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明るくいたいし、社会に溶け込みたいし、みんなと仲良く、何事もなく暮らしたい

─『きれぎれのダイアリー』は日常の話の中で柴田さんが感じた「世界ってこういうものなんだ」という発見の瞬間がたくさん書かれていると感じました。
柴田:私、毎月気づきしか書いていないんですよね(笑)。「この間気づいたんだけどさ!」「ユリイカ!」みたいなことをわざわざみんなに言うなんて、子どもみたいでちょっと恥ずかしくて。「みんな知ってるかもしれないけど、知らなかったのって私だけかな」という狭間で悩ましかったです。
─自分としてはすごく新鮮な気づきだけど、みんなはこんなこととっくに知ってて、私だけが愚かだったらどうしよう、みたいなことを思うときってありますね。
柴田:私はそういうことが多い気がしていて。ちょっとずれてるんですよ。だから大まじめに言ったことに「え?」ってなられる瞬間が小さい頃からあるし、いまだにそれを感じていて。そろそろ本流に入りたいな……と思うけど、全然交わっていかないんですよね。
自分は気づきみたいなコンテンツでしか書けないのか、と思っていたので、「流れる川を眺めている」みたいなことをエッセイにできる方がうらやましいんです。コンテンツ化されないとだめなんじゃないかとどうしても思ってしまって。
─「面白くないと意味がない」という話もありましたけど、柴田さんはエンターテイナー精神が強いんですね。
柴田:私が若い頃や、そこから遡って2、30年ぐらい前って、尖ったことを言えたり、「変だなこの人」と思われることが、ものすごく価値を持っていたような気がしていて。私はそうやって「変だな」とか「面白いな」と思われるようなことを、生まれてこのかた本当にしたかったんですよね。いまははったりとかもあんまりなく、みんなもっとナチュラルに自分自身を表現してるような気がするんです。
─その変化についてはどう感じていますか?
柴田:すごくいいことだなと思います。面白くなきゃいけないとか、認められなきゃいけないとか、バイト先で一目置かれなきゃいけないとか、そういうことを思うときのむなしさみたいなものってあると思うんです。面白いことを言うのに特化していっちゃって自分がなくなってしまったり、特定の何かを貶すようになってしまったり。
そういうことで居心地が悪くなったり、自分で自分を苦しめている感じもするし、ナチュラルに話ができたり、自分を表現できるって本当にいいことですよね。変なところもあっていいし、普通のところもあっていいし、一個の印象じゃなくていい。ただ同時に、時代の流れとして窮屈になっているなと思う部分もあります。そこは不思議ですよね。こんなにもナチュラルに人は生きられるようになったのに、自由は難しいのかな。

─『きれぎれのダイアリー』の中でも、まさにそういう思いについて書かれている箇所(「令和の陽」)がありましたね。
柴田:私は結構古くさい人間なので、その葛藤みたいなものが大きいのかもしれません。ちょっと自由になってきた自分がいつつ、ずっと培ってきた固定観念や刷り込まれたものが、新しい感覚に対して疼いて、窮屈に感じているのかもしれないです。年を経るごとに、凝り固まってきているという実感があって、柔らかくないし、遅い。物理的にもそうですし。
─この本の中で書かれている時間の中に、いまお話しされた内面的な葛藤など、ちょっとドロっとした感情が横たわっている瞬間もあるのかもしれないですが、柴田さんは直接的にそれがどんなふうにドロドロしているか、言及するような書き方はされないですよね。
柴田:これは私が臆病だからに尽きる気がします。自分に向き合って書くことがあんまりできていなかったんじゃないかなって。ドロドロした自分の状態が本当に嫌で、なるべく明るくいたいし、社会に溶け込みたいし、みんなと仲良く、何事もなく暮らしたいという気持ちが本当に強いので、自分の中にそういう嫌な部分があることを認められない時間が長かった気がします。
連載の最後の方はちょっと変わってきた感じがするんですけど、終わってみて、やっぱり私は上澄みをすくっていたようなところがあるなって。本にまでなってなんなんですけど、そう思います。それで最近は激しく日記を書いて、のたうちまわりながら、一から本心を叩き直さないといかんなと。もちろんそれが1200字の連載の中で書く意味があることなのかという視点はあるんですけど、自分のドロドロした部分も含めて面白く書くことも、いまならもうちょっといけるような気がします。
柴田聡子『きれぎれのダイアリー 2017〜2023』

2023年10月23日発売
価格:2,310円(税込)
文藝春秋刊