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映画『グラディエーターII』レビュー 令和の時代にこの作品が蘇る意味

2024.11.15

#MOVIE

『グラディエーターII 英雄を呼ぶ声』は、ラッセル・クロウ主演、巨匠リドリー・スコット監督による歴史スペクタクル映画『グラディエーター』(2000年)の、実に24年越しとなる続編だ。まさか、令和の世にこの作品が蘇るとは誰も予想しなかっただろう。

もっとも前作が大ヒットを記録し、アカデミー賞の作品賞、主演男優賞をはじめとする数々の映画賞で栄冠に輝いたあとすぐに、続編を望む声は業界内であがっていたという。しかし、続編にふさわしい物語がなかなか編み出されず、おまけに前作を手がけたドリームワークス・ピクチャーズが経営難のため権利をパラマウント・ピクチャーズに売却したことで、この企画は長らく頓挫していた。

その後、パラマウントのもとで企画が動き出したのは2018年秋のこと。主人公をクロウが演じたマキシマスから、コニー・ニールセンが演じたルッシラの息子ルシアスに変更し、新たな物語が描かれると伝えられたのである。

監督として続投したのは、もちろん前作を手がけたリドリー・スコット。なぜ、あえて今『グラディエーター』の物語に再び挑んだのか。そこには、今という時代に、「映画」を通して「現実」を見つめるフィルムメイカーの視点があった。

※本記事には映画本編の内容に関する記述が含まれます。あらかじめご了承下さい。

リドリー・スコット監督流の貴種流離譚

はじめにあらすじから説明しよう。皇帝マルクス・アウレリウスがこの世を去ってから14年、ローマ帝国は岐路に立たされていた。新たに皇帝の座に就いた若き双子ゲタ&カラカラの圧政により、民衆は夢を奪われ、帝国は没落の危機にあったのだ。「希望なき時代」が訪れるなか、それでも戦と血を求める双子皇帝の命を受けて、将軍アカシウスは北アフリカの国ヌミディアへと出兵する。

その地で愛する妻と暮らしていた青年ハンノは、兵士たちを率いてローマ軍に立ち向かう。しかし、妻は戦場で敵の矢に倒れ、自らも捕虜として拘束されてしまった。家族と故郷、仲間のすべてを失ったハンノは復讐を誓い、野心あふれる商人マクリヌスのもと、剣闘士=グラディエーターとしてコロセウム(円形闘技場)での戦いに臨む。そこで憎きアカシウスの隣に座っていたのは、彼が幼いころに別れたきりの母親ルッシラだった。ハンノの正体は、かつてローマ皇帝の跡継ぎとなるはずだったルシアスだったのである。

『グラディエーターII』は、高貴な身分にあった人物が世界をさまよいながら試練を克服してゆく「貴種流離譚(きしゅりゅうりたん)」の構造をもつ。本作がややトリッキーなのは、これが前作と同じ「すべてを失った男の復讐譚」でありながら、昔は王族としての身分を保障されていた男ルシアス=ハンノが、ねじれてしまった家族との関係性のなかでアイデンティティを回復していく物語でもあるからだ。

ルシアス(ポール・メスカル)

もともと皇帝の跡継ぎだったにもかかわらず、国の危機のためにローマを離れざるをえず、家族との関係が絶えてしまった。きっと母のルッシラは自分を見捨てたにちがいない……。そうしたコンプレックスを抱え、祖国を忘れたふりをしながら生きてきたルシアスの人物像は、前作でラッセル・クロウが演じた主人公マキシマスよりも、皇帝である父親との関係に葛藤し、自らの怒りと悲しみを持て余していたコモドゥス(ホアキン・フェニックス)に近い。

監督のリドリー・スコットと脚本のデヴィッド・スカルパは、物語やキャラクター設定の随所に前作の要素やモチーフを活かしながら、それらをときに反転させ、ときにずらしながら再配置した。ルシアスの復讐相手である将軍アカシウスは単純な悪役ではなく、むしろ前作の英雄マキシマスにもっとも似た人物像だ。自身が侵略したヌミディアでは敵兵の死体を前に痛ましい表情を浮かべ、双子皇帝から次の侵略を命じられると、「若者たちが2人の虚飾のために命を捨てている。次の戦いは2人の退任が目的だ」とクーデターを計画する。

(左から)将軍アカシウス(ペドロ・パスカル)とゲタ帝(ジョセフ・クイン)

元王族で今は奴隷となったハンノ=ルシアスの視点から、侵略国ローマの暴政を描きつつ、その内部で起きている政治の実態をあぶり出す、そんな物語のキーパーソンはルシアスとアカシウス、そしてひそかに暗躍する商人マクリヌスだ。政治における権力と経済、軍事の3要素がからみあった物語は、現実に起こる戦争のメカニズムをいやおうなく想起させる。戦争と虐殺が止まらないのは、そこで利益を得ている人間がいるからだ──。

戦争の時代に「決闘」を撮るということ

2022年2月、スコット&スカルパが本作の脚本を準備しているさなかに、現実世界ではロシア・ウクライナ戦争がはじまった。2023年10月には、全米映画俳優組合(SAG-AFTRA)のストライキを受けて撮影が中断されている最中に、イスラエル・パレスチナ戦争がはじまっている。

今まさにふたつの戦争が起こっている、劇中さながらの「希望なき時代」に、なぜ戦争と暴力を撮らねばならないのか。長編デビュー作『デュエリスト/決闘者』(1977年)以来、『ブラックホーク・ダウン』(2001年)や『キングダム・オブ・ヘブン』(2005年)、『最後の決闘裁判』(2021年)など、あまたの作品で戦争や決闘を描いてきたスコットは、この問題にきわめて自覚的だったにちがいない。

(左から)リドリー・スコット監督とポール・メスカル(メイキング写真)

その意味で重要な役割を担っているのは、国同士の戦争や剣闘士たちの戦いを一歩引いたところから見つめる商人マクリヌスである。「『暴力』、それが共通言語だ」と口にする通り、彼は敗戦国の捕虜を奴隷として買い取ると、剣闘士としてローマのコロセウムに送り込み、血と暴力の応酬を権力者や大衆に見せることで大金を稼ぐ。そのビジネスによって身分や階級の壁を超え、政治の中枢へ接近してゆく。現代の武器商人さながら、マクリヌスは政治と戦争、暴力のシステムをハッキングしながら権力を目指すのだ。

商人マクリヌス(デンゼル・ワシントン)

監督のスコットと脚本のスカルパは、このマクリヌスという存在に、映画や娯楽と暴力の複雑な関係を重ね合わせてもいる。「観客は血を求めている、だから私は『怒り』を選ぶ。お前の怒りを役立てろ」とルシアスに語りかける言葉は、映画界と観客に対するアイロニーであり、同時にスコット自身の苦悩を反映しているかのようだ。いまや世界の人々は、最新技術を駆使して量産されるド派手なアクション映画やスーパーヒーロー映画、あるいは『ゲーム・オブ・スローンズ』(2011年~2019年)や『ザ・ボーイズ』(2019年~)などに代表される過激な暴力表現のスペクタクルにすっかり慣れてしまった。かたや、現実の戦場でも目を覆いたくなるほど残虐な暴力行為が日々起こっており、スマートフォンを開けばそうした映像にたやすくアクセスできてしまう。

かくも暴力の氾濫した時代に、それでもスペクタクルを求める観客の欲望に対して、映画とその作り手はどこまで応えるべきか? スペクタクル演出の名手であるスコットが、監督としての前作『ナポレオン』(2023年)で、壮大な戦闘シーンと、空しく乾いた暴力表現や戦場の演出を対比することで、戦争そのものと英雄ナポレオン・ポナパルト(奇しくもホアキン・フェニックスが演じた)の空虚をスクリーンに映し出したことは記憶に新しい。

もちろん『ナポレオン』と本作は演出のアプローチが異なる。本作ではオープニングの合戦シーンからクライマックスに至るまで、戦争や決闘が命のやり取りであること、そこに「死」が横たわっていることが幾度となく強調されるのだ。もちろん、スコットが得意とするスペクタクル演出は今回も冴え渡っており、戦闘シーンの豊富なバリエーションはまさしく観客の欲望に応えるよう。なにしろコロセウムが海と化し、そこにサメを泳がせるのである。

しかし、そんななかでも肉体が傷つけば血が噴き出し、生命だったものはやがてただの肉塊になる。冒頭で死の危機に瀕したルシアスの姿が、深い水底に沈んでゆくようなモノクロのイメージで表現され、その場面が反復されることも象徴的だろう。冷ややかな死が眼前に迫ったとき、屈強な男たちの目にも恐怖の色が浮かぶ。復讐に燃えるルシアスも、勇敢さと残酷さを備えたアカシウスも、狂気の双子皇帝ゲタ&カラカラでさえも。

また物語のレベルでいえば、スコットが本作を通じて提出した処方箋は、システムをハッキングすることで暴力をコントロールしようとする狡猾な黒幕に対し、戦争と死をゲームにさせないことと、マッチョな男らしさだけで暴力に対峙しないことだった。激しい怒りに身を任せず、そのなかに理性と優しさを同居させることができるか。個人的な復讐心を、より大きな善や他者のため、よりよい国家や世界のために役立てることができるか。ルシアスの体験する内面的な変化は、前作の皇帝コモドゥスがたどることのできなかった「もうひとつの旅路」のようにも見えてくる。

ポール・メスカルら起用のキャスティングの妙

こうした構造のなかで活きるのがキャスティングの妙で、ルシアス役のポール・メスカルは初めての大作アクション映画ながら、『aftersun/アフターサン』(2022年)や『異人たち』(2023年)などで見せた繊細さと思慮深さをにじませる。前作のラッセル・クロウとは異なる方向性の配役は、作品そのものの趣旨の違いをあらかじめ示唆していたのだ。ルシアスに協力する医師ラビ役のアレクサンダー・カリムも、穏やかさと慈愛を表現してメスカルと抜群のコラボレーションを見せる。

一方、アカシウス役のペドロ・パスカルは危うさもあるが知性と誠実さにあふれた将軍を、マクリヌス役のデンゼル・ワシントンは倫理観が曖昧で心底の見えない商人を体現した。ルッシラ役のコニー・ニールセン、双子皇帝ゲタ&カラカラ役のジョセフ・クイン&フレッド・メッキンジャーを含め、役者自身の年齢や性別、人種までもが物語のなかで乱反射して、政治と暴力、経済をめぐるパワーバランスは複雑にねじれていく。

監督のスコットと脚本のスカルパは、『ゲティ家の身代金』(2017年)と『ナポレオン』に続いて本作が3度目のタッグ。1970年代の実話誘拐事件、近世ヨーロッパの英雄譚、そして古代ローマの史劇と、それぞれ異なる時代、舞台設定とジャンルの物語に鮮やかな現代性を注ぎ込んできた手腕は、本作でも、現実世界と劇中に共通する「希望なき時代」に対してひとつの希望を確かに紡ぎだした。

24年という年月を経て、世界が変化し、価値観が変化し、映画や表現とそれらを支える映像技術が変化した今、『グラディエーター』という映画のかたちが変わったのは必然だっただろう。しかし、この時代に決闘を、あえて言えば「戦争」を描き、エンターテインメントの枠組みでそのメカニズムを暴いた点で、これは前作をしのぐ達成ではないか。

問題は、ここで示された希望の可能性が今後どのように転がってゆくかということだが、どうやらスコットは早くも『グラディエーター』第3作のシナリオを書き始めているという。若きルシアスを主人公に、今この時代とつながりあう古代の物語はまだ続くのだ。

『グラディエーターII 英雄を呼ぶ声』

原題:『Gladiator II』
日本公開日:11月15日(金) 全米公開日:11月22日(金)
監督:リドリー・スコット
脚本:デヴィッド・スカルパ
キャラクター創造:デヴィッド・フランゾーニ
ストーリー:ピーター・クレイグ、デヴィッド・スカルパ

出演:
ポール・メスカル:(『異人たち』、『aftersun/アフターサン』)
ペドロ・パスカル:(『ワンダーウーマン1984』、「マンダロリアン」)
コニー・ニールセン:(『グラディエーター』、『ワンダーウーマン』)
デンゼル・ワシントン:(『イコライザー』シリーズ、『マグニフィセント・セブン』)
ジョセフ・クイン:(『クワイエット・プレイス:DAY 1』、「ストレンジャー・シングス 未知の世界」シーズン4)
フレッド・ヘッキンジャー:(『クレイヴン・ザ・ハンター』)
リオル・ラズ:(『6アンダーグラウンド』)
デレク・ジャコビ:(『グラディエーター』、『英国王のスピーチ』)

配給:東和ピクチャーズ
©2024 PARAMOUNT PICTURES.

公式サイト:https://gladiator2.jp/

<あらすじ>
ローマ帝国が栄華を誇った時代―。ローマを支配する暴君の圧政によって自由を奪われたルシアス(ポール・メスカル)は、グラディエーター《剣闘士》となり、コロセウム《円形闘技場》での闘いに身を投じていく。
果たして、怒りに燃えるルシアスは帝国への復讐を果たすことができるのか。

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