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サンドラとサミュエルの夫婦関係。裁判の過程で明らかになる、隠された非対称性
このように法廷劇となっていく物語を追っていくなかで、観客は夫婦の隠された対立を知って、サンドラに疑念を持つことになるかもしれない。真相を知らされていない観客もまた、裁判のやり取りに翻弄されることになるのである。この疑惑の主人公をめぐり、二転、三転していくスリリングな展開は見事という他なく、全体にエンターテイメントとしての魅力が横溢していることは間違いない。
そして裁判のなかでも焦点となっていくように、我々観客が気になるのが、「サンドラとサミュエルとの夫婦関係が、どのようなものであったのか」という情報だ。

対立の原因の一部として明らかになるのは、夫婦間の「格差」と「役割分担」についての問題である。教職に就いている夫は、文学の才能がありながら、いまだその道では成功せず、先に作家として名を挙げている妻のサポートにまわり、子育ての負担をより多く引き受けている。さらには、サンドラに仕事のアイデアを提供していた事実もあるのだ。こういった「非対称性」が示すモラルの欠如が公のものとなることで、彼女は裁判で窮地に立たされていく。
だが一方で、このような負担というのは、これまで多くの場合、男性が女性に対して与えていたものだったのではないだろうか。フランスのベルエポック時代を代表する女性作家を主人公にした伝記映画『コレット』(2018年)でも描かれていたように、その頃文学を志していた女性は、男性作家のゴーストライターを務めることで名声を奪われてしまうケースがあった。また、現在よりも家事や子育てなどの「ジェンダーロール(性別の役割)」に縛られていて、活躍の機会がより制限されてもいた。

現在までに、そういう女性の苦境は少しずつ変化していっている。本作の監督ジュスティーヌ・トリエをはじめ、近年女性の映画監督が評価されるケースが増えているように、監督業においても、やっと女性が正当な扱いを受けるようになってきた。こういった女性たちの社会進出や自立が本格的になってくると、ヘルパーなどを雇わない限りは、これまで女性の役割となることが多かった家事をパートナーがより多く引き受けることが自然なことになるはずだ。サミュエルは、そんな忙しい日々のなかで創造性を奪われ、自分のやりたいことができないことに強い不満を持っていたのである。
確かに、この問題においてはサミュエルには同情されるべき点が多々あるだろうし、そういった役割を押し付けていたサンドラに改善すべき点があったのも確かだろう。だからこそサンドラは、裁判のなかで人間性を追及されることとなる。しかし、この夫婦の性別がもしも逆だったならば、果たして裁判でサンドラは不利な状況に立たされただろうか。この疑問こそが、本作の重要なポイントになっているように思われる。