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米国での賛辞の裏で指摘されていた「画面から消された人たち」
「作品が劇場で観られないかもしれない」という特殊な状況は、必然的にそのヒットや映画としての価値の主張、賞賛の声を強調することにもなっている。
『アカデミー賞』の受賞結果を見てもわかるように、評価が高いのはたしかだが、じつは本作にはアメリカでもほぼ全否定に近い反応もある——それは、日系に限らないアジア系アメリカ人による作中の人種的な偏りに対する拒否反応だ。
たとえばサンフランシスコの日系人記者オリビア・クルス・マエダは「『オッペンハイマー』が消したのは誰か」(注5)と題する記事において、実際に原爆被害を受けた日本人はもちろん、研究所の置かれたロスアラモスから強制退去させられ、核実験後に放射能汚染された土地に帰還せざるを得なかったネイティブアメリカン、1946年から1958年のあいだにアメリカによる核実験の舞台となったマーシャル諸島の住民など、核開発によって実際に被害を受けた人々の存在がほとんど顧みられていないことを指摘し、ハリウッド映画の白人中心主義を痛烈に批判している。
また、ウェブメディア「Business Insider」のライター、ハン・ユンジによれば、現実の「マンハッタン計画」の現場には女性研究者、アジア系、アフリカ系の研究者が参加していたにも関わらずこの映画の画面からはその存在自体が消されているという(註6、7)。

こうしたアメリカでの反応を読むまで私自身考えてもみなかったことだったが、「Black Lives Matter」や「アジアンヘイト」といった人種問題の深刻化を経たアメリカ合衆国という多民族社会において、クリストファー・ノーランというイギリス人監督がこの映画の画面に描き出してしまっている無自覚なエスノセントリズム(※)は、じつは「広島、長崎の具体的な被害描写がないこと」以上に深刻な問題であるように思える。
※編注:「自文化中心主義」とも訳され、自分が属する集団の文化や価値観を基準として、ほかの文化の優劣やよし悪しを判断する見方のこと