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『BUTTER』登場人物の生きづらさから考える、それぞれにとっての心地よさ
─日本では実在する事件をフックに話題になっていた印象がありますが、個人的には「自分にとって心地良い生き方とは何か」ということを梶井真理子(カジマナ)、里佳、怜子という3人の登場人物を通じて考えさせられました。それは、3人それぞれにとっての心地よさの意味が違うからで、とても魅力的ですよね。この違いについて、どう人物設定を考えられたのでしょうか。

柚木:すごくうれしい質問です、ありがとうございます。よく「今辛さを感じているすべての女性にメッセージを」と聞かれるんですけど、すごく考えちゃって。作家なのでそういう言葉があったらいいんですけど、ないから小説を書いているところもあるので……。こういうフェミニズムと女性の人権について書くと、全女性を救う優等生の振る舞いを求められる。それが苦しくてフェミニストと名乗りづらい方もいるでしょうしに。つらい人に「本を読んで」とは言えないので……うれしい質問です。
なんだろう、里佳にとっての心地よさは出世だと、本人は思っているんですよ。
─週刊誌の記者として、独占記事を取り付けて出世を貪欲に狙っていますもんね。
柚木:出世したら心地よくなれるって、勘違いしているんです。でも、そうじゃない。彼女は「父親の死は自分のせいではないか」と思っているので、そこに向き合うことが彼女にとっての心地よい生き方につながると思います。具体的には、一人で死ぬことは怖いことではないし、死ぬまで一人でも豊かに暮らしていけることを知ること。父親の生き方を自分がやってみて「不幸じゃない」と知ることですね。きっと、彼女は独立をしたほうが幸せなのかもしれないです。
─料理が得意で、里佳とは相対して家庭に憧れを持つ親友の怜子はいかがですか?
柚木:怜子の場合は、親に対して複雑な気持ちがあるので、家族を作ることが自分の心地よさだと思っています。でも、実は彼女の心地よさは、自分を性的に消費しない、ひとりの人間として見てくれるパートナーや友人に囲まれることです。なので、家族という形に玲子はこだわるけれど、怜子の心地よい生き方は家族でなくても可能なんだと思います。
そして、カジマナは、女性には背を向けて、男性にチヤホヤされることが自分にとっての心地よさだと思っています。
─結婚詐欺の末、男性3人を殺害したとされ東京拘置所に収監されている美食家のカジマナ。男性に尽くすよろこびについて、何度も語っていますよね。
柚木:世の女性たちが苦しんでいることと自分は関係ない状態である、っていうことが彼女にとっての心地よさだと彼女自身は思っているんですけど、実はカジマナが心からやりたいのは、おいしい料理で女たちを「おいしい! おいしい!」って言わせることなんです。男たちの腹を満たしたいわけじゃない。男たちから吸い上げてきたお金で女たちをもてなしたい、そこにはきっと母親も入ってくると思うんですが、女たちを興奮させて「さすが、カジマナ!」って言われたいんです。だから、自分の勧める料理を言われた通りに食べてくれた里佳のことを、カジマナは大好きだったと思います。

─獄中での会話を通して、カジマナは里佳をもてなしているんですね。
柚木:そうです。でも、料理を作れないから、話すしかない。料理好きにとって、料理を作れない状況ってものすごくストレスなので、カジマナは里佳にうっぷんをぶつけていた。でも、そのうちに本当に食べてくれるからうれしくなって、里佳のことを親友のように思っていたと思います。
ただ、里佳が怜子のことを大事に思うようになってから、怒っちゃって。「こいつ、マジでひどい目に遭わせてやるんだ」っていうところからですよね。でも、里佳みたいに、実際に自分が勧めたものを食べに行って、自分の言葉で感想を教えてくれる友だちって今後現れないと思います。
─印象的だったのは、ルッキズム的な部分でもそれぞれ心地よさの軸が違いますよね。
柚木:やっぱり、それぞれバックグラウンドが違うので、心地よさも違いますよね。里佳は、そもそも美意識が低い。むしろ、自分の魅力に居心地の悪さを感じています。カジマナは、自分のことを美しくないとは一切思っていなくて、彼女の美の定義は「豊かであること」なんですよね。豊かな女性であることが美しい。実はルッキズムからいちばん自由なのは、カジマナなんです。
─たしかに、世間からとやかく言われようとも、彼女は自分の美の信念をしっかり持っていました。
柚木:里佳はスラッとして身長が高く、女子校では「王子様」的存在だった。でも、太っちゃうことでカジマナがこれまでどういう視線を向けられてきたのか、自信を保つとはどういうことなのか、だんだんとわかってきます。なので、もしかしたらルッキズムでいちばん悩むのは怜子かもしれないですね。自分と周囲の視線のギャップで苦しんでいる。