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バストリオの今野裕一郎にインタビュー クィア性の時代が求める、曖昧な芸術

2025.5.26

#STAGE

バストリオは、2010年の立ち上げ以来、既存の枠組みにとらわれない活動によって注目を集めてきたパフォーミングアーツ集団だ。音や光、身体、テキスト、小道具、映像といったさまざまなものを用いることで断片的な時間が構成され、演劇のような音楽のような何かが、唯一無二のパフォーマンスとして立ち上がる。その鋭い上演はますます強度を獲得してきており、2024年は『セザンヌによろしく!』が『第14回せんがわ劇場演劇コンクール』グランプリ / オーディエンス賞をW受賞。2025年6月1日(日)から6月8日(日)にかけて、東京・調布市せんがわ劇場にて再上演される。バストリオがいま、熱視線を浴びているのはなぜなのか。主宰の今野裕一郎に話を訊いた。

映画監督・佐藤真と劇作家 /演出家の宮沢章夫に師事。演劇は畑違い

—突然ですが、今野さんはバストリオをどういう集団だと説明しますか?

今野:もともと京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)にいた時、メンバーの橋本和加子さんと映画を作ってて、そのときからもうバストリオという名前はあったんですよ。当時は、もう亡くなってしまったドキュメンタリー映画監督の佐藤真さんと劇作家の宮沢章夫さんに教わってて、だから映像と舞台、両方の講義を受けてたんですね。卒業後は東京に出てきて、すでに宮沢さんのユニット・遊園地再生事業団で舞台に立ってたから、自分のやり方でやってみたいなと感じて友達とパフォーマンスをやりました。それが2010年。以降、抜ける人も新たに入る人もいながら、15年間続けてこれたって感じです。

今野裕一郎(こんの ゆういちろう)
1981年生まれ。演劇作家、映画監督、バストリオ主宰。横浜国立大学中退後、京都造形芸術大学映像・舞台芸術学科卒業。在学中に映画監督の佐藤真に師事し、淡路島で二年間撮影したドキュメンタリー映画『水の大師の姉弟』が卒業制作。上京後は演出家・劇作家の宮沢章夫が主宰する遊園地再生事業団に参加し出演・映像担当。2021年に映画『UTURU』が東京ドキュメンタリー映画祭に選出。バストリオというユニットを主宰し、演劇・ライブパフォーマンス・インスタレーション作品を日本各地で次々発表。映像・演劇を用いた教育活動、北海道・知床で葦の芸術原野祭の実行委員を務めるなどボーダーレスな活動を行なっている。
バストリオの旗揚げ公演。千駄木にあるBrick-oneにて上演した埋葬についての物語。

—ということは、最初の時点で、バストリオは演劇という形態だけにとらわれていなかったということですね。

今野:そうですね。というか、正直なところ演劇をあまり分かってなかった。お笑いも好きだったけど映像の方が好きで、演劇のことは未だによく分かってないかもしれない。戯曲も読めないし。

—15年間続けてきて、バストリオのパフォーマンスは大まかに言うとどのような変遷をたどってきたと言えますか?

今野:自分の中では、3年ごとくらいに変わってきていますね。今ってこういう時期だろうなというのがあって、それをクリアしてずっと続けてきている。たとえば、友達が実家に帰ったからオーディション開催して初めての人とやってみるとか、オケで流して空気作るのが上手くなっちゃったから制御できない生演奏にしてライブしよう、とか。生演奏が慣れてきたら、緻密にコントロールしつつもちょっとこっちの想像からはみ出ることを試してみようか、とか。吉祥寺シアターから「(劇場の)劇場じゃない使い方」を提案されたから、お店をやってみよう、とか。

吉祥寺シアターのレジデンスプログラムの一環として、バストリオが行った公開滞在制作。「多くの人に劇場と出会ってもらう」というコンセプトのもと、通りに面した搬入口を開け放ち、誰もが訪れることができるリビング(生きている場)のような場を立ち上げ、「衣・食・住」にまつわる様々な企画を同時進行で進め、新作パフォーマンス『グラインドハウス』を制作、上演を行った。

今野:開くとそれが普通になってまた閉じてくるから、開くことと閉じることを繰り返してる気もします。最近は、稽古場で料理を作って食べるとか、生活がなだれ込んできてる傾向です。そうやって自分の中の変遷は時期ごとにたくさんあるけど、周りの人たちが同じように感じているかは分からないですね。

—15年間で、色んな変化を経てきてますね。

今野:そうですね。いつも、もうそろそろこのやり方でやるのは嫌だな、というときが来る。そうなると新しいことを試して、というのを繰り返しています。お客さんが安心してるのが分かっちゃって、これを観に来てるんだなというのが見えると気持ち悪くなってしまう。

—観客に安心されると、居心地が悪い?

今野:ぴたっとハマりすぎてるとただ確認作業になっちゃってる気がして、それが苦手なんだと思います。出演者は気持ち良いのかな……わからない。でも俺はそこで、もっといけるんだけどな……って可能性を探し始めちゃうというか。ドキュメンタリー映画をやってたのが影響してるのかなと思ってます。全然関係ない時間軸同士の映像が繋がったり、物語のためじゃないところで素材と向き合ったり、ドキュメンタリーってそういうものだから。

『東京ドキュメンタリー映画祭2021』入選作品。今野はドキュメンタリー映像監督としても活動。

『第14回せんがわ劇場演劇コンクール』で4冠。15年のキャリアの中での現在地

—その15年間の変遷の中では、直近の『セザンヌによろしく』はどういう立ち位置に差し掛かってきている作品なのでしょう?

今野:今、色々試している3年間のうちの2年目って感じですかね。皆に裏切られたいと思ってどんどん作品にしていく「開く力」と、その反対の「閉じる力」というのを同時にやってるフェーズにある気がしていて。2024年くらいからそこに突入しているイメージです。両者を分けて考えている時の方が楽だったかもしれない。ある程度気を遣わずにそれぞれが得意分野をガツンとやれる状態じゃないと「開く」ことと「閉じる」ことを同時にはできないし、そうなると長い時間のコミュニケーションが必要。今バストリオにいる人たちはもうずっといる人も多いから色んな時期を知ってるし、だからこそトライできています。

『第14回せんがわ劇場演劇コンクール』にて『セザンヌによろしく!』上演時の写真

—メンバーを知るというのは、バストリオがずっと大事にしてきたことですよね。一緒に散歩するとか、何かをともにすること自体が重要だと。それはこの15年間変わらないですか?

今野:うん、変わってないです。何チームかに分かれて発表し合ったのをそれぞれで観て「いいね!」「分かる」「今日はちょっとうまくいかんかったなぁ」「それ、やってみたいなあ」っていうやり取り。多分、遊びの延長なんですよ。そこに本気も何でもないことも含めて発表に入っているので。

—コレクティブという形態に近いですよね。共通の関心ごとがあって、それぞれが自主的な活動をしていて、今野さんはそれをまとめるだけというか。

今野:自分は、いればいいだけの存在なんですよね。まとめるんですけど、まとめてない時間も含めてまとめる、みたいな。コレクティブっていう言葉は、以前観てくれた方がつけてくれました。自分はそこまでその言葉にはこだわってはいないですけど。

—メンバーと一緒にいてそれぞれを知るというのは、具体的に今野さんはどこを見ているんでしょうか。

今野:なんか、よく分からない集まりなんですよ。でも、とにかく集まる。そうすると何かが起こる。自分は、その人がどういう状態にあるかというのは気にしています。今日は声の質が昨日とは変わったなとか、今日は調子悪いなとか。いつも大きい声を出さないのに、今日はなんで出せたんだろう、とか。自分が大きい声を出してって言ったからなのか、自分で判断したのか、そういう何でもないことを見続けています。見ようとして見るものでもないし、特権的にそこにいさせてもらうから気づくもの。ちょっと感じた事や、ちょっと言われて気になったことを確認し合って、そういうのが積もっていくのが大事だと思います。

—ひとつの作品を作るという意味では共同体でもあるんだけど、もちろん家族とは違うし、職場やスポーツなどのチームとも違うし。

今野:ちょっと説明しにくいですよね。コレクティブのようにそれぞれが得意分野で自立してやってるっていうのとも少し違う気がして。音楽をやってる人が、バストリオだと楽器を頑なに持ってこないとかそういうのもあるので(笑)。……難しいですね。

—とにかく、あらゆる面で固定的ではないですよね。台本も緻密には決めてないし。

今野:そうですね。そのとき考えていることがたくさんメモには残っているけど、それは一回無視して皆と会う。大体2カ月くらい稽古をやるんですけど、最後の1、2週間くらいで流れを記した台本っぽいのができていく感じです。そこからまた変化していきますけど、台本がなくてもできるから。皆流れを知ってるし、その場で繋いでいくので。

—台本っぽいものにしていくとき、その流れや順番というのも皆で作っていくんですか?

今野:なんとなくは俺が決めるんですよ。一応、本を書くのが自分の中の勝負どころではあるので、それを渡すときが一番緊張する。もし、皆がしっくりこなかったら、稽古場でちゃんと皆のことを見てこなかったということだろうから。でも、またハマらなかったら変えていけばいいし。

ルネ・ポレシュや飴屋法水にシンパシー。演劇よりもパフォーミングアーツに感じる近しさ

—バストリオって、世の中的にはやっぱり「演劇」というジャンルのものとされているわけじゃないですか。でもパフォーマンスを観ても、今日こうやって話を聞いていても、そのラベリングが窮屈に感じませんか? だって、いわゆる皆がイメージする演劇とは大きくかけ離れているわけでしょう。

今野:それはもう、始めた時からずっとそうかもしれない。演劇じゃないって言われるし、でもそうじゃないところに自分らの居場所があるわけでもないし。ずっと観てくれている佐々木敦さんが、あるとき「これはもうバストリオとしか言いようのないジャンル」みたいに言ってくれたときがあって。あぁ、そこまで行けたんやって思いましたね。

昔、海外の演劇を観たときにしっくりきたんですよ。こんな感じでいいんだよなって思えた。『フェスティバル/トーキョー』(※)でルネ・ポレシュが来たときにも、映画撮影現場みたいな設定で最初に車を乗り回して、お店をつくって役者がお酒飲んでて、っていう舞台。パフォーマンスが始まってるのかどうかすら分からなくて。そうしているうちに皆を乗せた車が走ってきて。自由度が高くて、役者たちの強度も高いという劇ですね。そういうのを体験していたとき、飴屋法水さんの舞台も観て、これが演劇なんだったら自分たちもやってみようと感じてバストリオを始めました。だから、日本で演劇と言われているものよりも、どちらかというと海外でパフォーミングアーツと呼ばれるものの方が自分のやりたいことに近いのかもしれないです。逆に、向こうに行ったらすぐ何かのジャンルに入れられるようなことしか実はできてないのかもしれない。

※略称『F/T』。東京芸術劇場をはじめ池袋エリアに集積する文化拠点を中心に開催されていた、日本最大の舞台芸術のフェスティバル。2009年2月に誕生し、過去5度にわたって開催され、104作品、780公演、そして26万人を超す観客 / 参加者が集った。

—だから私は、初めてバストリオを観る人にはできるだけ「これは演劇である」という枠組みを取っ払って観てもらいたいです。

今野:実際、初めて観たときはどんな感じでしたか?

—最初の10分観て、あぁこれは物語に執着しない方が楽しめるなと思い、そっちに照準を合わせて以降はすごく楽しめました。うまく言えないけれど、ボーっと観てハッとしての繰り返しというか。

今野:あぁ、そうですよね。

—バストリオって、「今この瞬間」しかないじゃないですか。全編が「今この瞬間」の集積。一方で明瞭な筋書きがある舞台って、未来に向けての今が結末への矢印とともに進んでいく。でも、バストリオの場合はとにかく「今」しかない。今この瞬間の身体の動きや声の抑揚や台詞によって、観客一人ひとりの中に物語がそれぞれ立ち上がっていったりいかなかったりするわけで、それはそれで非常に演劇的でもあるんですが。つまり、その瞬間を都度楽しみながら観るのが一番面白いと思うんです。

今野:そう、見方や構えが合うかは大事ですよね。自分たちもやりながら、お客さんを見て「30分経ってもこの人はまだ呪いが解けてないな」とか分かるんですよ(笑)。でも最近来てくれるお客さんは、そうじゃない構えで来られる人が多いですね。特に若い人は、そもそも演劇に対するイメージがないからなのか、フラットに空間を観て自分で選んでザッピングできちゃう感じがある。

その過程で、どこかではパフォーマンス自体に飽きちゃう時間があってもいいと思うんです。「ここ興味ないな」っていうので良くて、興味が戻ったらまた観て自分でモンタージュしてくれるような見方でいい。そういう人が、この15年間で間違いなく増えてます。前は、本当に皆がポカーンとしてたから。こんなに変わったことをわざとやってるのかな、って思われてたし。自分は、あえて外したり逃げたりしているわけではなくて、こっちの方が本当に良いと思ってナチュラルにやっているので。時代的に、そういうものに共感する人が増えているのかもしれないです。

—ボーっと観ながら興味があるところに反応すればいいんですよね。バストリオの楽しみ方として、それは正しい。

今野:それも良いし、真剣にみてても良い。めちゃ自由。そうやって観られる人がどんどん増えてますよ。なんか、川を見てるみたいに皆が観てるなって思う。

—(笑)。

今野:休みながら眺めて、なんか今の流れ綺麗だったよね、って(笑)。そういったことをアンケートに書いてくる人もいる。

バストリオのクィア性に共感する若い世代

—川というのは言い得て妙で、自分は、バストリオのパフォーマンスを初めて観たときからクィア性(※)のようなものを感じているんです。演劇というジャンルの規範性を問い直しながら、役割や物語に固定されないまま、新しい可能性を開こうとしているじゃないですか。それは、結論や意味といったものに回収されず、境界が溶けて曖昧なまま共にあることを肯定しているようにも見える。そういった流動性に対する祝福というものが、一貫して感じられるんです。

※ここでは既存の性のカテゴリーに当てはまらない人々の総称ということではなく、そこにいる人が多様性を自覚し、それぞれが流動的に存在している状態という文脈で用いられている。

今野:そう捉えてもらえるのはめちゃくちゃ嬉しいですね。自分の中の固定化されない流動性というのはもともとあって、それをずっと固定せよって言われてきた気がするんです。でも、それができない。やり方が分からない。ただ最近、特にこの前の『トーキョー・グッドモーニング』は、そういった自分の流動性を持ったままパフォーマンスに向き合ってくれている人が増えていることを感じています。それに演者も反応するので、より堅くならずに向き合えるようになってきていると思う。すごく良い状態。

https://youtu.be/unKGwyM-6qM?feature=shared

—まさしく川のように、流れるまま観ているというか。せせらぎと一緒で、ところどころ物語のようなものが立ち上がっては消えていく、それを楽しむという感覚。

今野:特に最近の若い人は、自分でピントを合わせにいくカメラマンのような感覚で観てくれてますね。川を見ていても流れる葉っぱに意識がいったり、飛んでる鳥が気になったりするわけじゃないですか。誘導されるわけではなく、その人がありのままの状態で取りに行く。そういうお客さんの変化に対してはグッときています。それにクィア性というのは、自分たちの在り方としても「共同体なんだけどファミリーではない」というさっきの話に通じるものがある気がします。

—そもそも今野さんの立ち位置が、集団における家父長的な存在ではない。もっとフラットですよね。

今野:そうですね、フラットです。

—だからこそ、バストリオがこの今の時代にパフォーマンスを続けるのはとても意義あることだと思うし、一方でその苦しさもあるんじゃないか。時代的にも、SNSや動画プラットフォームのメカニズムによって二項対立化や極端な単純化が増えて、曖昧さやグレーゾーンへの寛容性が失われてきている。それにトランプ再選以後、流動性よりも分かりやすさを求める傾向はますます強まっているように感じます。今野さんは、そんな時代におけるバストリオのようなコミュニケーションの在り方をどのように捉えていますか?

今野:逆風ではありますけど、でもうちらはずっと逆風だったと思うんです。そもそも、最初が「演劇じゃなくて何なんやろ」というところから始まってるし(笑)。でも確かに、今分かりやすさというものがめちゃくちゃすごい速さで、国家レベルで、大文字で伝わってきているのは感じるし、その通りだと思う。

ただ、それによって我々のやっていることがちゃんとカウンターになっちゃった気もするんですよ。以前の方が、自分たちの曖昧さに対してどう受け止めればいいかが分かりづらかったかもしれない。今は、いわゆるトランプ的なものの強さを皆が知ってるし、はめ込みにきてるのも皆分かってるじゃないですか。それに対して、絶対に反発する人たちはいるし、そういった人たちが可視化されてきて、明確な意思を持ってうちらのところに来ている実感もある。だから、前よりもバストリオの居場所は感じられているし、むしろそれによる不安の方があるかもしれない。

—むしろ共感者が増えていると。

今野:トランプ的な強さに乗っかる人がたくさんいる中で、「こいつアホやな」って思ってる人も増えてるじゃないですか。若い子たちほどちゃんと考えてる人がたくさんいるし、強度ある意思と言説を持っている人も多い。それこそ、川を見るようにうちらの舞台を観にきてる人たちってすごいなと思いますよ。強い意思で、トランプにメンチ切ってるわけじゃないですか(笑)。

バストリオのやりたいことは変わってないんだけど、15年間続けてきたぶん、時代が変化して受け止められ方や集まる人が変わってきてて、すごく贅沢な体験ができてるなって思います。だから、逆にトランプ支持みたいな人が稽古場に来てもいいし、そういうときが一番面白いだろうしね。

—そうそう、バストリオにはそこで敵対しない包括性がありますよね。

今野:トランプ側は弾く論理だけど、こっちは入れてしまう論理だから。前に自分がアフタートークで一番話したかったのは、安倍元首相だったんですよ。絶対話合わないだろうって分かってるから。「あいつらこんな風に考えてるんだろうな」って想像よりも、ちゃんとそこにいるのが分かって話してみることが大事だと思うんです。演劇やパフォーマンスを観に行こうという以前に、そういう場を覗いてみよう、という動機で足を運んでもよいですよね。上演後のアンケートを読んでると、すごいですよ。俺らのパフォーマンスよりもこっちの方がすごい表現なんじゃないか、って思うこともあります。そういうことを感じられる場であるといい。今は20代から50代まで創作現場にいますから、ちぐはぐさも含めてそれが見えるというのは大きいです。

—バストリオとしては、15年間どこにこだわってきたからこそ、そういう場が作れていると思いますか?

今野:「こうだよね」とピン留めせず、可能性を開いていくこと。稽古場でも、良い日も悪い日もあるんですよ。でも、最終的に自分はポジティブというか、もっと面白くなるはずやんって考えてる節があるから。というか、稽古場で全然うまくいかないことすら面白いし。逆に、正解に向かって突き進んでいるときが一番怪しいですよ。社会において何かがあったときも、違う角度で見たら全然違う感じに見えるんじゃないの、ってことはたくさんあるから。

それは、やっぱりドキュメンタリーから教えてもらったことです。映像で見たら泣いてるし悲しく映ってるんだけど、実際に話してみたら全然悲しそうにしてなかった、ってことなんて多々ある。日々の生活でも、見方をたくさん持ってたら色んなところに行けるんです。だってさ、いまだに皿ちょっと早く洗えただけで嬉しいもん。今日泡立ちいいな! みたいな(笑)。自分、まだこんなので嬉しいのか? って(笑)。そういう生活の延長にある身体で稽古場に入るのが大事なんです。そこに段差を作らなくなったのは、成長したなって思う。最初の5年はそれができなかったから。

つやちゃんさんが書いた『スピード・バイブス・パンチライン』(※)も可能性についての話じゃないですか。お笑いにしろラップにしろ、それぞれが色んな見方で色んな技法を試してて、そこにそれぞれの自分らしさのリアリティが見えるっていう。そうやって、可能性を開いていくことを続けていきたいなって思います。

※つやちゃん著『スピード・バイブス・パンチライン: ラップと漫才、勝つためのしゃべり論』(2024年、アルテスパブリッシング)では、ラップや漫才を題材に、口語芸術の最前線を、「スピード」「バイブス」「パンチライン」の3つの視点を軸に分析した。

—大きな権力が固定化を求める時代だからこそ「小さな流動性」はより重要になるでしょうし、そういう時代にバストリオのような集団がいることはとても勇気づけられます。今日はありがとうございました。

バストリオ『セザンヌによろしく!』

【作・演出】今野裕一郎
【出演】黒木麻衣、坂藤加菜、中條玲、橋本和加子、本藤美咲、松本一哉

会 期 2025年6月1日(日)〜6月8日(日)
会 場 調布市せんがわ劇場

6月1日(日)18:30〜◉☆
6月2日(月)19:30〜◉☆
6月3日(火)19:30〜◉☆
6月4日(水)14:30〜/19:30〜
6月5日(木)19:30〜
6月6日(金)19:30〜☆
6月7日(土)13:30〜/18:30〜☆
6月8日(日)14:30〜
受付開始・開場は開演の30分前[全10公演]
◉:早割
☆:アフタートーク

6月1日(日)18:30〜 ゲスト:横浜聡子(映画監督)
6月2日(月)19:30〜 ゲスト:山本貴愛(舞台美術・衣裳デザイナー)
6月3日(火)19:30〜 ゲスト:佐々木敦(批評家)
6月6日(金)19:30〜 ゲスト:古川日出男(作家)
6月7日(土)18:30〜 ゲスト:荘子it(Dos Monos)
特設サイト:https://www.busstrio.com/say-hello-to-cezanne/

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