけど、上京しようと思ったきっかけを教えてください。
ゆっきゅん:高校生ぐらいになると、興味ないことは全然できないということに気づき始めていて。でも、好きなことや知りたいと思うことはたくさんあるから、それらを学べる学科を熱心に調べて、関東の大学に行くことに決めたんです。
当時はTwitter(現:X)が盛り上がり始めていて、岡山県以外の場所の流れを見ていました。例えば、東京のポレポレ東中野で自主映画が上映されて、たくさんの人が集まっている様子をTwitterを通して知っても、岡山県じゃその映画は観れないんですよね。アイドルも大好きだったんですけど、ツアーでも来ない。そういう限界を感じていたのもあって、東京に行きたいという気持ちも膨らんでいました。なので、自分の夢を叶えるために上京してきたわけではなくて、観れないものがあることがしんどくて、もっと観に行きたいという気持ちでしたね。

ー幼い頃からテレビやインターネットを通して、自分の好きなものや知りたいことを探しながらも、オンラインの限界を感じていたんですね。
ゆっきゅん:その通りですね。アイドルがライブの告知をするんですけど、そもそも行けないから目に入らないんですよ(笑)。東京で開催されるイベントの情報は、自分に向けられていないものとして見ていた記憶があります。でも、東京に来たことで、受け取っていい情報が増えた感覚がありましたね。
ー当時、自分に向けられているなと思う芸術はありましたか?
ゆっきゅん:なくて、ずっと探していましたね。でも、私は疎外感を感じないパワー系ストロングスタイルの才能があって、どれだけ山戸結希が「女の子のために作った映画です」と言っても、「これは私のための作品だ」とはっきりと思うことができたんです。とはいえ振り返ってみると、心から「私のための作品」だと思えたものはなかったなと思います。だからたくさん観たり、聴いたり、調べなくちゃいけなかったんだと思うんですよね。
私みたいに感じてきた人が他にもいることは分かっているので、自分が何かを作ったり、発信するときには、実家に住んでいる10代の男の子のことをよく考えます。自分にとっては、そういう人に届くような活動ができていなかったら、何もやっていないのと同じ。そういう人たちが初めて「自分のための芸術を見つけた」と思ってもらえるような歌を歌えたら、他にやりたいことはないです。