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映画の外にある、自分の人生を思い出して感動してほしい
高木:映画ってそういうもので、自分の人生に照らし合わせて、この角度から観たらめちゃくちゃ感動してしまうという解釈が自分の中に起こらないと、参加できない。
ーそれが『違国日記』では槇生が嫌いだったお姉さんと一緒に暮らせた物語で、『キッチンから花束を』では、お母さんの物語。
高木:そうなんです。もちろん解釈がなくても、漠然とそのシーンに合う音楽は作れますよ。例えば、このシーンだとこれくらいのリズムでこういう音が鳴っていればストーリーは追えるし観ていられる、というものにはなるけど、それって二重表現になるんです。映像やセリフで表現していることを音楽で二重に表現するくらいなら音楽は要らないと思っています。時間をかけてわざわざ音楽を作るなら、僕も、俳優として参加しているぐらいわくわくしながら曲を作りたい。たとえば、急に「さあ、歌って!」と言われても、自分の中に「これを歌いたい」という気持ちがないと歌えないじゃないですか。
ーはい。
高木:それと同じで、もしこの映画がなかったとしても、自分はこう歌いたい、という想いが出てこないと曲はできない。だから本当の脚本と僕が作った物語の2つのレイヤーが生まれるんですね。別の脚本が1冊書けるくらい。そうすることで映画の外にある、自分の人生を思い出す余白ができて、映画と自分の人生がごちゃまぜになって感動するみたいな状態にしたい。僕が映画を観て感動するときは、そういう感じなんです。それが一番質の高い感動だと思っていて、それを起こさせる作品が一番いい作品だと思っています。

ー作品がトリガーとなって自分の中にあるものが出てきて、感動になるわけですね。
高木:そうです。そうするともはや、映画とか関係なくなる。「今すごく感動しているからそのまま、映像とか音楽を無しにして、そのまま感動の先にあるものを知りたい!」と思い始めます。
映画の中身はいくら考察しても、人が作ったものだから何でもないんですよ。映像美とか構図とか、技術的なことよりも、その映画を観たときに自分の記憶が引っ張られて出てくる感動にこそ大きなよろこびがある気がしています。感動は、自分の中にも引っかかる何かがないと起こらないですから。
ーたしかにそうかもしれないです。
高木:映画だけでなく、誰かに、自分が忘れてしまっているような深い記憶を開いてもらえるとめちゃくちゃ嬉しい。これまで自分が経験してきたことって、どんどん忘れてしまっているじゃないですか。とてもじゃないけれど覚えていられない。でもほんとうは思い出し方を知らないだけで、全部自分の中に残っているのではと。子育てをしていると、毎日のように忘れていた記憶が蘇って面白いですよ。例えば、中学生の頃に父親をものすごく怖い人と感じてしまって、それ以来、生まれてからずっと父親は怖かったと思い込んでいました。でも自分の息子と過ごしていると、父親との楽しかった記憶ばかり思い出すんですね。当たり前ですけれど、きちんと楽しい時間がたくさんあったんです。忘れていた記憶が身体の中に全部残っていると気づくのは、この上ないよろこびですよ。
後編は後日公開
高木正勝『マージナリアVI』

オリジナル発売日:2024年11月27日
Blu-spec CD2価格(税込):¥3,300
LPレコード<完全生産限定盤>:¥5,720