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映画『憐れみの3章』を紐解く。シュールな世界観に隠された根源的な問い

2024.10.6

#MOVIE

2023年度の第96回アカデミー賞にてエマ・ストーン(Emma Stone)の主演女優賞ほか、4部門を受賞した『哀れなるものたち』(2023年)。監督のヨルゴス・ランティモス(Yorgos Lanthimos)は、ギリシャ時代から不条理劇の名手として作品を積み重ね、人が生きるか死ぬかの瀬戸際で見せる利己的な選択を見る側に鋭く突き付けてきた。ギリシャ、イギリス、アメリカと活動場所と作品規模を拡大させながら、その持ち味は削がれるどころかより鋭さを増している。

それを可能としている大きな要素としては、冒頭で紹介したとおり、ハリウッドで実力と人気を兼ね備えるエマ・ストーンとの蜜月関係が大きい。『ラ・ラ・ランド』(2016年)であれほど万人に愛される女優志望の女性を演じ、1度目のオスカーを手にしながら、その後は、一体全体、エマ以外、誰がこの役をやりたがるのだろうかと思うような毒と苦みのある役柄に挑戦し続けているのだ。ランティモスの想像の世界を楽しむかのように。

そして、ふたりの共犯関係は新作『憐れみの3章』でも爆発している。

※本記事には映画本編の内容に関する記述が含まれます。あらかじめご了承下さい。

ランティモス初期作品に接近した『憐れみの3章』

エマとランティモスが過去に組んだのは、イギリスのアン女王の側近の座をめぐる女性たちの戦いを描いた『女王陛下のお気に入り』(2018年)と、自身の胎内にいた子どもの脳を移植されて性への好奇心の旅に乗り出す女性を描いた『哀れなるものたち』(2023年)である。両作において、セックスが愛し合う者たちの情愛の結晶というようなロマンティックな描き方は微塵もなく、ランティモスの映画はセックスがもたらすベネフィットを描いているところにえぐみがある。

だからといって、エマ演じる女性が誰かに強いられ、無理強いされた行為ではなく、セックスを自身の生き残る手段として前向きに、自ら積極的に選び取る行為として描かれているところが、フェミニズムの怒りの琴線を上手に触れずにいる理由で、脚本はともにトニー・マクナマラ(Tony McNamara)が担当している。 

一方、『憐れみの3章』の脚本は、ギリシャ時代の『籠の中の乙女』 (2009年)にはじまり、『アルプス』(2011年)、『ロブスター』(2015年)、『聖なる鹿殺し』(2017年)とランティモスと長年組んできたエフティミス・フィリップ(Efthimis Filippou)が復帰している。 今作は3章からなるオムニバスで構成されているが、それぞれに因果関係はなく、独立した物語となっていて、エマ・ストーンをはじめ、ウィレム・デフォー(Willem Dafoe)、ジェシー・プレモンス(Jesse Plemons)など同じ俳優が全く違う人物を演じている。 

アメリカの様々な階級、浮かび上がる主従関係

唯一、3章ともに同じ名前、同じ人物として登場するのがヨルゴス・ステファナコス(Yorgos Stefanakos)演じるR.M.F.という中年男性で、彼は第1章「R.M.F.の死」、第2章「R.M.F.は飛ぶ」、第3章「R.M.F.サンドウィッチを食べる」と、各章のタイトルに掲げられるメインキャラクターとなっている。ヨルゴスの本業は役者ではなく、普段はギリシャで行政書士として働く人物で、劇中の出番は少なく、セリフもない。

例えば第1章では、上司レイモンド(ウィレム・デフォー)から、何もかも指示を受けることで豊かな暮らしを得ているロバート(ジェシー・プレモンス)が「車で、死に至るほどの衝撃で衝突するべき相手」として指定されるのがR.M.F.である。それまで、どんな理不尽なこともすべて受け入れてきたロバートがさすがに良心の呵責を得て、その指示にやんわりとした拒絶を表したところ、即座に所有するすべてのものを失ってしまう。 

(左から)上司レイモンド(ウィレム・デフォー)とロバート(ジェシー・プレモンス)

第2章では、海洋調査中に行方不明となった学者、リズ(エマ・ストーン)をヘリコプターで助けに行く男性がR.M.F.であり、文字通りリズの命の恩人になるのだが、リズの夫で、警察官のダニエル(ジェシー・プレモンズ)は妻が以前とは違う人物ではないかと疑惑を深め、ある日、とんでもない要求を妻に突きつける。 

抱擁し合うリズ(エマ・ストーン)とダニエル(ジェシー・プレモンズ)

そして第3章のR.M.F.は、カルト教団の教祖オミ(ウィレム・デフォー)から、死者を蘇らせる力を持つ女性探しを命じられたエミリー(エマ・ストーン)とアンドリュー(ジェシー・プレモンズ)の前に、死体安置所に収められた死体として登場する。 

このようにR.M.F.は、本人の知らないうちに、ほかの登場人物の人生を大きく変えてしまうフックとして機能する。ランティモスの映画には、強制的な主従関係を主題とした作品が多く、人のコントロール、マニピュレート(遠隔操作)、支配の受容というテーマが常に入り込む。今作では特に、第1章のロバートや、第3章のエミリーのような、自身の出自では一生かかっても手に入れられないであろう上級階級の豊かさを、ボスの指令に従うことで代替として得る人物の悲哀が強調される。

レイモンド(ウィレム・デフォー)と側近の女性(マーガレット・クアリー)

(右から)ロバート(ジェシー・プレモンス)と妻のサラ(ホン・チャウ)

各章短い時間ながら、アメリカの階級の様々な様相が描かれることで、身の丈以上のエッセンスを得ようとする人の懸命さが、ある人にとっては醜く映るかもしれないし、多くの人にとっては自分自身にもある富への執着を思い起こさせるかもしれない。

エマ・ストーンにフォーカスしてみると『女王陛下のお気に入り』と『哀れなるものたち』にあった、どんなに非業な状況でも自分自身で選択する女性像からはかけ離れており、むしろ、わが身を削って、理不尽な要求をするりと受容する、受け身の女性像を演じ、見る側にざわざわとした不快感を残す。なんという共犯関係か。 

掴みきれないランティモスの頭の中。描かれてるのは「優しさ」?

さて、この3章からなるこのオムニバス、映画のエッセンスをダイレクトに表した邦題の『憐れみの3章』とは対照的に、原題は『KINDS OF KINDNESS』という。え? まさか、優しさ(KINDNESS)の種類(KINDS)を描いた作品でしたか? ラストのクレジットを眺めながら、まったくヨルゴス・ランティモスの頭の中は、何度アクセスしても杳としてつかめない、またもや、やられたという笑いがこみあげてくる。 

しかしながら、『憐れみの3章』を見終わったとき、狐につままれるような思いをしても、大丈夫。なぜなら、主要人物のウィレム・デフォーもジェシー・プレモンスも撮影前に、今作はカミュの小説『カリギュラ』にインスパイアされて作ったとランティモスから説明を受けて、撮影のために読んだところ、それが何かしらの役に立ったかというとそうではなく、プレモンスに至ってはその情報は自分にとってはゼロだったとニューヨークタイムズの取材で答えているのだから。 

『カリギュラ』は、カミュの書いた不条理三部作のひとつで、ギリシャからイギリス、アメリカへと創作の場を拡大させてきたランティモスもまた、ギリシャ神話に通底する不条理劇を扱ってきた映画監督である。ランティモスは「優しさ」が人間関係にどのように相互作用し、時にはマニピュレート(操作的)な形を取ることがあるかをこの作品で示唆する。 

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