「おかしい」と感じたことを、「おかしい」と口にする。それだけのことが、なぜ難しいのか——
1989年に提訴された日本初のハラスメント裁判に着想を得た映画『ファーストボイス』は、綾瀬はるか演じる弁護士が挑むこの裁判を、意外なほど淡々とした筆致で描く。
創業130周年を迎えた松竹がこの一本を送り出すとき、溝口健二『女性の勝利』(1946年)から80年にわたって描かれてきたエンパワーメント映画の系譜が見えてくる。映画評論家・バフィー吉川が同作を紐解く。
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仕事は「結婚までの腰掛け」が常識だった時代。平成初期に上がった「最初の声」
『ファーストボイス』は、日本初の本格的なハラスメント裁判とされる「福岡セクシュアルハラスメント裁判」から着想を得て制作された映画だ。
かつて日本では、男性を立て、目立たず、奥ゆかしく振る舞うことが女性のあるべき姿とされてきた。就職しても「結婚までの腰掛け」と見なされ、25歳までに結婚できなければ「売れ残り」と揶揄される。たとえ同じ経歴を持っていても給与は男性より低く設定され、女性が経済的に自立すること自体が困難。職場でも、お茶くみを任されたり、接待の席ではコンパニオンのような役割を求められたりすることさえ珍しくなかった。
何より問題だったのは、それらが「おかしなこと」とすら認識されず、社会の「常識」として受け入れられていたことである。
本作が描くのは、そんな昭和の負の遺産を色濃く引き継いでいた平成初期。もちろん、こうした風潮が現代では完全に消え去ったとは言い難く、課題はいまだ尽きていない。しかし、現在では疑問視されるようになった「常識」も、自然に変化したわけではないのだ。
その時代の空気は、劇中の何気ない台詞からも伝わってくる。たとえば「アグネス・チャンかっ!」という一言だ。1980年代後半には、仕事場に子どもを連れて行くことの是非をめぐって、いわゆる「アグネス論争」(※)が巻き起こる。それは単なる芸能人をめぐる騒動ではなく、働く女性と育児のあり方、さらには「女性はどうあるべきか」という社会通念までを巻き込んだ議論でもあった。時期を同じくして「セクハラ」という言葉も急速に社会へ浸透していく。
※アグネス論争:1987年に歌手のアグネス・チャンが生まれたばかりの長男を仕事場に連れて行ったことからはじまった、女性の働き方や育児をめぐる大きな議論

つまり本作の舞台となる昭和末期から平成初期は、女性を取り巻くそれまでの「常識」が、ようやく大きく揺らぎ始めた時代でもあったのだ。
その背後には、社会通念や風潮、同調圧力といった目に見えない巨大な力に対して声を上げた人々がいた。本作が光を当てるのは、まさにそんな「最初の声」なのである。
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男女対立の物語にも英雄譚にもしない、淡々としたつくり、その意図するところ
しかし、本作は単純な男女対立の物語ではない。ハラスメントを行う男性もを一方的な「悪」として断罪するのではなく、彼らもまた、前の世代から無意識のうちに価値観を受け継いでしまい、それを「常識」と信じ込んできた人間として描かれている。
本作は、暴力や勢い、感情によって強行突破することを良しとはしていない。怒りを爆発させて相手を打ち負かすのではなく、何がおかしいのかを言葉にし、冷静に問い続ける。その声を受けた男性たちが何を考え、どのように変化していくのかにも目を向けながら、男女双方を縛ってきた社会通念そのものを問題として捉えている。その意味では、男性たちもまた古い社会通念に縛られた存在だったと見ることができるのだ。

目指されているのは、女性が男性に「勝つ」ことではない。女性と男性が、ようやく対等な場所に立つことである。そのため、題材の大きさに反して、作品全体には意外なほど淡々とした印象も残る。しかし、そこにも意図があるのではないだろうか。裁判を過剰にセンセーショナルな英雄譚として演出してしまえば、「声を上げること」そのものが、特別な人間にしかできない特殊な行為に見えてしまう。
確かに、この裁判は日本社会におけるハラスメントへの意識を変えていく大きな分岐点のひとつだった。しかし、彼女たちが求めたものは決して突飛なものではない。女性が男性と同じ人間として扱われること。働く人間として正当に評価されること。そして、嫌なことに対して「嫌だ」と言えること。彼女たちが求めたのは革命的な世界ではなく、本来あるべき自然な状態だったのである。