競技かるたに青春をかける高校生たちの姿を描いた『ちはやふる』。末次由紀による累計発行部数2900万部越えの大ヒット漫画は、3部作の実写映画も制作され大ヒットを記録した。
その映画3部作の10年後の物語を描いたオリジナルドラマ『ちはやふる-めぐり-』(日本テレビ系)が、いま話題となっている。
映画で監督・脚本を務めた小泉徳宏がショーランナーを務め、映画に出演した上白石萌音や矢本悠馬、森永悠希、坂口涼太郎らが10年を経た同じ役として出演し、後半には、広瀬すずらの出演も予定されている本作。
次世代の俳優とスタッフも揃った新たな青春ドラマについて、ドラマ映画ライターの古澤椋子がレビューする。
※本記事にはドラマの内容に関する記述が含まれます。あらかじめご了承下さい。
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燦然と輝く令和の青春ドラマ

ここまで真正面から青春を描くドラマを見たのはいつ以来だろうか。『ちはやふる-めぐり-』を見ていると、胸にポッと赤い炎が灯るのを感じる。思えば、近年は「学園ドラマ」と銘打っていても、大人に向けられたドラマが多かった。『最高の教師 1年後、私は生徒に■された』(日本テレビ系)や『御上先生』(TBS系)など、教室を社会の縮図として描くことで、社会的なテーマを際立たせる作品の数々。そんな時代に、『ちはやふる-めぐり-』は、主に、大人に対してではなく登場人物たちと同じ現役の学生たちに語りかけているように感じられる。だからこそ、大人となった私たちにも燦然と輝いて見えるのかもしれない。
『ちはやふる-めぐり-』は、大人には、もう戻れない青春の輝きを、現役の学生には、これから目指せる今この瞬間の情熱を見せてくれている。
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青春を選べなかった高校生たちと「競技かるた」

本作は、2016年、2018年に公開された映画3部作『ちはやふる-上の句・下の句・結び-』の続編となる完全オリジナルドラマであり、末次由紀による原作漫画にも描かれていない『ちはやふる』の10年後が描かれている。平成から令和になり、早7年。2020年から3年ほどは、コロナ禍という未曾有の事態に全世界が巻き込まれた。原作と映画の『ちはやふる』が描いた平成の高校生の価値観とは、違った価値観を持って当然の令和の高校生の姿が、『ちはやふる-めぐり-』では、リアルに表現されている。
梅園高校に通う主人公・藍沢めぐる(當真あみ)は、中学受験の失敗とそれにまつわる両親の会話をきっかけに、数十年単位の遠い未来を見据えるリアリストとなった女子高生。「青春」など、今、この瞬間の情熱を味わう贅沢品だ、として、距離をとっていた。めぐると同じクラスの白野風希(齋藤潤)は、ボクシングジムを経営している父・真人(高橋努)と共にボクシングに邁進していたが、ふとしたきっかけで迷いが生まれ、自分が進むべき道を見失っていた。
何が起こるかわからない時代だからこそ、遠くの未来を見据えた積み立て投資をしたり、親が敷いたレールを進んだりという令和の高校生ならではの人生への向き合い方。そんな、青春を選べなかった彼女たちが、競技かるたという畳の上の格闘技と出会い心を燃やす姿には、いっそう胸を打たれる。
一方で、第3話では、平成と変わらない性差による葛藤も描かれた。リトルリーグ時代から野球一筋で名ピッチャーだった村田千江莉(嵐莉菜)は、高校に入っても男子に混じって野球を続ける中で、体力面の性差に悩まされ、また、女子禁制とも呼べる高校野球の制度により夢を絶たれてしまう。そんな千江莉を救ったのは、男女の垣根なく試合が行われる競技かるただった。
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令和らしい、すれ違い続ける親子関係

競技かるたは、一般的には、その魅力が理解されにくい競技と言えるだろう。競技かるたのプロは存在せず、どんなに極めようと評価がされにくい。『ちはやふる』の原作でも、登場人物たちが競技かるたに向ける情熱を、家族から軽んじられたり、反対されたりする描写が多数あった。
時間的制約から、そうした家族との関係まで踏み込んで描くことができていなかった映画版に対し、『ちはやふる-めぐり-』では、親と子の関係がたっぷりと描写されている。第2話の白野家のエピソードでは、息子はボクシングが好きでたまらないと思っている父・真人に対して、惰性でボクシングをやっていると言えない風希の葛藤が描かれた。「俺がやりたいことってこれなのかな」と風希の頭をかすめた疑問を父に言えず、嘘をつき誤魔化してしまったのは、父からのボクシング指導を愛情として受け止めたからだろう。
第5話では、競技かるたに出会い、少しずつ自分自身を取り戻していっためぐると、そんなめぐるの様子に戸惑う両親の姿が描かれた。この藍沢家の関係で特徴的なのは、互いに何かを押し付け合うのではなく、互いを思い合うがゆえにすれ違っているという点だ。めぐるは中学受験に失敗したことで引け目を感じて競技かるたがやりたいとは言い出せず、両親は高校2年生の冬という大学受験を前にした時期にめぐるが競技かるたをすることに対して、遠回しに異論を唱えていた。めぐるから両親への「2人に決めてほしい。お父さんとお母さんは私にどうしてほしい?」という言葉には、めぐるが抱える両親への申し訳なさが込められていた。そして、なぜめぐるが競技かるたをやりたいと言えなかったのか分からないまま、選択を委ねられた両親とのすれ違いも含めて、令和らしい親子関係だったように思う。
風希の場合もめぐるの場合も、親と子が真っ向から互いの選択を否定し合った後に和解する方が、ドラマ性は強く感じられるだろう。本作が、親と子の関係をそのように分かりやすく描かなかった裏側には、大人も子どもも自分の選択が正しいのかに悩むひとりの人間でしかないという思いがあるのかもしれない。こういった一人ひとりの考えや感情を深く描く部分にも、オリジナルドラマながら、しっかりと原作『ちはやふる』のエッセンスを感じる。
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映画から世界を広げる、新たな形のオリジナルドラマ

本作は、競技かるたの試合のシーンや登場人物同士のやり取りなど、随所に映画『ちはやふる』から引き継がれた演出のパターンが存在する。また、映画版から引き続いて登場した大江奏(上白石萌音)は梅園高校競技かるた部顧問となり、同じ高校の競技かるた部員だった駒野勉(森永悠希)と付き合っている、など、原作から引き継がれている設定もある。『ちはやふる-めぐり-』は、完全オリジナルドラマとはいえ、原作漫画と映画がなければ生まれていない作品だ。そして、原作では描かれていないキャラクターを中心としたエピソードにも関わらず、『ちはやふる』の世界を見ていると確かに感じさせてくれるドラマでもある。
そして、メインのキャストとスタッフは、映画版から、情熱を持った次世代の俳優や監督たちに受け継がれている。競技かるたという世代を超えて変わらない競技と『ちはやふる』という優れた作品を軸に、時代を超えて情熱が巡っている。
こういった制作スタイルが他の作品でも成り立つかどうかは分からないが、元となる作品に愛とリスペクトを持つ優秀なスタッフとキャストが集まれば、こうした制作スタイルも可能であることが、少なくとも本作においては証明された。その点において、今後のさまざまな作品の可能性を広げた1本だとも言えるだろう。