来る6月7日、OGRE YOU ASSHOLE主催のイベント『””DELAY2025″”』が、バンドの拠点でもある長野県・原村にて開催される。出演者にはOGRE YOU ASSHOLE、活動休止を経て待望の復活を果たしたD.A.N.に加えて、Corneliusが名を連ねる。
なんとも嬉しい組み合わせだが、特に、OGRE YOU ASSHOLEとCorneliusの共演は初となるだけに、多くのファンが期待に胸を躍らせていることだろう。一方で、その共演の知らせに、やや驚きの感を持った方もいるかもしれない。近そうで遠い、遠そうで近い両者の音楽が重なる場所、あるいは重ならない部分があるとすれば何なのか。
以下、編集部たっての希望で実現した、実にレアな対談をお届けしよう。お互いの出会いや音楽遍歴、「サイケデリック」観について会話を交わすうち、気が付けば、今現在世界に大変革を起こしつつあるAIのテクノロジーについてのごく根源的な議論が展開されることとなった。
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OGRE YOU ASSHOLEとCornelius、両者の距離を繋ぐもの
―お二人とも既に面識はあるんですよね。
小山田:初めで会ったのはもう10年以上前かな。salyu×salyuのサポートで出たROVOの日比谷野音のライブ(『MDT Festival 2013』)に、OGRE YOU ASSHOLE(以下、オウガ)も出てたんだよね。
出戸:そうでしたね。でもその日ほとんど話はしてなくて。ステージでの共演となると、今回の原村の『””DELAY2025″”』はそのときぶりになります。
小山田:そうだね。その後、坂本(慎太郎)くんのライブとか、彼がゲストで出たYo La Tengoの来日公演を観に行ったとき、打ち上げで一緒になって話したり。
―小山田さんがオウガの存在を最初に認識したのは、野音よりも前ですか?
小山田:多分、当時オウガのプロデュースをしていた石原洋さん(※)に教わったのが最初だと思います。たしか、“ロープ”のビデオを見たんじゃないかな。
その映像がジェームス・ホイットニーっていう初期コンピューターグラフィックスの映像作家のオマージュになっていて、曲を含めてすごくいいなと思ったんです。石原さんとはあの作品で初めて組んだんだっけ?
出戸:その前のEP『しらないあいずしらせる子』(2008年)から関わってもらってはいたんですけど、最初はお互い探り探りで。“ロープ”が入っているアルバム『homely』(2011年)のタイミングから、石原さんが聴いてきたような音楽に僕らも本格的に興味を持つようになって、もっと深いレベルでプロデュースをしてもらうようになったんです。
※2008年から2015年にかけてOGRE YOU ASHOLEを手がけたプロデューサー。自身のバンドWhite Heaven、The Starsでの活動や、ゆらゆら帝国のプロデュースでも知られる
―小山田さんは石原さんとはいつ頃から繋がりがあるんですか?
小山田:もう15年以上前かなあ。坂本くんに誘われたDJイベントに石原さんも出ていて、それからよく喋るようになりました。1980年代には知り合う機会が全然なくて。当時、石原さんは明大前のモダーンミュージックの店員もやってたでしょ。僕らがよく行ってたのはZESTだったから、言ってみれば、界隈がちょっと違ったというか。
―あちらが「アンダーグラウンド」で、こちらは「インディー」という垣根が。
小山田:そんな感じがありましたね。高校生の頃はモダーンミュージックにも一応行ってはいました。前衛的なものが推されている横で、もっとポップなニューウェーブ系とかは叩き売りされていたから(笑)。そう考えると、その当時に石原さんとは客と店員として会ってた可能性もありますね。

―出戸さんがCorneliusの存在を知ったのはいつ頃ですか?
出戸:近所にUSインディー系のCDをたくさん扱っている店があって、そこで高校生の頃に「Matador」(※)のコンピを買ったんです。それで、「ここに入っているCorneliusって、どうやら日本の人らしいぞ」と気付いて。
小山田:へえ、「Matador」経由だったんだ。
出戸:そうなんです。それですぐに『FANTASMA』(1997年)を買いました。聴いてみたら「これはかっこいい」と。その後、『POINT』(2001年)と、MV集の『FIVE POINT ONE』(2003年)もリアルタイムで買って。大学生の頃、DVDを見て「これがサイケデリックか……」と思ったりしていました。
※米NYの名門インディーズレーベル。Pavement、Yo La Tengo等をはじめ、Cornelius、ピチカート・ファイヴ、ギターウルフといった日本のアーティストの作品もリリースしていた
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「インディーロック」への感覚から浮かび上がる差異
小山田:USインディー以前にも何か洋楽を聴いたりしてたの?
出戸:親父がThe Beatles世代で、ロックは一応聴いてました。でも、割とすぐにNirvanaとかBeckとか、オルタナ系にいったので、ベースにはそういうインディーロックがある感じです。
小山田:そうなんだ。僕はBeckとかカート・コバーン(Nirvana)とかと同じ世代だから、自分が若い頃は、彼らが憧れていたようなもっと上の世代のものを聴いてた。多分、スティーヴン・マルクマス(Pavement)も、僕と同じでEcho & the Bunnymenとか大好きなんじゃないかと思うんだけど。
1980年代から1990年代頭あたりまでは、UKをたくさん聴いてたけど、出戸くんと同じで、1990年代半ば以降はUSが面白くなってきた感じですね。

1969年東京都生まれ。1989年、フリッパーズギターのメンバーとしてデビュー。バンド解散後、1993年、Corneliusとして活動開始。2023年6月、7thオリジナルアルバム『夢中夢 -Dream In Dream-』を発表。同年10月より開催された『AMBIENT KYOTO 2023』に参加し、カセット作品『Selected Ambient Works 00-23』をリリースした。2024年に活動30周年を迎え、6月26日に近年発表してきたアンビエント色の強い作品を中心に再構築した作品集『Ethereal Essence』を発表。自身の活動以外にも、国内外多数のアーティストとのコラボレーションやリミックス、プロデュースなど幅広く活動中。
―逆に、出戸さんは1980年代当時に小山田さんが聴いていたようなネオアコ、ネオサイケ系は通ってない?
出戸:うーん、あんまり聴いてないかな。
小山田:そのあたりって、僕より下の世代の音楽ファンの関心から抜け落ちている感じがする(笑)。いろんなところで話しているけど、特にEcho & the Bunnymenの今の人気の低さにはビックリするところがあって。The CureとかU2と同格か、もしかするとそれ以上でしたからね、当時の人気は。
出戸:あんまりピンとこないかもです。
―出戸さんはきっと、リアルタイムより前のUSインディーものは後追いで聴いていますよね。例えばHüsker Düとか、Minutemenとか……。
出戸:そこまでたくさん聴いたわけじゃないけど、UKに比べればそうですね。特に好きだったのは、Fugaziかな。
小山田:同じイアン・マッケイでも、僕はその前のMinor Threatに影響を受けている世代。高校の頃、Minor Threatのコピーもやってましたから。
―そういう世代間の関心の違いって、細かい話と思いきや、個人の音楽観の形成っていう意味でもかなり重要ですよね。例えば、出戸さんとか僕の世代にとっては、スティーヴ・アルビニは既に「名プロデューサー」っていう感じだったけど、小山田さんにとっては……。
小山田:それより先に「Big Blackの人」というイメージ。
―ちなみに、初期のオウガにとって最大のインスピレーション源になっていたのって、どんなアーティストだったんですか?
出戸:Thinking Fellers Union Local 282っていうアメリカ西海岸のローファイ系のバンドですかね。ごく狭い友達の間で、異様に人気が高くて。
小山田:知らないバンドだ。
出戸:ライブを始めてまだ間もない頃にPANICSMILEと対バンしたときに、石橋英子さんに「(Thinking Fellers Union Local 282に)似てるね」って言われたのを覚えてます。

メロウなサイケデリアで多くのフォロワーを生む現代屈指のライブバンドOGRE YOU ASSHOLE。00年代USインディーとシンクロしたギターサウンドを経て、サイケデリックロック、クラウトロック等の要素を取り入れた「homely」「100年後」「ペーパークラフト」のコンセプチュアルな三部作で評価を決定づけた。『FUJI ROCK FESTIVAL』では、WHITE STAGE(2014年)、RED MARQUEE(2022年)のステージにそれぞれ出演。2024年9月、新作『自然とコンピューター』をリリースした。
―Modest Mouseの存在も大きいですよね? バンド名の由来にもなっているというエピソードがありますが。
小山田:へえ、そうなんだ。
出戸:Modest Mouseが松本に来たとき、当時のドラマーの腕に「Ogre You Asshole」ってサインをもらったんです。なんでそんなことを書いたのかは未だによくわからないんですけど(笑)。ちょうど2週間後にライブが決まっていたので、じゃあこれをバンド名にしちゃおうか、と。
小山田:かっこいいエピソードだな。
―Modest Mouseには、2006年から2009年にかけて、小山田さんのヒーローでもある元The Smithsのジョニー・マーが在籍していましたよね。加入のニュースが流れたときにはかなり驚きました。
小山田:そうそう。ジョニー・マーがModest Mouseに在籍していた当時、彼らが出る『All Tomorrow’s Parties』にCorneliusも出演したことがあって。
出演者みんなで同じコテージエリアに泊まるんだけど、朝、歯を磨いていたらジョニー・マーが目の前を歩いていて、「うわ!」ってなった思い出があります(笑)。その後にもちらっと会ったことあるんですが、兄貴肌のめちゃくちゃいい人でした。
出戸:実は僕、前にジョニー・マーと対談(※)したことがあって。初期のオウガのことを気に入ってくれてたみたいで。
小山田:いいな、すごい。
出戸:そのときに、僕らのことを「45回転で再生したCANのようだ」って言ってくれたんです。
小山田:おお、さすが。
出戸:その頃は、CANとかドイツの音楽も一応聴いていたにせよ、そもそも自分たちがやれるタイプの音楽とは思ってなかった時期で。
※2010年に『COOKIE SCENE』のウェブサイトに掲載、現在は閲覧不可
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「サイケデリック」観、クラウトロックへの関心という共通点
―そのあたりの音楽に本格的に接近するようになったのは、さっきも話に出た『homely』頃からですか?
出戸:そうですね。それまでは4〜5分くらいの曲が多かったんですけど、石原さんにいきなり「倍の長さで演奏して」とか言われて(笑)。ちゃんと間が持つのかな……と思いながらやっていたんですけど、何度もやり続けてプレイバックを聴いているうちに面白さがわかってきて。
小山田:やっぱすごいね、石原さん。
―小山田さんはそのあたりのドイツのロックはいつ頃から聴いているんですか?
小山田:夢中になって聴いたのは20代後半の頃かなあ。でも、それ以前から断片的に聴いてはいて。CAN関連だと、スネークマンショーの『死ぬのは嫌だ、恐い。戦争反対!』(1981年)に入っていたホルガー・シューカイの“Persian Love”が最初だったと思います。
当時は、変なラジオの音が入っているなあってギャグの一環として聴いていたんだけど、大人になってからCANを聴いて、「ああ、あれってCANの人だったんだ」と。
―思わぬところで少年の頃の記憶が蘇ったという。
小山田:そうそう。でも、ハマった順番ではNEU!のほうが先でした。『FANTASMA』のアメリカツアーで、高速バスで移動しながらイヤホンで聴いていたんですけど、窓から見える風景とすごく合うんですよ。同じような風景が延々続いて徐々に変化していく感じが、NEU!の音と完全にシンクロしたんです。
出戸:わかります、風景と音の重なり合いで妙にフィットすることってありますよね。ドイツの音楽に限らず、テリー・ライリーとか、ああいうミニマルな音楽が、コードやメロディー、構成、歌詞を中心にした音楽観とは違うもっと空間的な部分に着目するきっかけを与えてくれたところもありました。
小山田:自分が『POINT』に向かう中でも、やっぱりそういう感覚の変化はあったね。
出戸:実際、僕が初めて『POINT』を聴いたときにも、普段の音楽とは違った聴き方をしているなという感覚がありました。さっきも言いましたけど、これこそがサイケデリックっていうことかも……と。
―「サイケデリック」も、両者の音楽を語る際の重要なキーワードだと思います。
小山田:自分の場合、特に『FANTASMA』の時期は自覚的にサイケデリックなものをやろうとしていたところがあって。1960年代後半のThe Beach Boysとか、The Millenniumとか、Os Mutantesあたりにすごく影響されました。
―いわゆる「サイケ」の中でも、より構築度が高かったり、特殊な響きを持つのに惹かれたということですかね。
小山田:まさにそうです。
―出戸さんは?
出戸:僕は元々父親やまわりの大人たちがヒッピーカルチャーに若い頃から影響を受けてきた人たちだったので、ジミ・ヘンドリックスとかCreamとか、その時代の「サイケ」とされる代表的な音楽を子どもの頃から耳にしてはいて。
でも身近だった分、既に固定されたスタイルとして存在している印象が強くて、むしろ当時は親父からの逆影響でヒッピー的な音楽は避けてました。でも『FANTASMA』や『POINT』から感じたサイケデリアは、そういう世界とは違うものだったんですよね。一般的に言われる意味での「サイケ」とか「ヒッピー」的なものへのカウンターとして響いてきた。
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シンセサイザーの扱い方、ステージの作り方の違いから浮かび上がるもの
―シンセサイザーの多用というのも両者の共通点として挙げられると思っていて。特にオウガは、近年になってアナログシンセを多用していますよね。
出戸:元々ドラムの勝浦(隆嗣)さんがシンセ好きでいろいろ持っていたんですけど、コロナ禍でまた収集熱が出てきたんです。僕も同じタイミングでMini MOOGとかSEQUENTIALのOB-6とか、いくつか買ってみたり。そこから録音やステージで使う機会が増えていった感じです。
―Corneliusはライブだとベースの大野由美子さんがMOOGを弾いてますが、録音でアナログシンセを使うことは今でもあるんですか?
小山田:今はほぼ使ってなくて、ソフトシンセがメインです。前はデカいMOOGを使ったりしたけど、単純に古いアナログシンセってメモリーの機能がないから、次の日には音が変わっちゃうじゃないですか。録音の場合、あれが地味に大変で(笑)。
出戸:僕らは逆にその面倒くささが好きかもしれないです(笑)。
小山田:ライブのときはシンセで録った素材を同期させてるの?
出戸:同期はほとんどしてなくて、実際にステージ上でフレーズを鳴らし続けて、その上にバンドが乗っていくイメージですね。クリックを使うとスクエアなグルーヴになってしまう気がしていて。ステージでは、あくまでバンドの演奏を軸にやっています。
―Corneliusのライブではクリックをモニタリングしているんですよね。あらゆる要素がジャストでキマっていて、毎回驚かされます。
小山田:僕らのライブの場合、映像との同期も必要になりますからね。頭からお尻までワンセットでクリックや映像を全部作っちゃって、ポンと出してます。曲間も全部決まっているから、MCする隙もなくて。
最初の頃はVHSのテープにクリックを入れてガチャンと再生ボタンを押すっていうやり方。そこから紆余曲折を経て今の形にたどり着きました。
―その点、オウガのライブはシンセを使う場合でも都度勝浦さんが操作してキューを出してますよね。
出戸:クリックを使わないのもそうなんですけど、僕らはそもそもそこまで演奏が達者じゃないので、完全に同期させるとすごく硬いアンサンブルになってしまうんですよ。その点、Corneliusの演奏は本当にすごいな、と。
小山田:すごいかな。頭からお尻まで身を任せてればいいから楽といえば楽だけど(笑)。
―今回の原村の『””DELAY2025″”』でも、Corneliusは映像と照明込みで乗り込むんでしょうか?
小山田:そのつもりです。実は、照明をやってくれている高田(政義)くんの実家が会場からすぐ近くなんですよ。だから当日に向けて相当張り切っているみたいです。
出戸:Corneliusの出演時間は日が落ちてからなので、そのあたりもすごく楽しみです。