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わずか10秒に宿る、速さのリアリティ
─『チ。-地球の運動について-』で注目を集めている魚豊さんの原作を映画化することにプレッシャーは感じましたか? 監督の前作『音楽』がインディペンデントな作品だったのに対し、『ひゃくえむ。』は、大きなプロジェクトですね。
岩井澤:映画化のお話をいただいたのが4年くらい前で、『チ。-地球の運動について-』への注目が集まっている最中だったこともあり、徐々にプロジェクトが大きくなっていきました。
先ほど魚豊さんを「言葉の魔術師」と評したように、『ひゃくえむ。』にはぐっと来るセリフがたくさんあります。それにキャラクターたちが対峙して、会話するシーンが多い。素晴らしい言葉の表現でも、会話のシーンは画が変わらないので、映像でどう見せるかっていうのはとても苦労しましたね。言い回しが優れていても、映像にリズムがないと観客は飽きてしまいますから。魚豊さんに相談し、映像に合わせてセリフを微調整した箇所もあります。

─人物が口を動かしているだけでは、画的にマンネリになってしまうかもしれませんね。本作の大きなテーマである、「速さ」を表現するのも大変だったのでは?
岩井澤:そうなんです。スポーツの中でも、100m走は競技の時間がとても短い。ほんの10秒程度です。また、ただまっすぐ走るだけ、というとてもシンプルな競技なので、球技などに比べると表現が限られてしまうんですね。スポーツものってどんなストーリーラインがあるにせよ、試合のシーンが一番の見せ場にならないとダメだと考えているので、「速さ」をどう見せるのかというのは色々試して工夫をしました。
─具体的にはどんな工夫をされたのでしょうか?
岩井澤:今回は実写映像をフレームごとにトレースしてアニメーションを制作する「ロトスコープ」という手法を使いました。実写で撮ってそれを編集して、そこから余計なものを削ぎ落としていって、それをアニメにする。そうするとまた必要な箇所が見えてくるので、また追加して、というのを何度も何度も繰り返して。
僕はいわゆる一般的なアニメーションを撮ったことがないんですが、普通は最初にコンテを描いてそれを元にみんなでアニメーションにしていくので、「このシーン、いらないかもね」と、後から削ることは少ないと思うんですが、今作は実写映画のような作り方をさせてもらっているので、カットする箇所もありました。さらにはリアリティを追求するため、アジア陸上競技選手権大会で2連覇を達成した鵜澤飛羽選手など、一流のアスリートたちに協力をしてもらって撮影をしています。
─前作と比べて、スタッフの数も大きく増えたと思います。そのことにより変化はありましたか?
岩井澤:人が多くなる分、よりコミュニケーションをとらなければならないというのはあります。僕は円滑に自分の意図を伝えるのが苦手なので、そのことが原因で方向性を誤ってしまうこともありました。でも何より、自分だけでは作れないものをチームとしてなら作れるというのは大きな変化です。

岩井澤:また、アニメーションで水を描くのは本当に難しいので、できれば避けたいことの一つでもあるんですが、今回は、涙や雨といったシーンをとても印象的に仕上げることができました。それは優秀なスタッフがいてくれたからこそ。自分一人では絶対に実現できなかった表現です。