島本理生の小説『わたしたちは銀のフォークと薬を手にして』は、さまざまな人生観、恋愛観をもった女性が出てくる。結婚をしたくて相手を探したり、一人でいることを選んだり、別れに踏み切ったり。仕事熱心なOL・知世と年上のエンジニア・椎名さんの関係を軸にしながら、結婚や家族、病気といった、気持ちだけでは走り出せない、行方のわからない大人の恋愛を描いている。
「人生には大変な出来事があるけれど、一つひとつ丁寧に積み重ねていくと、ふとした瞬間で『もうここから抜け出して、次のステップに行っていいんだ』って心が決まるときがある。そんな瞬間がシームレスに描かれている素晴らしい作品」と話すのは、俳優・作家の松井玲奈。島本の大ファンで、本作のAmazon オーディブル(以下、Audible)の朗読を担当した。食事と孤独、物語が描く「生きていくために大切なこと」について、二人に語り合ってもらった。
INDEX
大人の恋愛はお互いの気持ちを伝え、状況を共有することで関係性を積み上げていく
─松井さんは、島本さんの大ファンだと伺っています。島本さんの小説『よだかの片想い』が映画化された際も、主演を演じられていました。
松井:初めて読んだ島本さんの作品が『よだかの片想い』でした。アイドルグループを卒業した後に、ようやく読書する時間ができて、本屋さんでふと目に留まったんです。それまで、ファンタジー小説ばかり読んできたので、現実を舞台にした同世代の恋愛小説は初めてで、衝撃を受けました。読み終えてすぐ本屋さんに駆け込んで、そこにあった島本さんの本をあるだけ買って帰りました。それから、新刊が出ると必ず読んでいます。
島本:ありがとうございます。
松井:島本さんの描く、本人にしかわからないような繊細な部分の掬い上げ方がすごく好きなんだなって、今回『わたしたちは銀のフォークと薬を手にして』を朗読させていただいて改めて感じました。
─島本理生さんの著書『わたしたちは銀のフォークと薬を手にして』を、松井さんは刊行当時一人で台湾を旅行中に読まれていたと他のインタビューで拝見しました。
松井:懐かしいです……そうですね。この作品は、島本さんの書かれるものの素敵な部分がギュッとつまっていると思います。人生には大変な出来事があるけれど、一つひとつ丁寧に積み重ねていくと、ふとした瞬間で「もうここから抜け出して、次のステップに行っていいんだ」って心が決まるときがある。登場人物のスイッチが入る瞬間がシームレスに描かれていて、読んでいて気持ちよかったです。

1991年7月27日生まれ、愛知県出身。俳優、作家として活躍する。主な出演作には、映画『gift』(2014年)、NHK連続テレビ小説『まんぷく』(2018年)、NHK大河ドラマ『どうする家康』(2023年)など。小説家としても活動しており、『カモフラージュ』(2019年)、『累々』(2021年)を発表した。最新作は『ろうそくを吹き消す瞬間』(2026年)。
─本作は、知世と椎名さんが美味しい食事とデートや旅をしながら、関係を深めていきます。
島本:この作品は、当時流行っていたデートスポットなど、自分も興味があったり食べて美味しかったりしたものをリアルタイムで取り入れた作品でした。それこそ30代は体力も食欲もあり、経済的にも安定してくるので、大人としての自由がありますよね。友達と飲んだり旅行したり、プライベートが楽しいとき。その感じが小説に出ているのか、結果的に長く読んでもらえています。

1983年東京都生まれ。2001年『シルエット』で群像新人文学賞優秀作を受賞し、デビュー。2003年『リトル・バイ・リトル』で野間文芸新人賞、2015年『Red』で島清恋愛文学賞、2018年『ファーストラヴ』で直木賞をそれぞれ受賞。近著に『天使は見えないから、描かない』、『一撃のお姫さま』など。
─椎名さんがHIV(ヒト免疫不全ウイルス)に感染していること、また知世と家族の複雑な関係性など、病気、結婚、家族といった問題と向き合う姿も印象的です。HIVは死に至る病と言われていた1990年代前半から、現代では治療可能な慢性疾患となりましたが、差別や偏見は一部残ったまま。HIVを題材にすることについて、反応はありましたか?
島本:そこだけ取り出して質問されることはほぼなかったです。私がHIVという病気を初めて知った十代の頃はまだ偏見やあやふやな情報がはびこっていました。きちんと知っておきたいけれど、触れてはいけない病気というイメージを持ってしまった。でも、だからこそ、書きたいと思っていました。恋愛と性は密接なものですし、HIVについて調べると、進行を止める治療薬が開発されるなど医学の進歩によって希望も見えていたので。
松井:椎名さんが知世に病気を打ち明ける描写は印象的ですよね……。二人はその後も、お互いの気持ちを理解し合って、丁寧に状況を共有する。心も体もちゃんと繋がっていく様子が、一冊を通して描かれていると思います。今回私は朗読を担当しましたが、最初はお互いが緊張している感じを朗読でも表現していて。そこからラストに向かって柔らかい声を意識していました。文章からも二人の関係性が丁寧に積み重ねられている感覚があったので、自然と役に落とし込めました。
INDEX
心の状態や相手との関係性が表れる「食事」。一歩踏み込んだ「家での食事」は、関係性をさらに深くする
─本作のテーマは「銀のスプーン(食事)」と「薬(病気や痛み)」。本作を読んで、相手と関係性を積み重ねていく中で食卓を囲むことの大切さを改めて感じました。島本さんが今作で「食事」のシーンを書かれた背景は?
島本:一緒に食事を美味しく食べられることって、すごくリラックスした関係性だと思うんです。ある時、摂食障害気味だった友人の話を聞いたら、当時付き合っていた彼氏に「痩せろ」と何度も言われていたんです。もともと、美味しそうにたくさん食べる子だったのに苦しそうで。でも、別れて食欲が戻った彼女を見て、その時の精神状態や人間関係が食事に出るんだなと実感しました。
いつ別れてもおかしくない恋人を繋ぐものが「食事」で、食事を共にするうちに、相手と生活する自分がだんだん見えてくる。「この人とずっと一緒にいたい」と思うきっかけの一つとして、食事を通した関係を描いていこうと思いました。
松井:作品の中で、知世と椎名さんが家の中で食事をするシーンが出てきますが、他の人たちはほとんど外食ですよね。家で食事ができる関係と、外で食事をする関係っていうのは大きな違いがあるなと思いました。これから一緒になって生活を共にできる人には、自分のパーソナルスペースに呼んで、食べるという無防備な姿も見せられるのかなと思います。
─家に呼ぶのも招かれるのも、勇気がいることですよね。
松井:私は、人の家に行くのがすごく苦手なんです。

島本:そうなんですか! 松井さん、いつも落ち着いていて、お話も上手なので、社交的なのかと。意外です。
松井:緊張してしまうし、家の中が気になってしまうんです(笑)。置いてあるものや本棚、こういうところにティッシュを置くんだな、ゴミ箱はビニールが出るタイプでかわいいな、とか。そんなに凝視しているのはなんだか失礼だなと思って。
島本:でも、私も本棚とか見ちゃいます。
松井:目の置き場に困ってしまって、リラックスするまで時間がかかります。でも、先日仲のいいご夫婦から「たこ焼きパーティーをしに来ないか」と誘われたんです。楽しそうだなと思ったのでお家へ伺ったら、なぜかたこ焼きの粉でもんじゃ焼きを作れるか、という検証が始まって。その時、普段はしないことに挑戦して、みんなであーだこーだ言い合う時間が関係性をより深くしてくれるんだなと思いました。それからは、「家に行けば想像もできない楽しいことがあるかもしれない」と思えて、人の家に行くハードルが下がりました。

─家の中では普段できないことを思い切れてしまうのかもしれませんね。島本さんは、大切な人と囲む食事に関するエピソードはありますか?
島本:私は子どもの頃、お正月は必ず母方の祖父母の家で過ごす決まりだったんですね。祖母はおせちやお雑煮などお正月料理を全部手づくりする人だったんですが、亡くなってしまってから手づくりの正月料理を食べる機会がなくなってしまったんです。あれだけの支度をするのは大変なので、誰もやらなくなって。
でも突然、おせちを食べたくなったんです。コロナ禍で時間もあったので作ってみようと思い立って、そうしたら同じように家にいた夫が「僕も作ってみたい」と言うので、分担して、その年、初めておせち作りに挑戦しました。彼は北海道出身で、向こうのおせちは甘めの味付けだったりして、そういう故郷の馴染みの味が混ざるのも面白いですね。
INDEX
相手が心を閉ざしている時、どう寄り添う?
─痛みや孤独を表しているもう一つのテーマ、「薬」についてお聞きしたいです。知世は家族、椎名さんは病気のことで心を閉ざしている部分がありました。そうした自分の力ではどうすることもできないことに寄り添うとき、お二人はどんなことを心がけていますか?
松井:私ははっきりと「あなたはそこに居てくれるだけでいい」「あなたが大事だ」ということを、ひたすら伝えると思います。でも、相手によって寄り添い方は変わりますよね。
病気になられてしまった知り合いの方が、まだお子さんも小さくて気持ちが弱ってしまったとき、パートナーの方から「あなたが死ぬのが一番迷惑だから死んじゃダメ」って言われたと話してくれたことがありました。あなたは生きなきゃいけない、ということを「一番迷惑」と伝えることは、人によっては傷ついてしまう言葉かもしれないですが、二人だからこそ通じ合える言葉でカッコいいなと思いました。
─「死ぬのが一番迷惑」は「あなたが大事」と同じ意味ですもんね。島本さんはどうですか?
島本:私の理想は、助けを求められるまでは見守りつつ、求められたら力を貸す形なんです。でも、現実はその距離感がなかなかうまくいかない。相手を知ろうとするあまり深く入り過ぎてしまい、気がつけば一緒に落ち込むこともあります。なので、未だに相手との距離感がうまくつかめずに、あがいているところはあると思います。

─距離感の掴み方は、大人になるほど難しくなっていく気がします。自分自身が知世の立場だったら、椎名さんの病気を知って「もっと話したい」と切り込めないかもしれない。もう一歩関係を深めるための態度も悩ましいです。
島本:結果論になりますけど、恋愛関係に限らず、どんな自分を見せたところで続く人とは続くし、続かない人とは続かないのかもしれないと最近は実感しています。若い頃、どうしようもない恋愛の話に付き合ってくれた友達なんて、内心では「面倒臭いな。早く別れればいいのに」って思っていたはず(笑)。それでもお互いに色々な姿を見せ合って、今でもその友人はそばにいてくれているので。どんな人とも誠実に向き合っていたら、自然と関係が長く続く人が現れてくるのかなと思います。
松井:人間関係は鏡だなと思うので、「もしかしたら嫌われているかも」と思ったら相手も構えてしまうし、好きっていう気持ちを全面に出していると反射して返してくれる。なので、相手への好意は素直に口に出していいんじゃないかな、と私は思っていて。私自身、喋っていないと塞ぎ込んでいる風に見られがちなので、言葉にすることを意識しています。
