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15歳の決断。自分を取り戻すために必要だったフィリピンへの移住
ーそうした状況下、15歳でフィリピンに移住していますよね。15歳でその選択を取ることってすごく大きな決断だったのかなと思うのですが、行動に起こせた原動力はなんだったと思いますか?
ena mori:自分のなかではとても自然な流れでフィリピンに行ったと思うんですけど、今思えば、自分が隠していたアイデンティティをもっと知りたいと思ったところがあるのかなと思います。お父さんがフィリピンから日本に来ているけど、「フィリピンってどういう場所なんだろう」と純粋に興味があったし、当時は日本で生活するのがとにかく息苦しかったんです。自分を隠して生き続けることで、自分を好きになれないままだし、フレッシュなスタートになるんじゃないかと思って移住を決断しました。
それと、11歳ぐらいからお父さんの影響で洋楽を聴くようになって、QUEENにすごく影響を受けていたんです。クラシックの要素が大きいのにロックンロールという彼らの音楽にすごく惹かれて。フレディ・マーキュリーの自分を隠さない、斬新なパフォーマンスに憧れて、どんどん洋楽に惹かれていきました。そこから、英語を学ぶには日本を出た方がいいと思い、フィリピンに行くことを前向きに考えるようになっていきました。
ー私自身も10代の頃に海外アーティストを好きになったんです。私の場合は自分のセクシュアリティに悩んでいて、私のような人は日本では受け入れてもらえないんだと感じていました。だけど海外ドラマや洋画を見ていると、自分と同じようなアイデンティティを持った人が出てきて、自分が心地よく生きられる場所が海外にはあるんだと思えたんです。洋楽だったら「この歌手を聴いているのは男の子 / 女の子らしくない」と判断できる人が少ないから、自分の逃げ場所のような感覚で洋楽に惹かれていました。ena moriさんにとっては、自分を取り戻す場所としてフィリピンという場所が選択肢の一つとしてあったんですね。
ena mori:そうですね。日本から出たいっていう気持ちはあるけど、親にも迷惑をかけない範囲はどこだろうと考えたときに、お父さんの実家があるフィリピンで生活してみようと思いました。今思えば、語学留学というよりも、自分の居場所や自分探しという部分が大きかったのかなと思います。日本が悪いというよりかは、私の周囲や悪循環な雰囲気が当時の私には合っていなかったんです。自己主張もできず、周囲と違うことをしたら睨まれるような雰囲気で育っていたのもあって、自分探しが必要だったのかな。
ー日本で生活していたときの周囲に溶け込めない感覚は、フィリピンで生活し始めて変化していきましたか?
ena mori:お父さんとはたまに英語で会話をしていたんですけど、中学生レベルの英語でずっとやりくりしていたので、言葉の壁はフィリピンに行ってすごく感じていました。友達関係も一から作り直さないといけなかったので、大変だったんですけど、そんなときに音楽にすごく助けられたんです。音楽を通して友達ができていき、自分が好きな音楽と向き合える時間が増えていったなと思います。
ーフィリピンでハーフ・ミックス・バイレイシャルとして生きていくことはあまり気にならなかったですか?
ena mori:結構気になりましたね。日本にいたときよりもそっとしておいてくれないというか(笑)。でも、みんな前向きに受け取ってくれていたんです。「あなたの話が聞きたい」という感じで、私のストーリーにすごく興味を持ってくれて。
今までは「ハーフであることを隠したい」とか「本物の日本人になれない」ということがすごく嫌だったんですけど、フィリピンでは「フィリピンの血も入ってて、日本の血も入ってるんだ! すごい! どういうストーリーなの?」というふうに興味を示してくれたことで、だんだんハーフである自分に自信がついていって、私の思考もどんどん変わっていきました。