台湾のバンドが日本の音楽シーンをにぎわせる昨今。歌詞は音楽を構成する大きな要素で、歌う言語が聴き手の感情に与える影響は大きいが、台湾が実は多言語社会で、さまざまな言語による音楽が発信されていることはあまり知られていない。
今回インタビューしたのは、台湾語で歌う3ピースのオルタナティブロックバンド、Sorry Youth。大学時代にバンドを結成し、台湾の海・山の風景、社会問題など幅広いテーマからインスピレーションを受け、ありのままの感情を発信する姿が、多くの支持を集めてきた。
台湾語は、台湾の標準語である中国語(台湾華語)に続き、2番目に話者が多い言語だ。本編で本人たちに語ってもらうが、台湾語は、第二次世界大戦後、メディアや教育などの表舞台で排除された歴史がある。1987年に戒厳令が解除されて以降、台湾全体が多言語主義に移行したことで、台湾語を積極的に保存し、次の世代に伝える動きが高まっている。しかし、今は台湾語を話せない若者も多いという。
Sorry Youthの核となる音楽性は、ガレージリバイバル・ミーツ・台湾フォークとも言えるが、アルバムリリースを重ねるごとに音像がクリアになり、最新アルバム『Noise Apartment 』(原題:噪音公寓)では様々な音楽ジャンルを融合し、幅広いリスナーに届くサウンドに進化している。
『SUMMER SONIC 2015』『森、道、市場』『BiKN 2023』など大型フェスへの出演をはじめとし、コロナ禍ではthe band apartとのオンライン対バンイベントを行ったり、ASIAN KUNG-FU GENERATIONとの交流の様子をSNSに投稿したりなど、日本との接点も多いSorry Youth。
この度2024年秋の来日ツアーが東京・大阪の4公演で決定した。彼らの重要なアイデンティティである台湾語を通してSorry Youthが表現したいことに今一度触れるために、インタビューを行った。
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最新アルバム『Noise Apartment』制作秘話

ギタリストの維尼(ウェニ / Weni)、ベーシストの薑薑(ジャン・ジャン/ Giang Giang)、ドラマーの宗翰(チュンハン / Chung-Han)によって結成されたパワー・トリオ。台湾語の歌詞は彼らのソングライティングの重要なベースであり、拍謝少年の特徴でもある。そして曲のアレンジはライブパフォーマンスの雰囲気を強く捉えている。彼らは台湾のインディーズバンドでは数少ない、全編台湾語で歌詞を作るバンドである。拍謝少年は現在、台湾インディーズシーンの旗手として重要なバンドである。公演はことごとく完売、さらには「SUMMER SONIC」(日本)、「Megaport Festival」(台湾)、「shima fes SETOUCHI」(日本)、「森、道、市場」(日本)、「SXSW」(米国)など、国内外の音楽フェスに頻繁に出演している。また、日本、韓国、カナダ、香港ほか、多くの国々でツアーを行っており、2020年には、台湾における音楽文化とアートの衝突の可能性をさらに追求するため、「山盟海誓」音楽フェスを独自に企画している。
https://www.sorryyouth.com
ー最新アルバム『Noise Apartment』は日本の音楽関係者の間で話題にのぼり、ASIAN KUNG-FU GENERATION(以下、アジカン)後藤正文さんも推薦コメントを寄せています。過去作と比べて主にサウンドクリエイティブの面で大きく進化した印象がありますが、制作期間にどんな変化があったのでしょうか?
ウェニ(Gt):『Noise Apartment』の制作を始めたのが2023年1月で、収録曲のデモが半分ほど完成した2023年の秋ごろ、2024年8月に行うワンマンライブの準備をはじめました。台北ミュージックセンターという5000人キャパの会場で、舞台監督や音楽監督に入ってもらう必要があるよ、という話があって。その候補になったのが、音楽プロデューサーのイータン・チョウ(周已敦)さんで。ミーティングで意気投合して、アルバムプロデューサーをお願いすることになったんです。

ーイータン・チョウさんといえば、台湾のバンド・No Party For Cao Dong(『FUJI ROCK FESTIVAL ’24』のGREEN STAGEに出演)がリリースしたアルバム『The Clod 瓦合』(2023年)を手掛けたことでも知られる、著名なプロデューサーですよね。
チュンハン(Dr):イータンさんはプロデューサーだけでなくミキシングエンジニアもやっていて、ドラムの音の重ね方や音量バランスも含めて細かい相談にも乗ってもらえたんです。その上で『Noise Apartment』にはテイストの違う曲が収録されていますが、アルバムを通して全体のイメージや雰囲気をまとめてくれました。制作中は2週間おきには会っていましたし、イータンさんとの出会いは大きなターニングポイントですね。
ー曲のアイデアを作りこんでいく過程で工夫したことはありますか?
ジャン・ジャン(Ba):「早寝・早起き」になったことでしょうか(笑)。結成当初はまだ大学生で、3人で夜遅くまでスタジオに入って制作していたんですけど、今は僕に子供もいるので、家庭と両立することが必要で。9時から5時までの規則正しいスケジュールの中で、曲作り、練習、ミーティングなどをやっていく必要がありました。
ーバンドマンっぽい生活から、安定したスケジュールの中で、良いものを作っていくライフスタイルに変わった。
ジャン・ジャン:友達からは「搖滾公務員(公務員ロッカー)」と言われるんですけどね(笑)。そんな中、イータン・チョウさんから「なるべく完成形に近い状態のデモを送ってほしい」というリクエストもあったので、今作では全体的にアップテンポにすることや、長いギターソロを入れないことなど、具体的に方向性を話し合いながら詰めていきました。

ー3人の役割分担はどんな感じですか?
チュンハン:曲作りに関しては、3人で考えて作っていくことが多いですね。曲作り以外ではそれぞれ得意・不得意分野があって、レコーディングはウェニ、マーケティングやマーチャンダイズはジャン・ジャン、ライブのパフォーマンスの企画は僕がリードすることが多いです。
ーDIYで活動している部分も多いんですね。
ウェニ:そうですね、コピーライティングも3人でやっていますし、重要な事柄や方向性は自分たちで舵を取りながら、必要な部分は外部の方や仲間にサポートをお願いするスタイルを取ることが多いかも。
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DIY活動を支える、台湾の仲間たち

ーDIYで活動を展開する中で、ファーストアルバムから全てのアルバムアートワークやツアーポスターなどのデザインに関わり、ライブでは皆さんのアイコンにもなっている『サバヒー男(虱目魚男)』に扮してパフォーマンスを行うシャオツー(廖小子)さんも、Sorry Youthファミリーの一員なのかなと思います。彼はどんな人なんですか?
ウェニ:シャオツーは現役で活躍するグラフィックデザイナーで、結成したばかりの頃にオンラインで出会いました。当時、インターネットに一風変わったカンフーの絵を投稿していて、印象に残っていて。友達になった後に、アルバムアートワークやグッズのデザインをお願いし始めたんです。僕たちは曲のデモができると数人に送って感想を聞くんですが、彼もその一人で、仕事仲間でもあり友人としても本当に信頼しています。

ー『Noise Apartment』では、イーノ・チェン(鄭宜農)、オリビア・ツァオ(曹雅雯)、シェ・ミンヨウ(謝銘祐)の3名をフィーチャーしています。3名はそれぞれ台湾の大きな音楽賞で表彰された経験もあり、豪華な顔ぶれだと思ったのですが。
チュンハン:そうですね、まず、イータン・チョウさんは偉大なプロデューサーなんですけど、実は台湾語が話せないんです。その点、今回参加してもらった3名のボーカリストは、台湾語で歌えるという共通点があります。例えばシェ・ミンヨウは僕らの大先輩で、9曲目“世界第一戇 / 世界一バカ feat. 謝銘祐”のコーラスを入れてもらったのですが、歌詞の細かい部分を調整し、意味をより深いレベルに引き上げてもらいました。
ーコラボレーションにより、台湾語の響きが強化されている。
ジャン・ジャン:そうですね、4曲目“共身軀完全放予去 / 共に身を捨てる feat. 鄭宜農でコラボレーションしたイーノ・チェンは、イータンさんからの推薦で参加してもらったのですが、元々知り合いで。実は曲や歌詞がほぼ固まった段階でオファーしたのですが、二つ返事でOKしてもらえました。彼女からはプロの歌手として、よりよい響きにするためのパート分割や発声方法についてアドバイスを貰いながら進めていきました。
ウェニ:オリビア・ツァオは一度彼女のアルバムの収録曲に参加させてもらったご縁で、僕たちのアルバムの6曲目“袂赴啊 / 遅かった feat. 曹雅雯”に参加してもらいました。台湾語で歌える同世代の女性アーティストは男性アーティスト以上に少ないので貴重ですよね。オリビアとは「新しい台湾語の見せ方をどうするか」「若い世代にもっと台湾語を広めるには?」というテーマについてよく話します。
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結成約20年。台湾語で発信し続ける意義
ー改めてお聞きしたいのは、Sorry Youthがなぜ台湾語で歌うのか? というテーマです。2005年に結成して以来歌詞は全て台湾語で、2024年8月に台北ミュージックセンターで行われたワンマンライブのMCは、全編台湾語で行われました。台湾語は話者が2番目に多い言語ですし、母語保存運動というムーブメントがあるのは存じてるんですけど、それ以上に台湾語とみなさんのバンド活動や表現というのは、密接につながっていると思うんですよね。もともとみなさんは台湾の高雄市(※)出身でしたよね。
チュンハン:そうですね、子供のころから家庭では祖父母や両親は台湾語で会話をしていたので、台湾語が自然と身につきました。学校では中国語を習ったのでもちろん話せますが、中国語と台湾語は語彙が違っていて、中国語は生活に近い、実用的な単語が多いな、と感じます。一方台湾語は、現在の生活やトレンドとは離れている単語も多いんですけれど、その分想像の余地があり、感情豊かに表現できる言葉だと思います。
※台湾南部の都市で、台湾語使用率が高いと言われている。

ウェニ:台湾語で表現すること自体がロックだからとも言えます。台湾語は400年以上前に、台湾人の祖先が中国福建省から渡ってきて、鄭氏政権、清朝、日本統治時代などを経て独特の進化をしてきました。そして、終戦後は中国語が国語に定められ、台湾語で話すことを実質禁止され、政治的に厳しい抑圧をされた歴史があります。そんな中でも、リン・チャン(林強)、ウーバイ(伍佰)をはじめとする先輩ミュージシャンたちが台湾語で良い曲を作り、アイデンティティを残し続けた。今は自由な時代になったからこそ、その反骨精神や精神性を受け継ぎたいと思っているんです。

ーなるほど、中国語と台湾語の関係は、日本の標準語と関西弁のように、単純に主・副と置き換えられるものでもないと。特に好きな、台湾語の曲はありますか?
ジャン・ジャン:風籟坊 Windmillというバンドの“長途電話”が好きですね。ある少年が生活のために故郷を離れ、日雇いの仕事に奮闘しながらも、いつも故郷の誰かを探して長距離電話をかけ、生活の大変さを伝える、という物語を歌っています。
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台湾土着の言葉を新鮮に届けたい
ーそうした「台湾語が自らのアイデンティティを表現できる認識」は、台湾語を話せる多くの方が持っているのでしょうか?
ウェニ:日本だと想像しづらいと思うんだけれど、台湾は小さな国土に多民族・多言語が共存していて、一人ひとりの中に「台湾文化」があり、どれが正解・間違っているというものはないんです。音楽に例えると、色んな楽器が集まって、ひとつのサウンドができるバンドとちょっと似ているかも(笑)。

ー価値観が多様になる中で、Sorry Youthが共感を集めて、バンドを成長させていくのは苦労があったと思います。土着文化の保存という文脈だけではリスナーが限られてしまう懸念もある中で、ロックバンドとしてどんな方向性を目指していますか。
ジャン・ジャン:台湾のロック音楽と、現代的な音楽ジャンルを掛け合わせて、新しい響きを生みだせるように考え続けています。今回は『Noise Apartment』では、トリップホップとシンセウェーブに台湾語の歌詞を組み合わせました。更にオリビア・ツァオとイーノ・チェンの歌声が入ることで、新鮮な響きにできたのかなと。
チュンハン:台湾語を新しいものとして見せていく工夫は常に考えているよね。昔生まれた単語を新しい音楽で使うときに、どんな使い方をすればストーリーを描けるのか、試行錯誤を続けています。
ウェニ:歌詞以前に、常に新しい挑戦はしていきたいなと。時間がある時には、あえてラインナップを見ずにライブハウスに行って新しい刺激を受けるなど、情報収集を怠らないようにしています。8月に台北ミュージックセンターで行ったライブはバンド史上一番大きな会場で、成長した姿を多くの方に見てもらえる貴重な機会だったのですが、今後は違う形でのライブや表現も考えています。