Talking Headsが1983年にハリウッドのパンテージ・シアターで開催した伝説的ライブを収めた映画『ストップ・メイキング・センス』(原題:Stop Making Sense)が、A24の手により4Kレストア版として、2月2日(金)より全国公開される。また、全国のIMAXでの上映も決定した。
ライブパフォーマンスをアートの域まで押し広げた、圧巻の舞台を映し出す同作。1980年代の日本公開時は、レイトショーのみの上映ながら、異例となる興行収入1億円を達成。
NYパンクバンドシーンの異端児で「インテリバンド」とも呼ばれた彼らは、どのようにしてライブ映画のマスターピースを作り上げたのだろう。バンドの来歴から、アフロビートとの出会い、映画の魅力までを深掘りしていく。
※本記事には映画本編の内容に関する記述が含まれます。あらかじめご了承下さい。
INDEX
NYパンクで異彩を放つTalking Headsが志したのは、芸術的反抗
デヴィッド・バーン(Vo / Gt)、クリス・フランツ(Dr)、ティナ・ウェイマス(Ba)、ジェリー・ハリスン(Key / Gt)の4人で構成されるTalking Headsは、Ramones、パティ・スミスなどが出演し、ニューヨークパンクの中心地として知られたライブハウス「CBGB」出身のパンクバンド。ただ、ここで留意したいのは、彼らがいわゆるステレオタイプなパンクのイメージとはかけ離れていること。
何を隠そう、バーン、フランツ、ウェイマスの3人はアメリカ最高峰の芸術大学、ロードアイランド・スクール・オブ・デザインを卒業、ハリスンはハーバード大学出身という、きっての「インテリバンド」なのだ。
当時のパンクシーンでは異彩でインテリジェントな空気を放っていたTalking Heads。パンクと言うと、ロンドンのような「政治的・社会的反抗」をイメージする人が多いだろう。しかし、ラコステのテニスTシャツの出立でステージに上がる彼らが志したのは「音楽的・芸術的反抗」だった。
