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『オッペンハイマー』に反戦、反核の意図はあったのか?
先にも触れたが、日本でもアメリカでも本作に対するもっとも頻繁になされている批判は、劇中に原爆投下後の広島と長崎の惨状についての具体的な描写が一切ないことに対するものだ(註8)。
ノーラン自身はこうした批判に対して「彼は、当時の世界の人々と同じく、広島と長崎への爆撃をラジオで知ったのです」と答え(註9)、この描写の欠落が、「主人公であるオッペンハイマーの視点から語られる物語」(※)であることを重視したためだという主旨の説明をしている。
このような発言も踏まえ、日本国内で本作公開を求め、作品を賞賛する目的で書かれたテキストにおいてはしばしば、「実際に映画を観ればこの映画が持つ反戦、反核の意図はあきらかだ」という主旨のメッセージが語られてきた(註10)。
※編注:脚本におけるオッペンハイマーに関する箇所は一人称で書かれていた。その異例な手法の意図について、監督は「脚本を読む人は、我々観客がオッペンハイマーと同じ視点を共有していることが分かる。我々はオッペンハイマーの肩越しにものを見、彼の頭の中にいて、どこに行くにも彼と一緒なんだ」と説明している(映画『オッペンハイマー』プロダクションノーツより)
私自身は、実際に作品を鑑賞し、この映画に関する国内外のレビューや評論をある程度読んだうえで、こうした見方に対して一定の違和感を持つ。
この映画では、ノーラン監督らしく、時系列の異なる2つのシークエンスを交互に見せることで「原爆の父」オッペンハイマーの人生が語られていくのだが、じつはその双方の描写を合わせたうえで劇中ではほとんど無視されている期間が存在している。
このことは本作が原作としてクレジットされている評伝『オッペンハイマー』(註11)の記述と映画の描写を照らし合わせてみれば明確にわかることだが、1945年のハリー・トルーマン大統領との印象深い対話後、映画後半のクライマックスとなる1954年の公職追放に至る1953年末の告発と査問会までの9年ほどの出来事が、映画のなかでは部分的にしか描かれていないのだ。
そして、この「原作」の記述に従うなら、実在するオッペンハイマーという人物が核兵器の拡散や核戦争の抑止といった「反戦」「反核」的な意味を持つ活動にもっとも精力的だったのは、まさにこの9年間なのである。
