2010年のオープン時から約15年にわたり渋谷のライブスペースWWWのサウンドを支えてきたPAコンソールMIDAS Heritage 3000が、同店のシステム変更に伴い「卒業」することになった。Heritage 3000はイギリスの音響機器メーカーMIDASが1990年代末に発売したアナログコンソールで、優れた音質とユーザビリティで世界中のエンジニアやミュージシャンを虜にしてきた名機だ。しかしデジタルコンソールが主流の現在では、アナログコンソールを常設するライブハウスは少なくなり、それに伴い今やHeritage 3000を常設している日本のライブハウスも希少だという。
こうした背景を受けて、WWWは2025年1月5~13日に『WWW presents “Heritage 3000” Farewell series』と銘打ったライブシリーズを実施する。OGRE YOU ASSHOLE、MERZBOW、寺尾紗穂、七尾旅人、マヒトゥ・ザ・ピーポー、Minami Deutsch(南ドイツ)、おとぼけビ~バ~、FLATTOP feat. 内田直之、柴田聡子といった面々にHeritage 3000の卒業を彩ってもらおうという趣向のイベントで、Heritage 3000のサウンドを体感することができる貴重な機会になりそうだ。
本稿では「Heritage 3000はなぜここまで人を魅了するのか?」から「優れたライブの音響とは?」までを探るべく『”Heritage 3000″ Farewell series』にも参加する内田直之、佐々木幸生、Dub Master Xという3名のPAエンジニアたちに話を聞いた。日本を代表するPAエンジニアたちによる「PA話」の数々、ぜひ楽しんでほしい。
INDEX
日本のライブ現場を作り上げてきたPAエンジニアたちの歩み
ーこのインタビューはWWWのHeritage 3000の卒業をきっかけにしたものですが、せっかく皆さんが一堂に会する貴重な機会なので、PAやライブの音響に関するお話を幅広く伺えればありがたく思います。皆さんキャリアはそれぞれですが、PA歴となるとどのくらいになるのですか?
DMX:俺は20歳からやっていて、年明けに62歳になるから……もう42年? 嫌になるよね(笑)。さんちゃん(佐々木)も同じくらいでしょ? 学年が一緒だから。
佐々木:自分は22歳で会社(佐々木が現在代表を努めるPAカンパニーの株式会社アコースティック)に入ったので、40年やっています。
内田:僕は20歳の頃、レコーディングスタジオでバイトを始めたんです。だからレコーディングが最初で、PAをやることになったのは、当時レコーディングを担当していたDRY & HEAVYってバンドに「お前、PAやれ」って言われたのがきっかけです。それが25、6歳くらい。PAに関する知識が本当になかったので、「無免許運転」のようなものでしたね。
ー皆さんの仲が良さそうな雰囲気が伝わるのですが、知り合ったきっかけは?
内田:僕から話しますね、一番年下なので(笑)。僕、若い頃にMUTE BEATの大ファンで、宮崎(DMX)さんがアイドルだったんです。
DMX:やめなさいよ(笑)。
内田:学生の頃、本当にめっちゃ聴いていて。ダブという音楽も、MUTE BEATがいなかったら知らなかったくらい。ライブは観れなかったけど、レコードを死ぬほど聴いていました。宮崎さんは本当にパイオニアですよ。
DMX:パイオニアだったことは間違いないね。でも、たまたま古くからやってただけの話だから。俺はレゲエのダブを極めようしていたわけじゃなくて、音響効果としてダブの要素が好きだったんだよね。それをやったのが、たまたまMUTE BEAT。みんな俺のことを日本のキング・タビーとかリー・ペリーとかマッド・プロフェッサーとか言うけれど、実はその辺りには傾倒してない。どちらかと言えば、スティーブン・スタンレーとかアレックス・サドキンとか、ダブのエッセンスをポップス、ロック、パンクに持っていった人たちに興味があったから。だから、今やレゲエのダブはウッチー(内田)のほうが極めてると思うな。