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ときに自己否定も必要——サカキナオが語る、過去の記憶に頼る人間の姿を歌うワケ

2026.9.29

サカキナオ『夏夜、面影をたどって』

#PR #MUSIC

夜更けにふと昔の景色を思い出し、気づけば何時間も経っていた。もう戻れないとわかっているのに、その記憶に何度も立ち返ってしまう。サカキナオの新曲“夏夜、面影をたどって”には、そんな夜を過ごす人の姿が描かれている。

ファンクやソウルを土台に、日本語の響きを生かした楽曲を生み出すサカキナオ。2024年には『Catching Wave Audition 2024』でグランプリを獲得し、今年5月に発表した“三文ロマンスショー”が注目を集めるなか、9月9日にリリースされた新曲では「過去の記憶と現在を生きる人間の葛藤」を見つめた。

本人は、自らの音楽で「人間臭さ」を描きたいと語る。憎しみ、妬み、嫉み……そういった人に見せたくない感情も、思い出に逃げたくなる弱さも、彼にとっては生きてきた証なのだという。音楽に夢中になった幼少期から、深夜に蘇る記憶、自分の身勝手さを歌にすることまで。過去と現在を行き来しながら、サカキナオが音楽に残そうとしているものを聞いた。

初めての作曲は小3、歌詞に古典文学を取り入れる音楽家・サカキナオとは

―音楽が身近にある家庭で育ったそうですが、ご自身ではどんな子どもだったと思いますか?

サカキ:わがままな子どもだったんじゃないかなと思いますね。人の話や言うことを受け取って、行動に移すのが難しかった。わがまま「だった」と言うべきか、今もそうだと言うべきかは、周囲に聞くしかないんですけど。

―マイペースだったということでしょうか。

サカキ:そうとも言えるんですけど、自分でもそのペースをよくわかっていない。何かに追い込まれたり、時間に追われたり、間に合わなかったり。そういうことを小さい頃から繰り返してきましたね。

サカキナオ
作詞、作曲を自身でこなすソロシンガー。「サカキ」という名前は「源氏物語」からつける。心に突きささる表現力豊かなボーカル、現代のファンク、ソウルに歌詞では「古典」要素を取り入れるなど、新感覚な楽曲テイストが魅力のアーティスト。

―最初に夢中になったのは、どんなことでしたか?

サカキ:音楽で言うなら、歌うことですね。何かの曲を歌うというより、日常で何かあったときに適当に口ずさむ。「お腹が空いた」とか、「今日はパスタ」とか、そんなことを歌っていました。

―自分が思っていることを、メロディーに乗せていたんですね。

サカキ:母親がやっていたことを、僕も一緒にやっていたんです。そういう奇妙な家族でしたね。僕のやっていることを家族が受け入れたというより、僕が家族のやっていることを受け入れたのかもしれない。母はピアノもやっていたそうで、僕がピアノを弾くようになったきっかけも、彼女だったと思います。

―初めて一曲を作り上げたのは、小学校3年生の頃だったそうですね。それから高校生になるまで、ピアノで曲を作り続けていた?

サカキ:やっていましたね。世界が広がるような快感に、ずっと悦に入っていた感じです。ピアノで曲を作ると、ここにはもう一つ世界があるような感覚になる。一曲増えるたびに、「ここも自分の世界の範囲内なんだな」と、体積が大きくなっていく。そういう意味で、世界が広がっていました。

―高校生の頃には、聴いてくれる人ができた。その喜びは、一人で作っていた頃とどう違いましたか?

サカキ:それまでは、自分の世界の住人がほぼ僕だけだったんですけど、そこに人を招き入れてもいいんだ、と気づいた。この世界はみんなで共有していいものなのだな、という感覚になりましたね。

―バンドも始めていますが、メンバーと音楽を共有することにも喜びはありましたか?

サカキ:喜びもありましたけど、むしろ忸怩たる思いをすることのほうが多かったですね。「こんなにもうまく伝わらないのか」と。自分の手が動かなくなるような感覚なんです。伝えているのに、思っている音が鳴ってこない。水の中を歩いているみたいに、こんなに力をかけているのに進まない、という。

一人で作ったほうがいいとも、もちろん思いました。でも、それは独りよがりな考え方だったとも思いますし。「一人で作ったほうがいい」と「みんなで作ったほうがいい」気持ちは、交互に訪れますね。

志賀直哉『城の崎にて』からの影響や、小学生のときに感じた「生と死の近さ」など、独特な死生観

―音楽のルーツは、1970〜1980年代を中心としたロックやポップスですよね。今も、その時代の音楽に惹かれるのはなぜでしょう?

サカキ:入り口が、家で流れていたエリック・クラプトンやシンディ・ローパーだったので。そこから近い音楽に手を伸ばしていくと、自然とそういう分野になっていくんですよね。

幼い頃に聴いていた懐かしさもあるんだと思います。それに、振り返ってみると、僕にとっていちばん充実した音楽だと感じたのが、そのあたりの年代だったのかもしれない。ギターの音や歌い方、歌声、その年代特有の雰囲気が好きなんですよね。1970〜1980年代、1990年代も少し入るくらいですかね。

―聴いてきた音楽の影響を、曲を作っているときに感じることはありますか?

サカキ:影響は当然あると思うんですけど、具体的に誰のどんな影響なのか、自分でははっきりわからない。周りに言われて、「そうかもしれないな」と認識する感じです。意図していない部分で「この歌い方はこれに似ている」と指摘されると、もう一度その音楽を聴いてみたりもしますね。

―そうした指摘は、どんなふうに受け止めていますか?

サカキ:自分が意図したオマージュに気づいてもらえたときは、とてもうれしいですね。コメントで「何分何秒のところは何々のオマージュだ」と言われるのは、友達を見つける感覚に等しいんです。同じ趣味を分かち合っていることの証明というか。「そうそう、君とは友達になれるよ」って。

―一方、歌詞については「人間を描きたい」と話されています。どんな人間の姿を残したいのでしょうか?

サカキ:人間というか、人間臭さを描きたいんだと思います。それは、一人ひとりの癖みたいなものですね。

世の中は諸行無常じゃないですけど、変わっていくのが常ですよね。千年、百年はもちろん、一年でも一週間でも随分違う世界になる。僕らが生きている世界という装置は、どんどん変わっていく気がするんです。

そのなかで人間が残せる爪痕があるとすれば、一人ひとり違う癖や人間味なのかなと。それが、自分の生きていた証になるんじゃないか。まずは己の証として歌詞に刻み込む。それが出発点ですね。

―そう考えるようになったきっかけはありますか?

サカキ:小学生の頃、目をつぶって想像すると、自分の命の流れが見えるような気がしたんですね。スピリチュアルなことを言いたいわけではなくて、そういうものは一切信じていないんですけど。血の流れや命の流れを、自分から切り離して、客観的に見られるような気になっていた。

授業中に、「この命がそのまま離れていったら、僕はただの殻になるんだな」とか、「このまま死んじゃうかも」と思っていたんです。そういう感覚から、生と死はそれほど離れていない、うっかり死んじゃいそうだ、と思うようになったんですね。

本で言えば、志賀直哉の『城の崎にて』(1917年、同人誌『白樺』にて発表)が今、思い浮かびました。作中で、当たるわけがないと思って投げた石が、うっかりイモリに当たって、死なせてしまう。当たらなければ生きていたかもしれないけれど、今回は当たって死んでしまった。生と死の距離の近さを感じる作品ですね。

―サカキさんが特に惹かれる「人間臭さ」とは、どんなものですか?

サカキ:負の感情や負の側面ですね。妬み、嫉み、憎しみ、悪意。そっちのほうが人間らしい気がする。ひどく主観的なものですけどね。僕の歪んだ人間性では、そういうところに人間らしさを感じるんです。逆に、人間の正の部分には、どうにもハリボテ感を覚えてしまう。嘘っぽく感じてしまうんです。人があまり見たくない、向き合いたくない部分に惹かれるし、そっちが本当だと思ってしまいますね。

2026年7月8日に開催された音楽イベント『心臓爆発日和』での初ライブの様子。

深夜0時から3時のあいだには、時間を戻してくれるような魔法がかかる気がする

―新曲“夏夜、面影をたどって”は、ノスタルジーに焦点を当てた曲ですね。何がきっかけで生まれたのでしょうか?

サカキ:ノスタルジーや諸行無常といった世界観は、作りながらなんとなく頭の片隅にあったんですけど、歌詞を書いたのは曲ができてからですね。最初に出来上がったリフをもとにピアノを弾いていたら、昔の景色が脳裏をよぎって。その景色を見ていると、「そういう曲を歌え」と言われているような気がしたんです。

https://youtu.be/JjN3Kq_ihXI?si=DvQQhyzpm30inp4o

―歌詞には深夜0時と3時が登場します。夜になると昔の記憶に立ち返りたくなるのは、なぜだと思いますか?

サカキ:個人的には、夜のなかでも深夜0時から3時のあいだには、時間を戻してくれるような魔法がかかる気がするんですね。もちろん比喩で、実際には戻らないんですけど。

体は0時から1時、2時、3時、そして4時、5時へ向かっていくのに、心や脳だけは反対方向に進む。その時間帯は街に人も少なくて、ほかのノイズも減るからなのかな、とも思います。

何かを思い出そうとするとき、僕は明るいものを見つめるより、暗いほうに目を向けるんです。その暗さが、記憶という景色を映すために必要な暗幕なんでしょうね。そう考えると、暗い時間帯に記憶へ立ち返るのは自然なことなのかなと。今聞かれて、後付けで考えた理由ですけど。

―<孤独を記憶があやす>から、2番では<孤独を記憶がほどく>へと変わります。この3時間で、主人公の心にはどんな変化があったのでしょう?

サカキ:この曲に出てくるこいつは、3時間も右往左往しているわけですよね。過去に潜っている最中で、どちらかというと後ろ向きな心情だと思うんです。

最初は、子どもをあやすように孤独をあやしてもらっているだけ。いきなり心の中に手を突っ込んで解こうとされたら、拒絶したくなっちゃう。記憶はうまい具合に段階を踏んで、心を癒してくれているんです。あやすところから始まって、3時間かけて、ようやく心を解くことを許した。未熟な人間ですよね。

―そういう未熟な人間を歌いたい。

サカキ:その通りです。

―サビの<真っ赤なサイダー>は、どんなイメージから出てきた言葉ですか?

サカキ:歌詞を書くとき、最初に浮かんだ言葉の一つでした。僕にとって赤は、若さやエネルギー、夕暮れの象徴なんです。その対比として、僕の中には青がある。夜空の青ですね。大人びた感じや、冷静さ、落ち着き、諦観を連想する色です。夕暮れの赤に対して、深夜の青ということでもありますね。

ただ、これは結果論なんです。最初からその対比を考えて組み立てたわけではなくて。

サイダーも、若さの象徴だと思うんです。開けたときのプシュッという瞬間が最大瞬間風速で、いちばん力がある。若い力って、出力はすごく高いけど、そのあと一瞬でへたるところがありますよね。子どもたちも、あんなに元気だったのに、次の瞬間には寝ていたりする。その高い出力のあとの静けさも、若さの象徴だなと。

そこから炭酸が抜けていく様子は、時間が進むことを表している。一度抜けた炭酸は戻らないですよね。時間の不可逆性を象徴しているのが、サイダーなのかなと思うんです。弾けているけど、あの頃には戻れない。

―炭酸がずっと残っていてくれたらいいのに、飲んでいる間にも抜けてしまいますよね。

サカキ:そこは実は共感できなくて。僕、炭酸があまり得意ではないんです(笑)。少し抜けたくらいを嗜んでいるんですよ。なので、若干の虚構が入っていますね。

2026年7月8日に開催された音楽イベント『心臓爆発日和』での初ライブの様子。

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