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「計画」の切なさや切実さや、寂しさやキュートさ
ウェス・アンダーソンの作品には、しばしば「計画」と「家族」が登場する。そして、物語に出てくる家族はみなどこかが欠けていたり、機能不全に陥っている。最新作『ザ・ザ・コルダのフェニキア計画』でもそれらのポジションは健在だ(「計画」はタイトルにまで入っている)。今回の主人公は、大富豪で事業家のザ・ザ(ベニチオ・デル・トロ)。彼が計画しているのは、ある大陸全土における大規模なインフラ整備で、それに対して受け取る150年にもわたる利益をザ・ザは狙っている。そしてそんな彼の家族もまた計画と同様に破綻しかけている。

ウェス・アンダーソンの作品のなかで、「計画」はいつも重要視されてきた。『アンソニーのハッピー・モーテル』の「75‐Year Plan(75ヵ年計画)」にはじまり、校庭への水族館建設計画、12歳の駆け落ち計画、脱獄、親友を喰ったジャガー鮫への復讐(とそれを利用したカムバック)、農場に潜入しての泥棒と決死の救出計画……。『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』では「家族」にもどるための「計画」が遂行される。『ダージリン急行』では、主人公の3兄弟が再会した母から受け取る3つの協定のひとつが「計画を立てること」だった。詰めが甘かったり、そもそも無茶があったりはするものの、どの計画もはっきりとした意志のもとに立てられている。少なくともその計画の持ち主には自分が歩いていきたい道がはっきりとあって、それを抱えたまま混乱して、落ちぶれて、舗道沿いへと転がっていくのだ。それがなんともいえない切なさや切実さや、寂しさやキュートさになっているのだと思う。巻き込まれるほうはたいがいなのだけど。さて、ザ・ザ・コルダの計画の行方はどうなるだろうか。楽しみにご覧いただきたい。
