グータッチでつなぐ友達の輪! ラジオ番組『GRAND MARQUEE』のコーナー「FIST BUMP」は、東京で生きる、東京を楽しむ人たちがリレー形式で登場します。
5月28日は、SF小説の装丁デザインを手がけるアーティストの土井宏明さんからの紹介で、クリエイティブプロデューサーの飯田昭雄さんが登場。建築を学びながら編集の世界に進んだきっかけや、長野への移住で得た理想のライフスタイルについてお聞きしました。
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雑誌が発信するカルチャーに興味を持ち、編集の世界へ
Celeina(MC):現在、飯田さんはクリエイティブプロデューサーとして具体的にどのようなお仕事されているんでしょうか?
飯田:僕は広告業界で編集者としてずっと働いていたこともあって、すごく素晴らしいアーティストや映像クリエイター、デザイナーなど、いろんなクリエイティブに携わる知り合いがいっぱいいます。そういう方たちをキュレーションして、あらゆるマーケティングに対して、ブランディング活動のプロデュースをし、プロジェクトに合わせて都度チームを編成する監督みたいな仕事をしています。
タカノ(MC):もともとは建築を学ばれていたそうですね。
飯田:多摩美術大学で建築を学んでいましたが、建築の世界には行かないで、編集の世界へ行きました。
タカノ:なぜ編集の世界を選んだのですか?
飯田:本が好きだったからかな。1980年代のバブルだった時期は、ファッションやカルチャー雑誌にめちゃくちゃ勢いがあって、今みたいにタイアップだらけの雑誌じゃなかったんです。雑誌自体がカルチャーを発信していた時代だったので、雑誌が面白くて紙に興味を持った感じです。
タカノ:飯田さんのプロフィールを拝見しますと、KAWS、BE@RBRICK 、A BATHING APE®などとお仕事されていますよね。
Celeina:日本のストリートカルチャーの代表格ですね。
飯田:そうですね。1990年代の半ばに、いわゆる裏原宿カルチャーみたいなものも生まれたんです。そこで僕が編集者とプロデューサー的な立場で、そういったカルチャーと絡めたというか。そんな時代の中で、そういう立場でいろんなプロジェクトをやっていました。でも、ほとんど遊んでいた記憶しかないんですけどね。
Celeina:遊びの延長線上にお仕事があった感じですか?
飯田:そうです。遊ぶことと仕事することがイコールだったというか、そういう時代だったのかな。
タカノ:理想的です。
飯田:それで稼げるからね、最高だよ(笑)。