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美大への「右脳留学」が研究スタイルを確立
タカノ:竹倉さんのプロフィールがとてもユニークであると伺っています。武蔵野美術大学に通っていらっしゃったのですか?
竹倉:もともとムサビ(武蔵野美術大学)に通っていて、中退しました。その後、もう一度最初から受験勉強をして、東京大学に入りました。
タカノ:ムサビから東大!
竹倉:なかなか珍しいということで、当時話題になりました。ムサビには2年間通っていたのですけれども、今となってみると、これは私の人生において非常に貴重な時間でした。海外に留学することを「語学留学」というように、私はこの2年間を「右脳留学」と呼んでいます。
Celeina:素敵なネーミング!
竹倉:ムサビの2年間の右脳留学で経験した感覚や直感が、その後のベースになって、自分なりの研究のスタイルが作られていったと感じています。
タカノ:美大ならではの美術的な発想力が得られたのですね。
竹倉:美大に入るために美大予備校に通ってデッサンをやっていたので、形態を捉える能力みたいなものが、そこで鍛えられました。数万年前の洞窟から出てくるフィギュアや、あるいは日本だったら縄文時代の遺跡から出てくる土偶とか、何千年も前のフィギュアを分析するときにこの経験が活かされています。
タカノ:今、土偶というワードが出ましたけれども、竹倉さんといえば、やはり土偶のイメージがあります。書籍『土偶を読む――130年間解かれなかった縄文神話の謎』が話題になって、『サントリー学芸賞』と『みうらじゅん賞』を受賞されました。みうらじゅんさんとの対談では、土偶はゆるキャラじゃないかという話をされていらっしゃいましたね。
竹倉:「竹倉さんって昔から土偶に興味があったんですよね?」とよく聞かれるのですけど、全く興味はなかったんです。昔の人が作った変な泥人形ぐらいの感覚でした。でも、神話や遺物から人類の認知や古代の認知の形を探りたいと思ったときに、土偶がすごくヒントになるんです。それで、フィギュアとして土偶と出会いました。
研究をしていて思ったことは、当時の人たちになりきって、同じ風景を見て、どうしてこのようなものを作ったか、どのような気持ちだったか、そういう意識をトレースしないと何も分からないですね。アシスタントと一緒に森とか海に入っていって、縄文人が食べていた木の実や貝など、落ちているものを食べるというフィールドワークもしました。森や海であれば、彼らが見た風景とそこまでは変わらないので、動線を重ねるという目的で、このようなことを研究手法として取り入れましたね。
タカノ:面白い。縄文人の気持ちになりきって見ないと。
竹倉:これも右脳留学の成果ですね。