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coconogaccoに見出すオルタナティブ
―昨年にはcoconogaccoの生徒と一緒に、渋谷パルコで『cococuri』というポップアップを開催されていますね。
栗野:coconogaccoの生徒と一緒に何かを形にしたいと思ったのは、ファッションは決してお金と物が交換されて終わるものではないと僕は思っているし、誰かが有名になって終わるというものでもなく、ファッションが人々の生活を豊かにしたり誰かをハッピーにしてくれるものだと思っているからなんです。ファッションをやり続けることによって、少しでも世の中にポジティブをもたらす、あるいは少なくとも自分を救い、同じ苦しみを持った誰かに手を差し伸べるような表現や想いが、coconogaccoの生徒や山縣さんにはあるんだろうなと思います。社会とうまくなじめていないと感じている若者たちにとってのオルタナティブな道がそこにあることを感じます。



栗野:だからファッションとオルタナティブの関係で言うと、コレクションや展示会という目に見える形でアプローチするような現実化できている人たちもいれば、一方でcoconogaccoの生徒たちのように、まだ世に出てないけどひょっとしたら将来すごいことになるかもしれないと期待させてくれる次世代が多くいるということがうれしいんです。
―coconogaccoが毎年富士吉田で開催する展示を拝見して、生徒同士のコミュニケーションが本当に活発になされたうえで表現が生み出されたことが伝わってきました。ファッションという垣根を超えて、すごく勇気づけられる活動だと私自身も感じましたね。
栗野:山縣さんが有名になった一つに、「ぼくは0てん」という絵本がありました。彼自身も世間から見ればおちこぼれではあったけど、それでもやっぱり自己肯定したいじゃないですか。彼は大阪文化服装学院を中退したあとセントラル・セント・マーチンを卒業し、葛藤しながら活動を続けて自分の居場所を作ってきました。自分が苦労した分だけ次世代にもつなげたいと思ってる。先日までアーツ前橋で行った展覧会のタイトルも『ここに いても いい』。おそらく引きこもりの子や不登校の子にとっては、「これでいいんだよ」という言葉が一番安心できるし救いになる。


栗野:でも、今の世の中はなかなかそう言ってあげられないし、多くの人が人を追い詰める言葉を使っています。それはとても貧しいことですが、問題を解明すると、実は発言者自体に居場所がなく、人をそういうふうに言うことでしか、自分の場所が作れないということも多々ある。つまり、想像力が欠如しているのは日本の従来型教育が大きく影響しているんです。本来、教育というものは想像力を育むものですが、現在の教育は想像力のインキュベートに寄与してないんだろうなと。幸いなことに、coconogaccoやそこを出た生徒が注目されるようになることで、今後もっと社会に影響をもたらしていけるかなと思いますし、日本の普通の学校も、教科書や校則の廃止やフレックスの導入など徐々に変わりつつありますよね。そういう身近な小さいことからもっと変わっていくと思いますよ。