8月17日に池袋シネマ・ロサでたった1館のみの上映がスタートした映画『侍タイムスリッパー』が、ものすごいことになっている。8月30日の時点では川崎チネチッタとあわせて上映劇場は2館のみだったのだが、ギャガが配給に加わり、9月13日より62館と一挙に増えたのだ。9月27日より上映館は全国139館以上にまで拡大する。
もちろん、それは観客からの圧倒的な口コミのおかげだ。レビューサイトでの評価は拡大公開後も映画.comで星4.4 / 5、Filmarksで星4.1 / 5をキープし、「あっぱれだった」「殺陣(たて)のシーンは2024年のベスト」といった絶賛の声が相次いでいる。そのムーブメントも含め、2024年の映画における最重要作でもあるだろう。
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わかりやすい王道のエンターテインメントで、万人に勧められる
あらすじは単純明快。「幕末の侍が京都の時代劇撮影所にタイムスリップして、斬られ役として奮闘する」というものだ。その時点で、「人におすすめしやすい」ことが本作の大きな強み。タイトル通りに「侍がタイムスリップ」する内容から、マンガおよび映画『テルマエ・ロマエ』のように、文化がはるか先に進んだ世界に戸惑う「カルチャーギャップコメディ」の面白さがあるのは、ほぼ保証済みなのだから。
侍が現代にやってくる設定を取り出せば、過去には小説および映画の『ちょんまげぷりん』もあるし、もちろんそれ自体に目新しさはない。だが、後述する全ての要素がハイレベルで、その期待通りの面白さを突き詰め、エンターテイメントとして「王道」な作りとなっているのだ。
そのキャッチーさ、および内容のわかりやすさから老若男女におすすめできるし、時代劇に親しみのあるご年配の方であれば、その溢れんばかりの「愛」に感動するのではないか。時代劇が、斜陽どころか作られなくなってきている現状(劇中ではガラケーを使っており2007年の設定)を踏まえてなおも、時代劇の素晴らしさを信じている言葉は、時代劇をよく知らない人にも届くはずだ。
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『カメラを止めるな!』と符合する要素
超小規模の公開だったインディーズ映画ながら、SNSでの口コミで上映劇場が劇的に拡大したことから、『カメラを止めるな!』を思い出す人は多いだろう。そのムーブメントや、笑えて泣けるコメディドラマであること以上に、『カメラを止めるな!』と『侍タイムスリッパー』は符合するところが多い。
第一に、「カメラを回して作品を撮る」構造があることだ。『カメラを止めるな!』はゾンビ映画に、『侍タイムスリッパー』は時代劇に挑む様がそれぞれ面白く、何より俳優やスタッフの奮闘が、そのまま劇中の役にシンクロしている。ある種メタフィクション的な構造をもって、現実にもいる映像作品の「作り手」に敬意と愛情を捧げているのだ。
また、『カメラを止めるな!』は「ゾンビ映画」というジャンルだけを取り出せば残酷で人を選びそうにも思えるが、作品構造上「血も血糊の作り物ですよ」と示すアフターケアがあるおかげもあって、子どもにもおすすめできる内容となっていた。
今回の『侍タイムスリッパー』は前述した通りのキャッチーさのためにさらに老若男女に勧めやすいのだが、一方で容赦なく斬り合う侍の残酷さに向き合う場面もあり、それを映像作品として作る上での、いい意味での「正しくなさ」を含めて提示している。それに付随する終盤のとある演出は驚ける以上に、「創作」にまつわる物語を提示する上で非常に重要な視点を与えてくれる。
しかも、創作上で映し出される血もまた重要であり、異なる理由でありながらも「カメラを回し続ける」と宣言する様も一致している。実際に『侍タイムスリッパー』を手掛けた安田淳一監督は「『カメラを止めるな!』を目指して作った」とも語っており、間違いなくそのトリビュートでもあるのだ。
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山口馬木也を筆頭とした俳優陣の素晴らしさ
『侍タイムスリッパー』で語らなければならないのは俳優たちの魅力だろう。「俳優全員が全員とも役にハマっていて、本作をきっかけにこの後の活躍も見たくなる」のも『カメラを止めるな!』と共通している。
何より、主人公である高坂新左衛門を演じた山口馬木也は誰もが好きになれる、絶賛するのではないか。佇まいからして生真面目で朴訥とした侍にピッタリであるし、特に「ショートケーキのおいしさを知った時」と、続けての「テレビで時代劇を初めて見た時」のリアクションはあまりに素晴らしい。
そのギャップに笑えるだけでなく、侍の時代から現代の日本に向けての言葉はあまりに尊く、いかに時代劇が人の心を動かすのかとわかるその姿を見て、もらい泣きする人もいるのではないか。映画を観終われば、山口馬木也本人が「この作品、この役との出会いに感謝。役者を続けてきて良かった」と語る意味もきっとわかるだろう。
その他にも、作品のクオリティを上げるためのアイデアを意欲的に提案した大物俳優の貫禄がたっぷりな冨家ノリマサ、実際の撮影でも助監督や制作や小道具などで活躍した助監督役の沙倉ゆうの、実際に斬られ役として活躍する傍ら「殺陣(たて)技術集団・東映剣会」の役員・会長を歴任する峰蘭太郎など、それぞれが強く記憶に残る役を演じており、やはり俳優本人が持つ資質や実際の奮闘が、劇中の役にもシンクロしていた。
なお、峰蘭太郎は、斬られ役の第一人者であり2014年の映画『太秦ライムライト』でも主演を務めた、2021年に逝去した福本清三に代わって、殺陣師役として白羽の矢が立てられたのだとか。出演を快諾後、その福本清三の墓前にて「先生の代役をつとめさせて頂きます」と報告した峰蘭太郎の存在感、殺陣の迫力にも注目してほしい。
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劇場でこそ味わい尽くせる映画である
俳優たちの奮闘はもちろんのこと、本格的という言葉を使うのも失礼なほどに、画や殺陣などの全てのクオリティーが、インディーズ映画では規格外だ。
公式サイトのイントロダクションにあるように、「自主映画で時代劇を撮る」という試みそのものが無謀なはずだ。それでも「脚本がオモロいから、なんとかしてやりたい」と東映京都撮影所が手を差し伸べたこと、10名たらずのロケ隊が撮影を敢行したこと、初号完成時の安田淳一監督の銀行預貯金は7000円と少しだった、というエピソードそれぞれを聞くだけで応援したくなるし、その身を削るような奮闘が、作品のクオリティーに結実し、圧倒的な高評価と拡大公開へとつながったことが心から嬉しくなる。
そして、本作は映画の醍醐味を、劇場という環境でこそ味わい尽くせる内容であることも強く推しておきたい。観客からクスクスと笑い声がもれるコメディならではの楽しさはもちろん、とある場面の「固唾を呑んで見守る」体験は、誇張抜きに『THE FIRST SLAM DUNK』に引けを取らない。改めて、この拡大公開という僥倖を噛み締めるためにも、機会を逃さずに劇場で見届けてほしい。
『侍タイムスリッパ―』

2024年8月17日公開
監督・脚本・撮影・編集:安田淳一
殺陣:清家一斗
出演:山口馬木也 冨家ノリマサ 沙倉ゆうの
撮影協力:東映京都撮影所
配給:ギャガ 未来映画社
宣伝協力:プレイタイム 南野こずえ
2024年/日本/131分/カラー/1.85:1/ステレオ/DCP
©2024未来映画社
■公式サイト https://www.samutai.net/
【ストーリー】
時は幕末、京の夜。会津藩士・高坂新左衛門は、密命のターゲットである長州藩士と刃を交えた刹那、落雷により気を失う。眼を覚ますと、そこは現代の時代劇撮影所。行く先々で騒ぎを起こしながら、江戸幕府が140年前に滅んだと知り愕然となる新左衛門。一度は死を覚悟したものの、やがて「我が身を立てられるのはこれのみ」と、磨き上げた剣の腕だけを頼りに撮影所の門を叩く。「斬られ役」として生きていくために…。