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アフロビートとの出会いと追求
ブライアン・イーノをプロデューサーに迎えた『More Songs About Building And Food』、同じくイーノが共同プロデューサーを務めたスタジオ録音3作目『Fear Of Music』で、バーンはアフリカンビートとの出会いを果たす。
なかでも『Fear Of Music』の1曲目を飾る“I Zimbra”は、その後バンドがたどり着く「アフロビートとロックの融合」の第一歩目と言えよう。バーンは、ダダイズムを主導したドイツの詩人フーゴ・バルのナンセンス詩に、グルーヴィーなリズムとメロディをつけることで楽曲を完成させた。ギターにはKing Crimsonのロバート・フリップが参加し、コンガ、スルド、ジャンベなど世界各地の打楽器も使用されている。
1980年にはアフロビートとロックの融合が最高到達点に達した名盤『Remain In Light』を発表。ギターにKing CrimsonやNine Inch Nailsで活躍したエイドリアン・ブリュー、トランペットに「第四世界」で知られるジョン・ハッセルが参加している。
バンドは『Remain In Light』発表直前から、『ストップ・メイキング・センス』で見られるようなサポートミュージシャンを含めた、ビッグバンド編成でライブを回るようになった。

1981年にはソロ活動を始めたバーンとイーノの共作『My Life In The Bush Of Ghosts』が発表された。一方でフランツとウェイマスの夫妻はサイドプロジェクトとしてTom Tom Clubを結成。”Wordy Rappinghood”(邦題:おしゃべり魔女)や”Genius of Love”(邦題:悪魔のラヴ・ソング)がヒットを記録した。