夜更けにふと昔の景色を思い出し、気づけば何時間も経っていた。もう戻れないとわかっているのに、その記憶に何度も立ち返ってしまう。サカキナオの新曲“夏夜、面影をたどって”には、そんな夜を過ごす人の姿が描かれている。
ファンクやソウルを土台に、日本語の響きを生かした楽曲を生み出すサカキナオ。2024年には『Catching Wave Audition 2024』でグランプリを獲得し、今年5月に発表した“三文ロマンスショー”が注目を集めるなか、9月9日にリリースされた新曲では「過去の記憶と現在を生きる人間の葛藤」を見つめた。
本人は、自らの音楽で「人間臭さ」を描きたいと語る。憎しみ、妬み、嫉み……そういった人に見せたくない感情も、思い出に逃げたくなる弱さも、彼にとっては生きてきた証なのだという。音楽に夢中になった幼少期から、深夜に蘇る記憶、自分の身勝手さを歌にすることまで。過去と現在を行き来しながら、サカキナオが音楽に残そうとしているものを聞いた。
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初めての作曲は小3、歌詞に古典文学を取り入れる音楽家・サカキナオとは
―音楽が身近にある家庭で育ったそうですが、ご自身ではどんな子どもだったと思いますか?
サカキ:わがままな子どもだったんじゃないかなと思いますね。人の話や言うことを受け取って、行動に移すのが難しかった。わがまま「だった」と言うべきか、今もそうだと言うべきかは、周囲に聞くしかないんですけど。
―マイペースだったということでしょうか。
サカキ:そうとも言えるんですけど、自分でもそのペースをよくわかっていない。何かに追い込まれたり、時間に追われたり、間に合わなかったり。そういうことを小さい頃から繰り返してきましたね。

作詞、作曲を自身でこなすソロシンガー。「サカキ」という名前は「源氏物語」からつける。心に突きささる表現力豊かなボーカル、現代のファンク、ソウルに歌詞では「古典」要素を取り入れるなど、新感覚な楽曲テイストが魅力のアーティスト。
―最初に夢中になったのは、どんなことでしたか?
サカキ:音楽で言うなら、歌うことですね。何かの曲を歌うというより、日常で何かあったときに適当に口ずさむ。「お腹が空いた」とか、「今日はパスタ」とか、そんなことを歌っていました。
―自分が思っていることを、メロディーに乗せていたんですね。
サカキ:母親がやっていたことを、僕も一緒にやっていたんです。そういう奇妙な家族でしたね。僕のやっていることを家族が受け入れたというより、僕が家族のやっていることを受け入れたのかもしれない。母はピアノもやっていたそうで、僕がピアノを弾くようになったきっかけも、彼女だったと思います。
―初めて一曲を作り上げたのは、小学校3年生の頃だったそうですね。それから高校生になるまで、ピアノで曲を作り続けていた?
サカキ:やっていましたね。世界が広がるような快感に、ずっと悦に入っていた感じです。ピアノで曲を作ると、ここにはもう一つ世界があるような感覚になる。一曲増えるたびに、「ここも自分の世界の範囲内なんだな」と、体積が大きくなっていく。そういう意味で、世界が広がっていました。
―高校生の頃には、聴いてくれる人ができた。その喜びは、一人で作っていた頃とどう違いましたか?
サカキ:それまでは、自分の世界の住人がほぼ僕だけだったんですけど、そこに人を招き入れてもいいんだ、と気づいた。この世界はみんなで共有していいものなのだな、という感覚になりましたね。
―バンドも始めていますが、メンバーと音楽を共有することにも喜びはありましたか?
サカキ:喜びもありましたけど、むしろ忸怩たる思いをすることのほうが多かったですね。「こんなにもうまく伝わらないのか」と。自分の手が動かなくなるような感覚なんです。伝えているのに、思っている音が鳴ってこない。水の中を歩いているみたいに、こんなに力をかけているのに進まない、という。
一人で作ったほうがいいとも、もちろん思いました。でも、それは独りよがりな考え方だったとも思いますし。「一人で作ったほうがいい」と「みんなで作ったほうがいい」気持ちは、交互に訪れますね。
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志賀直哉『城の崎にて』からの影響や、小学生のときに感じた「生と死の近さ」など、独特な死生観
―音楽のルーツは、1970〜1980年代を中心としたロックやポップスですよね。今も、その時代の音楽に惹かれるのはなぜでしょう?
サカキ:入り口が、家で流れていたエリック・クラプトンやシンディ・ローパーだったので。そこから近い音楽に手を伸ばしていくと、自然とそういう分野になっていくんですよね。
幼い頃に聴いていた懐かしさもあるんだと思います。それに、振り返ってみると、僕にとっていちばん充実した音楽だと感じたのが、そのあたりの年代だったのかもしれない。ギターの音や歌い方、歌声、その年代特有の雰囲気が好きなんですよね。1970〜1980年代、1990年代も少し入るくらいですかね。
―聴いてきた音楽の影響を、曲を作っているときに感じることはありますか?
サカキ:影響は当然あると思うんですけど、具体的に誰のどんな影響なのか、自分でははっきりわからない。周りに言われて、「そうかもしれないな」と認識する感じです。意図していない部分で「この歌い方はこれに似ている」と指摘されると、もう一度その音楽を聴いてみたりもしますね。
―そうした指摘は、どんなふうに受け止めていますか?
サカキ:自分が意図したオマージュに気づいてもらえたときは、とてもうれしいですね。コメントで「何分何秒のところは何々のオマージュだ」と言われるのは、友達を見つける感覚に等しいんです。同じ趣味を分かち合っていることの証明というか。「そうそう、君とは友達になれるよ」って。
―一方、歌詞については「人間を描きたい」と話されています。どんな人間の姿を残したいのでしょうか?
サカキ:人間というか、人間臭さを描きたいんだと思います。それは、一人ひとりの癖みたいなものですね。
世の中は諸行無常じゃないですけど、変わっていくのが常ですよね。千年、百年はもちろん、一年でも一週間でも随分違う世界になる。僕らが生きている世界という装置は、どんどん変わっていく気がするんです。
そのなかで人間が残せる爪痕があるとすれば、一人ひとり違う癖や人間味なのかなと。それが、自分の生きていた証になるんじゃないか。まずは己の証として歌詞に刻み込む。それが出発点ですね。
―そう考えるようになったきっかけはありますか?
サカキ:小学生の頃、目をつぶって想像すると、自分の命の流れが見えるような気がしたんですね。スピリチュアルなことを言いたいわけではなくて、そういうものは一切信じていないんですけど。血の流れや命の流れを、自分から切り離して、客観的に見られるような気になっていた。
授業中に、「この命がそのまま離れていったら、僕はただの殻になるんだな」とか、「このまま死んじゃうかも」と思っていたんです。そういう感覚から、生と死はそれほど離れていない、うっかり死んじゃいそうだ、と思うようになったんですね。
本で言えば、志賀直哉の『城の崎にて』(1917年、同人誌『白樺』にて発表)が今、思い浮かびました。作中で、当たるわけがないと思って投げた石が、うっかりイモリに当たって、死なせてしまう。当たらなければ生きていたかもしれないけれど、今回は当たって死んでしまった。生と死の距離の近さを感じる作品ですね。
―サカキさんが特に惹かれる「人間臭さ」とは、どんなものですか?
サカキ:負の感情や負の側面ですね。妬み、嫉み、憎しみ、悪意。そっちのほうが人間らしい気がする。ひどく主観的なものですけどね。僕の歪んだ人間性では、そういうところに人間らしさを感じるんです。逆に、人間の正の部分には、どうにもハリボテ感を覚えてしまう。嘘っぽく感じてしまうんです。人があまり見たくない、向き合いたくない部分に惹かれるし、そっちが本当だと思ってしまいますね。
