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大勢の中の1人として声を出すタイミングがたくさんある
─歌や踊りが、生活の中にかなり密接に組み込まれている感覚がありますか?
コムアイ:ずっと歌ったり踊ったりしているなあと思います。とにかくお祭りが多いんですよ。一番大きいのは3月のカーニバルですね。リオが有名ですけど、バイーアはリオとはまた違って、もっとライブが主体なんです。動いているトラックの上でライブをやっていて、それを露出度高めの大人たちが歌い、踊り、飲みながら追いかけます。自治体がやっている音楽フェスみたいなものも2、3週間おきぐらいにあるし、カンドンブレの大事なお祭りもあったりして、イエマンジャという海の女神のお祭りのときは、海沿いでみんなぎゅうぎゅうになってパレードしていました。
コムアイ:ちっちゃい音楽イベントやパレードもしょっちゅうあって、みんな練習を道端でしているから、常にどこかで音が鳴っている感じがします。太鼓の音がよく聞こえてきて、カンドンブレの儀礼の中で神がかりをするときも、アタバキという太鼓と歌で、神様が入ってきたのを踊らせたり遊ばせたりするようなのが目に焼き付いています。
─そういう環境の中で、コムアイさん自身の中には、どんなふうに歌が存在していますか?
コムアイ:カポエイラをやるときって、輪になりながら、みんなで声や生楽器で音を出して場をつくるんです。まだへたっぴなんですけど、みんなに混じって歌っていますね。地声っぽい、音程よりもノリを掴むことが大事そうな歌い方が特徴です。ブラジルにいると、大勢の中の1人として声を出すタイミングが日本よりたくさんあるなと思います。
─カポエイラ以外だとどんなときに声を出すんですか?
コムアイ:カエターノ・ヴェローゾとマリア・ベターニアのライブに行ったんですけど、そのときも、みんな合唱していました。音楽があったら、自分から声が出ちゃうから止められないみたいな感じで、とにかく全力で歌っていて。音程もあんまり気にしていないし、上手い人も下手な人もいるけど、それこそが厚みになって、いい合唱になっている感じがします。誰かの真似じゃなく、みんなが自分の声をばらばらのまま出しているから、歌が一つにまとまっていないんです。でも、だからまとまる。耳からあったかいものが入ってくる感じですごく感動して、いまでもその声が残っています。そういうのが嫌だというブラジルの人もいると思うんですけど、私はあのライブ中の熱唱が好きで。1人が目立つわけじゃなくて、みんなの声が一体になっているのに窮屈じゃない感じがするからかも。
─奴隷制や移民の歴史があるなかで成り立ってきた国のありようと、それぞれの歌がばらばらのまま分厚く存在している情景を重ねてしまうところがあります。
コムアイ:本当にそう思います。カエターノ・ヴェローゾとマリア・ベターニアのライブに来ている人たちも、いろんなトーンの肌や髪の人がいて、性別もそれぞれだし、違ったルーツを持った人がみんな「ブラジル人」として同じ歌を歌えるってすごいなと思いました。いまはカンドンブレも西洋にルーツがある信者の人がいっぱいいて、重要な役割を担っていたりもするんです。カポエイラにしても、私たちが通っているところは、私たちのようなアジア人を含めて、すごくいろんな属性の人が来ています。もともと奴隷として働かされていた人たちが、抵抗の意味を持って培ってきた文化を、いろんな属性を持つみんなでやっている状況に心打たれるんです。
いま、ひどいことがいっぱい起きているなかで、虐殺で殺された人や、戦争で死んでしまった人の命は取り返しがつかないけれど、虚しい歴史からどうにかして美しい文化を培い、抵抗してきた人々がいるということに、すごく希望をもらっています。
