平凡な会社員が、失業をきっかけに連続殺人を計画する——。
韓国映画界の巨匠、パク・チャヌク監督の最新作『しあわせな選択』は、過激な設定の裏に現代社会の息苦しさを潜ませたブラックコメディ。主人公ユ・マンス役を演じたのは、出世作『JSA』以来25年ぶりに監督と長編映画でタッグを組んだイ・ビョンホンだ。
もっともブラックコメディを愛し、脚本に魅了された彼でさえ、当初この役柄には戸惑いを覚えたという。ところがその後、ある視点を得たことで役は一変した。「ごく普通の男」がたたえる狂気に、俳優イ・ビョンホンはいかにして向き合ったのか。
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パク・チャヌク史上、最大のヒット? イ・ビョンホンが「新たな一面」を確信した脚本の力
地元の製紙会社で25年勤め上げてきた企業戦士ユ・マンス(イ・ビョンホン)は、家族との理想的な生活を送っていた。ところが、アメリカの企業に会社が買収されたことで突如失業。人生を取り戻すべく再就職のポストを狙うマンスは、ライバルたちの命を狙うことに……。
原作はアメリカの作家ドナルド・E・ウェストレイクの小説『斧』。イ・ビョンホンは、パク・チャヌク監督らが執筆した脚本に惚れ込み、すぐさま連絡を取ったという。
イ・ビョンホン:本当に脚本が面白かったんです。「これはパク監督史上、ある意味で最も商業的に成功する作品になるのではないか」と思いました。そして僕自身も、まだ見せたことのない感情を表現し、新たな一面を見てもらえるかもしれないと興奮しました

1970年生まれ、韓国、ソウル出身。空前のヒットを記録した『イカゲーム』シリーズ(2021年、2024年、2025年)をはじめ、『インサイダーズ/内部者たち』(2015年)、『MASTER/マスター』(2016年)、『白頭山大噴火』(2019年)、『KCIA 南山の部長たち』(2020年)などで評論家と観客を魅了し、名実共に韓国を代表する俳優となる。 / Photo by GION
もともと監督は、『斧』をアメリカで映画化しようと考えていたそう。イ・ビョンホンが最初に読んだ脚本も、物語の舞台を韓国に変更する前の「アメリカ版」だった。ところが、当時のシナリオにはあまりピンと来なかったという。
イ・ビョンホン:脚本を読んだとき、「どこの国の話なんだ?」と戸惑ったし、あまり共感できなかったんです。けれども韓国版として脚色されたものを読んだら、すっと心に届くものがあり、皮肉っぽいユーモアも感じた。監督たちの苦労の痕跡を見たような気がしました。
韓国映画として翻案するにあたり、監督は、儒教的な家父長制が根強く残る韓国社会━━家長の責任やプレッシャー、男性と「仕事」の切り離しがたい関係を物語の前提に据えた。イ・ビョンホンも海外のインタビューにて、「韓国で生まれ育った者として、マンスが象徴する家父長制の本質はよくわかる」と語っている。
イ・ビョンホン:マンスは、私たちが日常的に見かける「ごく平凡な人」です。家族を大切にしていて、バーベキューが好き。そういった部分は私も共感できますが、物語の核心となる、マンスの極端な選択や行動にはなかなか共感できませんでした。自分が納得できなければ観客にも伝わらないので、彼をどのように理解するかが最大の悩みでした。

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予告編の印象的なシーンでは、イ・ビョンホンのアイディアが採用
決め手となったのは、マンスを「極端な行動に走ってしまった男」ではなく、「雇用問題に苦しむすべての人々の象徴」として捉えなおしたことだった。
イ・ビョンホン:このキャラクターを、世界中どの場所でも共感できる社会問題の巨大なメタファー(暗喩)だと考えたのです。そう思ったとたん、非常に演じやすい役柄になりました。
本作は加速を続けるグローバル資本主義や、韓国社会に残る家父長制をとことん皮肉る喜劇だ。日本を含む東アジアはもちろんのこと、アメリカ、ヨーロッパを含む世界の現在に縁の深いテーマである。
制度や伝統の呪縛にとらわれながら狂気に染まっていくマンスを、イ・ビョンホンは「殺し屋ではなく普通の男」という。その情けなさとぎこちなさが、いかんともしがたい可笑しみとなって観る者に迫ってくるのも本作の魅力だ。

マンスを演じるうえで、イ・ビョンホンは撮影現場でも監督にさまざまなアイデアを提案。予告編などでも印象的な、マンスが頭上に植木鉢を持ち上げるシーンもそのひとつだった。
イ・ビョンホン:マンスは製紙会社班長のソンチュル(パク・ヒスン)を狙い、彼の頭上に植木鉢を落とそうとします。しかし、最初から殺そうとするのではなく、殺意を「偶然」抱いてしまったように感じられたほうがいいと思ったのです。無意識につま先で植木鉢をカタカタと揺らし、自分の行動にびくりとする。決心してもなお迷い、戸惑い、なかなか動くことができません。

しかも、マンスの計画はなかなか思い描いたようには進展しない。本作の英題は『No Other Choice』すなわち「仕方がない」という意味だが、イ・ビョンホンはマンスを「苦しみと無力感を抱え、不器用ながらも“仕方なく”次の段階へ進む」人物だと表現する。
愛する家族のため、マンスはプレッシャーと戦い、屈辱に耐え、走り回り、地面を転がり、逃げ出す……。時にはスラップスティックコメディさながらに身体を張った演技には、イ・ビョンホン自身のアイデアも多数採用されているそうだ。
イ・ビョンホン:私のアイデアがあまりにも次々に採用されるので、怖くなって自制したほどです。「もしも映画が失敗したら、僕が責任を取らなければいけないんじゃないか?」と思って(笑)。
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『イカゲーム』『KPOPガールズ! デーモン・ハンターズ』……作品を選ぶ基準は
イ・ビョンホンは、四半世紀ぶりの長編コラボレーションとなったパク・チャヌク監督について「(『JSA』の)当時からほとんど変わっていない」と評する。「撮影現場ではいつも優しいことで定評があり、誰からも好かれている方」だと。
しかし、ひとつだけ大きな変化があったことを教えてくれた。
イ・ビョンホン:もともと慈愛にあふれた方ですが、役者やスタッフに要求を伝えるときは、どんな監督よりもシャープで鋭い。25年も経てば人間はだんだん丸くなるものですが、パク監督の場合は逆。ますます鋭くなっていて、まるで刃物のようです(笑)。
本作『しあわせな選択』をはじめ、『イカゲーム』や『KPOPガールズ! デーモン・ハンターズ』など大胆かつ挑戦的な作品選びを続けているイ・ビョンホン。作品選びの基準は「ストーリーの面白さと監督の名前」と言い切る。満を持しての再タッグに、彼はとても大きな手ごたえを感じたようだ。
イ・ビョンホン:映画は「監督の芸術」ですから、僕は監督の力が最も大切だと思う。そして、パク監督との仕事には常に緊張感があります。たとえ25年経っても、そのことはまるで変わりません。

『しあわせな選択』

CAST
ユ・マンス役 : イ・ビョンホン
イ・ミリ役 : ソン・イェジン
チェ・ソンチュル役 : パク・ヒスン
ク・ボムモ役 : イ・ソンミン
イ・アラ役 : ヨム・ヘラン
コ・シジョ役 : チャ・スンウォン
STAFF
監督 : パク・チャヌク
原作 :ドナルド・E・ウェストレイク著 『斧』(文春文庫)
脚本 : パク・チャヌク イ・ギョンミ ドン・マッケラー イ・ジャヘ
製作 : Moho Film CJ ENMスタジオ
共同制作 : KG Productions
提供/配給 : CJ ENM
プロデューサー : パク・チャヌク ペク・ジソン ミシェル・レイ=ガヴラス アレクサンドル・ガヴラス
共同プロデューサー : オ・ヒョナム
英題 :『 NO OTHER CHOICE』(原題:『어쩔수가없다』)
製作期間: 2024年8月17日~2025年1月15日
韓国公開: 2025年9月24日
北米公開: 2025年12月25日
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