和歌山毒物カレー事件を多角的に検証したドキュメンタリー映画『マミー』が公開された。映画では、犯人と目された林眞須美が、夫・林健治とともに犯した保険金詐欺事件との関係が読み解かれ、確定死刑囚の息子として生きてきた林浩次(仮名)は、母の無実を信じるようになった胸中を打ち明ける。私たちは「あの事件」の何を知り、何を知らないのか。ライターの武田砂鉄がレビュー。
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ポップに消費されるように仕向けられた、和歌山毒物カレー事件
映画の推薦コメントを書いたり、こうしてレビューしたりする時には、基本的に「観て欲しい」との気持ちを込める。でも、記事を読んでくれても大半の人は観ない。この記事だってそうだろう。これを読んだところで観ない。別の映画を選ぶかもしれないし、これだけ暑いんだから、家でじっとしているかもしれない。無理はさせられない。
映画の中でもドキュメンタリー映画のコメントを書く機会が多いが、コメントをいくつか考えた上で、どれがいいのか、いつも迷う。どのように迷うのか。もうちょっと大胆でわかりやすいコメントのほうがいいのだろうか、との迷いである。「衝撃の結末」「感涙必至」「映画館を出た後、あなたの見える世界が変わる」、こんな感じで、精一杯盛ったほうが観に行ってくれるのだろうか。
でも、自分が「観て欲しい」と感じるドキュメンタリー映画の多くは、明確な善悪や喜怒哀楽ではなく、「グラデーション」を描いているものが多い。揺れ動きを捉える。撮影者が戸惑い、被写体が戸惑い、戸惑いが重なり合い、鑑賞者も戸惑う。一体、これはどういうことなのだろうかとの思いが高まったところで、映画館の外に放り出される。この『マミー』もそうだ。
1998年に起きた、和歌山毒物カレー事件。夏祭りで提供されたカレーにヒ素が混入しており、67人がヒ素中毒を発症、小学生を含む4人が死亡した。「どんな事件だったか」よりも「どんな犯人だったか」が強烈に記憶されている。逮捕された林眞須美はメディアの執拗な取材を牽制するように自宅から外に向かってホースで水を撒いた。事件当時、自分は高校生だったが、学校の校庭のスプリンクラーが作動すると、誰からともなく「林眞須美!」と声があがった。それくらいポップな存在だった。多数の人が亡くなった事件なのに、ポップに消費されていた。テレビメディアを中心に、そうやってポップに消費するよう、仕向けられていたのだ。

今から15年前の2009年、最高裁で死刑が確定したが、林は無実を訴え続けてきた。自分が編集者をしていた頃、昨年亡くなられた作家・鈴木邦男と一緒に仕事をしていたが、彼から何度か和歌山毒物カレー事件の話を聞いた。鈴木は「眞須美さんを支援する会」の代表を務めており、再審請求を支援する活動をしていた。スプリンクラーを見て林眞須美だと茶化す学生生活を送っていた自分は、彼から経緯を聞いたり、文章を読んだりしながら、事件に対する土台の立て直しを迫られた。立て直し、というか、土台そのものが成立していなかった事実を突きつけられたのだった。

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なぜ、逃げるのか。なぜ、カメラの前で語らないのか。
今回の「マミー」にも推薦コメントを寄せた。いくつか送り、どれか使ってくださいと担当者に委ねたところ、採用されたのは、「多くの人が『その話はもうやめてくれ』と逃げる。なぜ、逃げるのか。なぜ、カメラの前で語らないのか。各人の後ろめたさが渦となりながら問いかけてくる」だった。この「逃げる」については後述する。
その他に送っていたコメントの一つがこれだ。「何をどこから見ても死角が生じる。ならば、死角を確認する。探る。この事件は死角が放置されている。なぜそのままなのか」。私たちは、ホースで水を撒いた林眞須美を知っている。そして、その林がカレー鍋にヒ素を入れたことを知っている。知っている? 本当に? どこかの監視カメラ(防犯カメラ)に彼女の姿が映り込んでいたわけではない。林がカレー鍋にヒ素を入れた裏付けとなっているのは「目撃証言」と「科学鑑定」。この映画でまず明かされるのは、目撃証言の不安定さ。当初、ここから見ていました、と証言した場所からは鍋が見えないとわかった。すると、見ていた場所が変わった。

〝変わった場所〟からも全てが見えるわけではなかった。そこには死角がある。ならば死角を調べなければいけない。そこには誰がいたのか、いなかったのか、何が置いてあったのか、置いてなかったのか。でも、この事件ではそれが十分になされていない。林眞須美が取材陣に向かってホースで水を撒けば、地面が水に濡れる。水をかけられた人がいれば、服や肌のどこが濡れたかわかる。それを知っている。だから、「実際には、林眞須美はホースで水を撒いていない」と言う人はいない。いたら、映像を突きつければいい。写真を並べればいい。では「林眞須美はカレー鍋にヒ素を入れた」はどうか。突きつける映像はあるのか。写真はあるのか。

自分がコメントに書いたように、当時、捜査にかかわっていた人たちが、こぞって現時点での取材を断る。「その話はやめてくれ」と逃げる。なぜだろう。ヒ素を混入して複数人が亡くなった。凶悪犯罪である。二度とあってはならない事件について、なぜ語らないのだろう。この映画の、メインキャッチコピーは、「母は、無実だと思う。」だ。息子がそう語る。
「無実だ」ではなく、「無実だと思う」。彼自身の揺れ動きを捉えていく。時折、撮る側も感情を抑えられなくなる。「あの人」が起こした「あの事件」についてのドキュメンタリー。私たちは「あの人」を知っているが、実は「あの事件」を知らない。「衝撃の結末に、感涙必至、映画館を出た後、あなたの見える世界が変わります」、そんな言葉を並べれば、観に行ってくれるだろうか。それとも、あんな事件のこと、今さら改めて知りたくないよと、そのままにするのだろうか。

映画『マミー』

2024年8月3日(土)より東京 シアター・イメージフォーラム、大阪 第七藝術劇場、ほか全国順次公開
監督:二村真弘
プロデューサー:石川朋子、植山英美(ARTicle Films)
撮影:髙野大樹、佐藤洋祐
オンライン編集:池田聡
整音:富永憲一
音響効果:増子彰
音楽:関島種彦、工藤遥
製作:digTV
配給:東風
2024 年/119 分/DCP/日本/ドキュメンタリー
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