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生活に手一杯なのに、政治や社会を扱う演劇を観る体力はない
―神保さんは表現や創作における一つのモットーとして、ご自身のnoteなどで「現代演劇の拡張、ケアと対話のための劇場の実践としての音楽演劇の開発」を掲げています。そういったことに関心を寄せ、劇作に取り入れるようになったきっかけは?
神保:最も大きなきっかけとなったのは、2021年に起きてしまったウィシュマ・サンダマリさんの入管死亡事件でした(※)。ウィシュマさんの日記や手紙のやりとりをまとめた本を読んで、社会の構造的な問題に目を向けるようになりました。元々抱いていた「社会から切り離されたところで演劇を作ることができない」という思いがより深くなったというか。「ケア」という概念に出会ったのは、2022年2月号の『美術手帖』「ケアの思想とアート」特集です。それらを通じて、表現活動の中で自分でも気づいてなかった本質に触れ、それを説明する時に「ケア」というものが欠かせない、と気づいたんです。
※編注:2021年3月6日、愛知県名古屋市の出入国在留管理局の収容施設でオーバーステイにより収容されていたスリランカ人のラトナヤケ・リヤナゲ・ウィシュマ・サンダマリさんが、施設で適切な医療措置を受けられなかったまま、体調不良により亡くなった事件。収容施設の職員は不起訴処分となり、施設に収容された人々の処遇改善を求めて世論は騒然とした。日本政府が移民や亡命希望者の無期限収容をやめる具体的な措置を取っていれば防げた可能性があるとして、未だ議論は続いている。

―2023年に上演された『煮込みすぎて.zip』という作品でも、労働に疲弊する女性の1日とその開放を描いていましたね。
神保:実社会で生活している人の多くがオフィスにいると考えた時に、まずはそういう人たちに元気になってもらう作品を作らないとまずいと思ったんです。社会問題について語ろうとすると、どうしても政治の話になってしまうのですが、政治に対してカジュアルに意見を交換したり、考えを発信することが日本ではまだタブー視されているし、選挙も今ひとつ盛り上がらないじゃないですか。どうしたらいいかずっと考えているのですが、「そもそも自分の生活に手一杯で政治を考える時間に辿り着けないのではないか」とも考えるようになって。自分へのケアがそもそも追いついていないというか。
―そうした気づきを経て、これまでの創作スタイルに変化が生まれたのですね。
神保:僕自身、社会や政治を意識して生きているつもりでも、いざクリエーションが煮詰まってきて、そこに選挙が被ったりすると「きついな」と感じる瞬間がありました。その時に、この感覚は多くの人が抱いている政治の負荷のようなものかもしれない、と思ったんです。だからといって、「選挙行こうぜ!」って感じの直接的な作品にすることにも疑問を感じていました。とっつきにくい印象を与えて、届けたい人に届かない可能性もあるなと。そうした課題をよりカジュアルにポップにアウトプットできる方法を考えていた時に「音楽」にヒントを見出したんです。

―劇作と社会を接続させる上での葛藤が伝わるエピソードです。神保さんの考える「演劇」と「音楽」、そのクリエーションの違いとは?
神保:演劇よりも音楽の方が多くの方にとってカジュアルに楽しめる文化ではあるし、僕自身も作曲している時間がとても楽しくて、演劇を作っている時ほどがんじがらめにならずにいられたんですよね。
神保:作品の社会的意義を深刻に考えすぎて、アウトプットも複雑になってしまうよりも、楽しく音楽を作って、そこに演劇を融合した方がいいバランスになると思いました。ポップにカジュアルに受け取ってもらった後で「よく考えたらあれは政治の話だったな」と生活の中で思い出してもらえたり、何かしらの関心に繋がったらすごくいいなと思っています。