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享(仲野太賀)が目を向けない構造の問題

本作で特に強調されるのが、「上か下か」によって分断されるこの社会の構造である。おっさんから金を吸い上げた女性たちが、その金をホストに貢ぐ歌舞伎町の搾取構造のピラミッド。金にならない重傷患者と、金になる軽傷患者。医療費が高額なため富裕層しか満足な治療が受けられないアメリカの医療格差。社会生産性を含めた命の選別とトリアージの問題。私たちが生きるこの世の中は平等ではないという現実が、嫌というほど突きつけられる。
そんななか、美容皮膚科医の高峰享(仲野太賀)は、「なんで俺が貧乏人の目線まで降りてかなきゃなんねえんだよ」というセリフが象徴するように、最初、上から目線で傲慢な人物として描かれる。ボランティアによる支援が必要な人たちに対しても、「あいつら平気で裏切るし、踏み倒すし、開き直るし、逃げるし」と冷淡で、彼らがそうなる構造には目を向けようとしない。
また、舞がSMの女王様という裏の顔を持つことも知らずに「無垢で汚れを知らない」と決めつけて一方的に好意を寄せるのも印象的だ。「俺が舞に合わせるんじゃなくて、舞が俺に合わせるべきじゃね?」「もっと外見を磨いて自己肯定感を高めた方がいい」「俺なら舞を幸せにできる」と金に物を言わせようとうそぶく。富裕層の立場から、世の中が平等ではないことを空気のように甘受しているキャラクターなのだ。
しかし、ヨウコだけはそうした不平等な階層構造を関知しない。「運ばれてくるときはみんな違う人間、違う命、なのに死ぬとき、命が消えるとき、皆一緒じゃ」と語る彼女は、命の危険にさらされた人間を前にして、誰しもを分け隔てなく「平等に雑に助ける」。
母親からネグレクトされ、母親のパートナーによる性加害から逃れてきた家出少女のマユ(伊東蒼)は、歌舞伎町の階層構造の中では限りなく底辺に追いやられた存在だ。そんな彼女を、ヨウコは「おめえ死んだら、ぼっけえ悲しい」「わしがおる限り命は助ける。何べん死のうとしても絶対助ける」と、力強くその生を丸ごと肯定する。マユがヨウコに惹かれて、家でも学校でもないサードプレイスとしての聖まごころ病院を居場所に選ぶのは、二元論に収まらないクドカン脚本らしい。
そして、そんなヨウコの姿勢に享もまた感化されていく。外科医以外を下に見る医者の家系に生まれた暗黙のヒエラルキーの中で、命に関わる仕事ではない美容皮膚科医に負い目を感じていた享。だが、「命ある限り美しくありたい。それが人間。じゃけんおめえも立派な医者じゃ」とヨウコに言われ、そのアイデンティティを認められたように感じて救われるのだ。