2023年度の第96回アカデミー賞にてエマ・ストーン(Emma Stone)の主演女優賞ほか、4部門を受賞した『哀れなるものたち』(2023年)。監督のヨルゴス・ランティモス(Yorgos Lanthimos)は、ギリシャ時代から不条理劇の名手として作品を積み重ね、人が生きるか死ぬかの瀬戸際で見せる利己的な選択を見る側に鋭く突き付けてきた。ギリシャ、イギリス、アメリカと活動場所と作品規模を拡大させながら、その持ち味は削がれるどころかより鋭さを増している。
それを可能としている大きな要素としては、冒頭で紹介したとおり、ハリウッドで実力と人気を兼ね備えるエマ・ストーンとの蜜月関係が大きい。『ラ・ラ・ランド』(2016年)であれほど万人に愛される女優志望の女性を演じ、1度目のオスカーを手にしながら、その後は、一体全体、エマ以外、誰がこの役をやりたがるのだろうかと思うような毒と苦みのある役柄に挑戦し続けているのだ。ランティモスの想像の世界を楽しむかのように。
そして、ふたりの共犯関係は新作『憐れみの3章』でも爆発している。
※本記事には映画本編の内容に関する記述が含まれます。あらかじめご了承下さい。
INDEX
ランティモス初期作品に接近した『憐れみの3章』
エマとランティモスが過去に組んだのは、イギリスのアン女王の側近の座をめぐる女性たちの戦いを描いた『女王陛下のお気に入り』(2018年)と、自身の胎内にいた子どもの脳を移植されて性への好奇心の旅に乗り出す女性を描いた『哀れなるものたち』(2023年)である。両作において、セックスが愛し合う者たちの情愛の結晶というようなロマンティックな描き方は微塵もなく、ランティモスの映画はセックスがもたらすベネフィットを描いているところにえぐみがある。
だからといって、エマ演じる女性が誰かに強いられ、無理強いされた行為ではなく、セックスを自身の生き残る手段として前向きに、自ら積極的に選び取る行為として描かれているところが、フェミニズムの怒りの琴線を上手に触れずにいる理由で、脚本はともにトニー・マクナマラ(Tony McNamara)が担当している。
一方、『憐れみの3章』の脚本は、ギリシャ時代の『籠の中の乙女』 (2009年)にはじまり、『アルプス』(2011年)、『ロブスター』(2015年)、『聖なる鹿殺し』(2017年)とランティモスと長年組んできたエフティミス・フィリップ(Efthimis Filippou)が復帰している。 今作は3章からなるオムニバスで構成されているが、それぞれに因果関係はなく、独立した物語となっていて、エマ・ストーンをはじめ、ウィレム・デフォー(Willem Dafoe)、ジェシー・プレモンス(Jesse Plemons)など同じ俳優が全く違う人物を演じている。